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『勇者を謀殺した帝国に、ハッピーエンドなどいらない』  作者: 千石 かしる


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第三十三話:『帝都包囲、白銀の帰還』 第二節:黄昏の聖都、血塗られた防衛戦

 白亜の天蓋結界が、乾いた硝子のようにきしみ、鈍く濁った光を反射していた。

 神樹イグニス・アルボルの根元に築かれ、千年の不落を誇ってきた帝都アルシリア。

 その整然たる白大理石の都市区画は今、全方位から押し寄せる異形の咆哮と黒煙によって、塗りつぶされようとしていた。


「外郭第4防衛ライン決壊! アルス大河第2閘門、水底より爆砕されました!」


「上空、灰翅族の重爆隊が天蓋外縁を旋回中! 高熱燃焼鉱石が雨あられと降り注いでいます!」


「東門前、白骨族の歩兵陣が肉薄! こちらの高圧神水砲を、正面から弾き返しながら進軍してきます!」


 枢密軍事院の大本営では、無数の伝令魔導が混線し、悲鳴のような怒号が飛び交っていた。

 卓上に広げられた防衛立体地図の上で、青く灯っていた防衛拠点の光が、ひとつ、またひとつと冷酷に消滅していく。

 それは、侵略戦争ではなかった。

 地形の起伏を均し、障害物を粉砕して平地へ還す、圧倒的な規模の土木工事。

 空を覆うのは、灰翅族の黒朱の翼。

 火山灰と熱風を纏った怪鳥たちが、外郭の砲台陣地へ向けて超高熱の燃焼鉱石を次々と投下する。

 白亜の石造兵舎が炸裂し、黒煙が天蓋の内側へと充満していく。

 水からは、潮殻族と淵鱗族の強襲。

 アルス大河の濁流を遡上してきた海獣部隊が、川幅数キロに及ぶ水門の基礎を力任せにへし折り、漆黒の蛇尾を持つ潜水工作兵たちが、水中から導水橋の橋脚を瞬時に破断させていく。

 滝のような激流が市街の下層へと雪崩れ込み、かつて富を誇った運河は一夜にして濁った泥沼へと変貌した。

 そして陸からは、白骨族の重装歩兵軍団。

 生体鉱石の装甲で全身を固めた数万の巨漢たちが、足並みを揃えて前進する。

 帝国軍が誇る最新鋭の魔導蒸気兵器や装甲騎兵が放つ高圧神水魔導砲の斉射すら、その結晶装甲に触れた瞬間に運動エネルギーを霧散させられ、小石のように弾き飛ばされた。


「撃てぇッ! 怯むな、神樹の守護ある白亜の兵よ! 撃ち続けろぉッ!」


 帝国正規重装常備軍、10万の将兵が前線に投入されていた。

 重装甲の歩兵が方陣を組み、蒸気駆動の巨砲が断続的に火線を交錯させる。

 だが、四大門閥の拠点すべてを更地に均して集結した魔王軍の総力を前に、戦線はまるで紙縒りのように引き千切られていく。

 飛び交う砲弾の破片、崩落する白大理石の柱、そして燃え盛る火薬の雨。

 その戦火の直下に放り出されたのは、何も知らされずに偽りの安寧を信じ込まされてきた、数十万の帝都市民たちだった。


「助けてくれ! 門を開けてくれ!」


「神よ、神樹よ! 我らをお見捨てになるのですか!」


 逃げ惑う群衆が、安全地帯とされる中心部――神樹大聖堂の前広場へと怒涛の勢いで押し寄せていた。

 赤子を抱いた母親が転倒し、荷物を捨てた商人が踏み荒らされる。

 頭上からは外郭の爆風が吹き荒れ、黒い灰が粉雪のように降り注ぐ。

 民衆にとって、数日前まで世界を潤す奇跡と信じていた神樹は、いまや災厄を呼び寄せる巨大な標的でしかなかった。

 だが、すがる思いで広場へと雪崩れ込んだ民衆を待ち受けていたのは、救済の手ではなかった。

 大聖堂を囲むように展開していたのは、白銀の甲冑に身を包んだ500名の精鋭――教皇直属『聖樹近衛騎士団』。

 そして、その背後に並び立つ、異様な気配を漂わせる漆黒の修道服の一団――『断罪異端審問庁・洗罪執行隊』。

 彼らは救護の手を差し伸べるどころか、冷徹な刃先と導魔杖を、押し寄せる自国の民衆へと一斉に向けた。


「これ以上、聖域へ立ち入ることは罷りならぬ!」


 大聖堂の上層、白亜のテラスから響いたのは、肥え太った司教の冷酷な拡声魔導だった。


「神樹結界の出力を維持するため、教皇猊下より特別令が下された! いまこそ神樹に生かされてきた豚どもが、その恩恵を返す時である! 生体マナを供出し、白亜の聖域の礎となれ!」


「な……何を言っているんだ!?」


「水をくれ! 中へ入れてくれぇッ!」


 民衆の悲鳴を塗り潰すように、洗罪執行隊が一斉に蠢いた。

 黒い修道服の袖口から這い出したのは、青白く脈打つ植物の蔦――神樹の根を体内に寄生させた生体改造筋腱。

 フードの奥から覗く、魚類のように濁った黄色い複眼が不気味に発光する。

 執行隊の兵士たちが、長大な『濁質杭(ヘドロ・スパイク)』を手繰り、群衆の中へと容赦なく踏み込んだ。

 鋭利な杭が石畳を穿ち、あるいは逃げ遅れた市民の腕や背中へ浅く突き刺さる。

 ドクン、と。

 杭を通じて、市民たちの体内から生体マナ――血液と共に生命の輝きが、目に見える青白い燐光となって強制的に吸い上げられていく。


「あ……あああッ……!?」


「やめろ……身体から、力が……っ!」


 マナを奪われた市民たちが、急速に肌の血色を失い、次々と石畳の上へ崩れ落ちていく。

 吸い上げられた膨大な生命エネルギーは、広場地下の導魔管を通じて、大聖堂の奥深くにそびえる神樹の根元へと送られていた。

 外からは、大地と空を破砕しながら迫る魔王軍の無慈悲な砲火。

 内からは、信仰と引き換えに民の命を燃料として使い潰そうとする、国家と教会の狂気。


「クラリス様……どうか、奇跡を……!」


 老婆が冷たい石畳に額を擦りつけ、血の滲む手で祈りを捧げた。

 だが、その祈りは誰にも届かない。

 百年前、その慈愛を都合よく食い潰され、冷たい水辺で使い殺された少女の名を叫んでも、空から降ってくるのは黒煙と鉄の雨だけだった。

 逃げ場を完全に失った何十万の群衆の頭上に、近衛兵の冷徹な長槍が一斉に構え直される。

 泣き叫ぶ子どもを抱きしめる親たちの頭上へ、容赦のない強制徴収の刃が振り下ろされようとした、まさにその時――。

 天蓋の裂け目、暗雲渦巻く成層圏の彼方から、一筋の鋭烈な閃光が急降下してきた。

 空気を引き裂く、甲高い魔導ブースターの共鳴音。

 双発の青白い炎を曳きながら、白銀の翼を持つ飛空艇ストーム・ペレルが、狂乱の広場の上空へと突入した。


(第三節へ続く)


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