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幕間 皐月洸介の懐刀

 執務室に、控えめなノックが二回鳴った。


「どうぞ」


 皐月洸介は、物静かな口調で言った。


 静かに扉を開けて、網走が入ってくる。

 いつもの隙のない足取りで歩いてきた。

 先日まで拘束された芋虫状態は、夢だったのかと錯覚する。


「睦月さんの言ってた件はどうなってる?」


「まず向陽サービスですが……」


「何かあったのか?」


 向陽サービスがネットワーク管理の専門業務について、三週間が経っていた。

 普通であれば、業務のフロー通りに稼働できるようになれば上出来という段階だろう。


「緑ヶ丘病院のサーバーから、レッドラインに接触していたことが判明しました」


「それはどういうことだ?」


「国が実施している特定健康診断の内容が外部に漏れていた、ということです」


 洸介はデスクに両肘をついて唸った。


「これを霜月当主が知ったら――」


「既に霜月家に情報は共有しています。巌様は大変、喜んでいらっしゃいました」


「……僕は今、聞いたばかりなんだが」


「わたしは睦月様より、旧月家の垣根を越えて情報を効率的に共有するように指示を受けております」


「そうか。睦月さんの指示だったら仕方がないな」


「はい。わたしもそう思います」


 網走は恭しく頭を下げる。


「霜月家はどうやってレッドラインの対応をするんだ。エレーナさんには頭が上がらないはず」


「それは、わたしには分かりかねます」


「そうだよな。これも、あの人は想定してるんだろうな」


「おそらく。見ている場所が違うと思われます」


「この件は分かった。あと送られてきた写真は?」


「確認がとれています。日本国内の魔力回路持ちを攫っていた人物でした。こちらもレッドライングループに所属していました」


「ほう、そこまで分かるのか」


 洸介はしきりに感心している。


「これも向陽サービスの手によるものです。あの会社は難易度が非常に高い保守案件をこなしていたことで、技術力が群を抜いているようです」


「これは父上の面目躍如だな」


「それは何ともいえません。ネットワーク監視業務につくまでは、毎月赤字でしたから」


「やっぱり睦月さんか」


「はい。その通りです」


「先日のコンサート。網走は主催がレッドラインというのを知っていたんだろう?」


「わたしには何のことだか。分かっているのは、すでに警察当局が動いているということです。レッドラインも間もなくでしょう」


「最近、楽しそうだな。網走」


「そうでしょうか」


 洸介は椅子の背もたれに身を預けて、天井を見上げた。


「皐月コンツェルンの状況はどうなっている?」


「先日の仕入れに使った五十億については、増資で対応します。これにレッドラインは参入させません。また取引は今後、行わないことで同意しています」


「レッドラインが持っていたウチの株はどうなった?」


「取引が終了したので全て市場に放出した模様です。一時的に当社の株価は十三パーセントほど下落しましたが、想定内の価格変動となっています」


「銀行からの融資に問題はなさそうか?」


「当社は世界第九位の企業です。レッドラインが撤退して一部からの融資拒否がありましたが、問題ございません」


 網走は、手元の端末に視線を落としながら続けた。


「むしろ、金融制裁が解除された後の格付け機関の評価は好転しております。マネーロンダリング疑惑の払拭と、労働環境の是正、この二点を対外的に示したことが功を奏したようです。株主からの評価も、当初懸念していたほど悪くはありません」


「皮肉なものだな。散々な目に遭ったと思ったら、結果的には信用が上がっているとは」


「巌様の狙いは、おそらく最初からそこにあったのでしょう。皐月コンツェルンを潰すのではなく、あの方の――睦月様の御意向に沿う形に作り替えることが目的だったように思われます」


「僕もそう思っていたところだ」


 洸介は小さく息を吐いた。

 父の代に築き上げられた帝国が、たった数ヶ月で作り替えられていく。


「四半期の決算は、来月にはまとめられるか?」


「問題ございません。既に草案は仕上がっております」


「分かった。出来上がり次第、持ってきてくれ。目を通しておく」


「かしこまりました」


 網走は一礼して、部屋を出ていこうとする。


「網走」


「はい」


「これからも、よろしく頼む」


 振り返った網走の表情に、僅かな笑みが浮かんだ気がした。


「かしこまりました、洸介様」


 扉が静かに閉まる。


 窓の外では、二区の夜景が静かに輝いていた。

 皐月コンツェルンの本社ビルの明かりも、その夜景の一部として静かに輝き続けていた。

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