十七話 前夜
宮司はリビングに入ると、そのまま腰を下ろした。
「あ〜、あたし喉が渇いたわあ。何か飲みものをちょうだい」
「そういうと思って給仕さんに作ってもらってます」
楓が目配せすると、宮司の前に飲み物が置かれた。
「あら、気が利くじゃない。さすがね」
「何がさすがか分かりませんが、とりあえず受け取っておきます」
宮司はコップを一気にあおった。
「さて、時間もないことだし状況を説明するわね」
「まずは外部の動きをお願いします」
「そっちの方が良さそうね。まず皐月コンツェルンが金融制裁を受けて、口座が凍結されたわ」
「やっぱり、お義祖父さんはやってくれますね」
「向陽サービスに労基を入れて、本社に乗り込んだそうよ。シナリオが決まった茶番みたいなものね」
「強引だなあ。さすが法治国家」
「お上の力は絶対ですものね。お館様が国会議員になったのも、魔術師を守る為らしいわ」
誰もが魔術師の未来を憂いている。
方法がそれぞれ違っていた、というだけの話だ。
「なるほど。それで内部はどうなっていました?」
「酷いものね。二区の裕福層ですら、まともに買い物ができない状態よ。学術院の物価が百倍になるなんて、誰も想像できないわ」
「……頃合ですね」
「あんた、何を考えているの?」
「簡単な詰めゲーですよ。凛、ちょっと出てくるね」
「え……この時間から何処に行くんですか?」
「四区のリーダーに会いに行くんだ」
「待って下さい。わたしも――」
「今回はだーめ。凛は洸介君とは元はといえ婚約していた仲。俺としては会ってほしくないんだ」
「それでも!」
「凛に何かあったら、俺が何をするか分からないよ?」
誰かの息が漏れる音がした。
凛は俯いて沈黙した。
「それじゃあ、行ってくるね。宮司さん、凛を頼みます」
「あんた一人で行く気なの?」
「洸介君と会うのは、俺一人の方が都合がいいんですよ」
「それはどういう……」
「彼を簡単に操れるからです」
楓は立ち上がると、廊下に向かった。
そして扉が開く音がした。
「操るってどういう……」
リビングにいる誰もが、楓の真意を理解できずにいた。
☆
楓はメビウスマンションに向かって、夜の道を歩いていた。
索敵魔法を展開しているが、特に尾行の気配は感じられない。
と思っていたら突然、前方で魔力反応を検知した。
(このタイミングで来るのか。皐月とは一枚板じゃなさそうだな)
見知った魔力の痕跡。
「久しぶり、ヴィクトリアさん」
『どうして分かったの?』
彼女は塀の影から現れた。
『何となくかな』
『またバカにしてる』
『そうでもないよ』
『あなたを貰いに来たわ』
『ある程度英語はできるつもりだったけど、今のは意味が理解できないな』
『言ったままよ。イギリスに連れて帰る。そして、ずっとわたしの側に飾ってあげる』
『俺、ホラーは苦手なんだ。今の言葉で背筋がゾクゾクするんだけど。どうやって飾るのさ』
『それは、お楽しみよ』
言い終わる前に、黒い弾丸の集中砲火が始まった。
しかし、以前と何も変わっていない。
視線で追える射線など、どれだけ撃っても当たるはずがない。
楓は一気に前に出る。
重心を揺らし、膝で動きをコントロールする。
ヴィクトリアは、楓の動きに翻弄されていく。
『くっ! 相変わらず軟体生物のような動きね』
『そりゃ、どうも』
距離を詰めて、指先に細い針のような魔法を構築する。
そしてヴィクトリアの右上腕に触れた。
前回も使った、神経伝達を一時的に遮断する魔法だ。
一瞬でだらりと脱力する腕。
『また、この魔法!? どうなっているの!』
『訓練の成果かな』
『またバカにしてる!』
バックステップで距離を取ろうとするヴィクトリアの右脚が、急に動かなくなった。
『逃さないよ』
『くっ!』
バランスが取れなくなって、地面に崩れる。
倒れる寸前で、楓が身体を受け止めた。
『離して!』
『地面に倒れたら怪我するだろ』
『わたしがどうなっても、あなたには関係ないでしょう』
『例え暗殺者でも、手が届く範囲はどうにかしたいんだよ。俺は』
『知っていたの!?』
『バカにするなよ』
そしてヴィクトリアの首筋に漆黒の針を撃つと、彼女は眠るように目を閉じた。
(本当に凛と朝練してなかったら終わってたな)
楓は彼女をお姫様抱っこの形で抱え上げると、そのまま歩き出した。
ちなみに凛との朝練は、楓が一方的にいじめられるほど過酷なものだった。
☆
【楓視点】
十分ほど歩いて、メビウスマンションに到着した。
既に両腕がプルプルと震えている。
ヴィクトリアさんは見た目より軽くはなかった。
「あ、睦月の旦那。どうしたんですか?」
「ちょっと、的場さんを呼んできてくれるかな」
「了解です」
マンションを見張っていたメビウスの一人が、奥へ走っていった。
俺も最後の気力を振り絞って歩き出す。
部屋から出てきた的場さんが、俺を見て呆れていた。
「テメエ、ここはホテルじゃねえぞお」
ヴィクトリアさんをベッドに横たわらせた後、的場さんから言われた最初の一言がこれだった。
「そんなの分かってますよ」
「訪ねてきたと思ったら外人の女を抱えてた。どんなファンタだと思ったぜえ」
「ツッコミどころはありますが、この人が網走の言ってた暗殺者ですよ」
「は? テメエ、大丈夫だったのかよお」
「少し前に戦った時と変わってなかったので、余裕でしたね」
「……テメエどうなってやがる。相手はプロだ。そう簡単に撃退できねえだろお」
「彼女より、網走さんの方がよっぽど怖かったですけどね」
「アイツは殺しより諜報がメインだろうがあ」
「気配を感じさせずに来たじゃないですか。彼女――ヴィクトリアさんは、魔力を隠せてませんでしたから」
「もう何がヤベえか分からねえ。とりあえず、この女は拘束するぞ」
「お願いします。絶対に手荒な真似はしないで下さいね」
「当たり前だ。俺達は以前のメビウスじゃねえ。テメエの――睦月の指示で動いている以上、迷惑はかけねえよ」
その言葉には責任感が見て取れた。
「ありがとうございます。ここ任せますね」
「テメっ! どこに行くんだ!?」
「洸介君に会ってきます。彼に大切な仕事を任せたいんで」
「ついにやるんだな?」
「はい。旧い体制を終わらせます」
俺は立ち上がると部屋を出た。
向かう先はマンションの最上階。
洸介君を監禁している部屋だった。




