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幕間 その後の向陽サービス

 山内は、社内の冷たい視線に晒されていた。


 労基の立入検査をきっかけに、皐月コンツェルン全体の労務管理が問題視された。

 やがて本社に金融制裁まで入ると、資金繰りは一気に悪化し、向陽サービスも事業の縮小を余儀なくされる。

 それはドラマでしか見ないような、見事な凋落ぶりだった。


 その労基が入る原因になったのが、山内の密告だったという噂が社内に流れていた。

 山内は清掃員になったことが納得できずに、これはハラスメントだと労働相談所に確認しただけだ。


(どうして俺のせいになっているんだ。元はといえば、あの無能の仕事が遅かったのが原因だろ)


 労基が来た時に言われたのは、月百時間の残業の件だった。

 山内は、辞めた六月が嫌がらせを仕掛けてきたのだと考えていた。


「失礼するわね」


 突然、オフィスに一人の巨漢が入ってきた。

 スキンヘッドに黒のサングラス。

 光沢のある漆黒のスーツが、筋肉質な身体によく映えていた。


 男はフロアの中をグルリと回る。

 それは警備担当が危険物がないか確認するような動作だった。


 山内は目立たないように、フロアの端の方に移動していた。

 巨漢は見回った後、外に出ていった。


「あれは何だったんだ」


「見た目が怖かった」


「目が合わせられない」


 さっきの巨漢の感想が、社員の間で飛び交う。


 そうしている内に再び男が戻ってきた。

 全員が目を背け顔を合わせないようにしている。

 山内も壁を拭いている振りをしていた。


(もう面倒事はゴメンだ)


 その後から、二人の人物が談笑しながらオフィスに入ってきた。


「懐かしいな。ここで働いていたんだよ」


「そうなんですね。楓さんが働いていた職場に来れて嬉しいです」


 一人は髪を流すように上げ、仕立ての良い極上のスーツを着こなしている。

 見るからにデキる男だった。

 横に並んでいるのは、絶世の美女と言っても過言ではない容姿の女性。

 着ている藤色のワンピースが、とても似合っている。


 こんなに釣り合いのとれた男女がいるのかと、数人の社員が息を呑んで見ていた。


「あれ、加藤! 久しぶり」


 全員の視線が、加藤則夫に集中した。

 呼ばれた加藤の顔は困惑に染まっている。


「俺だよ、俺!」


 それに構わず、男は加藤に近づいていく。


「え? おま……まさか、六月か?」


「まさかって何だよ。まだ半年くらいしか経ってないぞ」


「まじか……見違えたわ」


「そうかな。変わってないと思うけど」


 その時、女性が楓の袖を引っ張った。


「楓さん!」


「あ、ゴメン。久しぶりだったんで。この人は加藤、俺の同期なんだ」


「初めまして、加藤さんですね。睦月凛と申します。夫がお世話になりました」


 凛が微笑んで小さく会釈する。


「ま、眩しい!」


 周囲で数人の男性社員がその場にうずくまった。


「こちらこそ、お世話に――え? 夫って……」 


 加藤は会釈しながら困惑した声が出た。

 楓と凛は同時に頷く。


「マジか」


「あ、そうだ。社長室は何処かな?」


 緩やかな会話の中、楓が思い出したように声を出した。


「睦月くん、こっちよ」


 スーツの男が丁寧に先導する。


「さすが、宮司さん!」


「もっと褒めてくれてもいいわよ」


「ちょっと社長室に行ってくる。凛も来てくれる?」


「はい!」


 スーツ姿の巨漢が前を歩き、楓と凛が続く。

 元同僚達は、それを後ろから眺めていた。


 山内はその後ろ姿を見送りながら、楓への仕返しを考えていた。


(社長室に行くということは、復帰を望んでいるのか? さては勢いで辞めたが、結婚して戻りたくなったに違いない。これは俺の出番だな!)


 山内の明晰な頭脳に、アイデアが降りてきた。

 清掃員であれば、社長室に入っていけるのではないだろうか。

 そこで社長に楓の正体をバラしてやれば、採用の芽はなくなるだろう。

 場合によっては、あの超絶美女と離婚になる可能性も出てくる。


 楓が辞めた後、山内はアミちゃんと別れている。

 あの気持ちを、楓にも味わってもらわなければ気がすまなかった。


 山内は、社長室に向かった。


   ☆


 社長室のドア前には、男が二人、直立不動で立っていた。

 山内は脳内のシナリオ通りに男に話しかける。


「清掃員の山内です。時間になったので社長室の清掃に来ました」


 社長室の清掃時間というのは決まっていない。


「聞いているわ。どうぞ」


(聞いているだと? まあ、とりあえず計画通りにいきそうだ)


 山内が社長室に入っていった。


(あの子が言っていた通りの動きね。中での会話が、ただの清掃員に分かるとは思えないのだけれど)


 宮司は壁にもたれかかって頭を軽く撫でた。

 

 部屋の中では社長と二人の男女が対面で座っていた。


「――ビスを――のネットワーク監視が――に持っていきたい。――インと――が連携している可能性があるから」


「ですが――。それなりの時間――――です」


 声のトーンを落としているようで、部分的にしか聞き取れなかった。


 山内は意を決して、三人に近寄った。


「失礼します。室内の清掃を始めますね〜」


「山内君。空気を読んでくれないか。今日の掃除は部屋の隅だけで大丈夫だ」


「まあまあ、社長さん。別にいいじゃないですか。聞かれても困るようなことではないですし。ここは上場していないのでインサイダーも関係ないでしょう?」


「睦月様がそう仰るなら……」


 社長の言葉遣いに、山内は眉をひそめる。


(六月様だと? まるで社長の方が下みたいじゃないか)


 湧いた疑念を抑えつつ、周辺の掃除を始めるのだった。


 楓と社長の話は、一方的な指示に終始した。


 向陽サービスの業務を、今の保守サービスからネットワーク監視会社に変更するという事。

 それに伴って、社員のスキルに応じた配置換えを行う事。

 皐月本社に日々の業務報告を送る事。

 それを元に、人事を三ヶ月毎に決定する事。


 その指示を聞きながら、社長は必死にメモを取っていた。


「ある程度、業務が定着したら、貴方には皐月本社に戻ってもらおうと思っています。本社の方も人材が足りていませんから」


「ご配慮ありがとうございます」


「今日の用事は以上かな。それじゃあ失礼します」


 楓と凛は立ち上がって部屋から出ていった。

 社長はその場で、深く腰を折り続けていた。


   ☆


 社長室から出た山内は、混乱していた。


(一体、何が起こっているんだ。あの無能が皐月コンツェルンの方針を決めているみたいじゃないか)


 雑巾を絞ってモップにセットする。

 バケツの水は既に泥色になっていた。


 楓は社長に皐月コンツェルンの業務方針の指示を出していた。

 山内には、それが意味することを理解できなかった。

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