十二話 皐月の焦り
皐月商品管理室内は、人が慌ただしく動いていた。
「四区のショップで商品が無くなっているぞ!」
「一体、何が起こっているんだ!? こんなことは初めてだ」
「とりあえず、外部からの供給を増やせ! ショップから商品が消えたことを雄介様に知られるのは不味い」
外とつながっている端末で、減っている商品を発注する。
入荷を急いでいる文言も添えて。
学術院での物価は、外の物価に合わせて調整されている。
特定健康診断で連れて来られた人々の金銭感覚が、極端に狂わないようにするための仕組みだった。
だからこそ、突然の品薄はシステムの根幹に関わる異常事態だと言える。
「応急処置で二区と三区から四区へ品物を転送しました。これで外から入荷してくれば、安定すると思われます」
「よくやった。確かに四区以外はゆとりがあるから、少しくらい在庫が減っても問題ないな」
商品管理室に、穏やかな空気が戻ってくる。
ここが設立されて以来、初めての緊急事態だった。
全員が、やりきったという表情を浮かべている。
「そういえば。最近、網走さんを見かけないな」
誰かがふと呟いた。
「確かに見ていない」
「あの人がいなくて大丈夫なんだろうか」
網走という人物は、皐月家の懐刀と呼べる存在だった。
様々な情報を精査して雄介に伝達していた。
その重要人物が、最近になって姿を見せなくなっていた。
だが、商品管理室のスタッフが深く心配するような内容でもない。
管理室の人間にとって、網走はあくまで別部署の人間だ。
網走秋への関心は、すぐに霧散していった。
六時間ほど経過して、二区や三区の品物が四区に到着したという連絡が入る。
「これで一安心だな」
「山場は越えたし、そろそろ帰ろうか」
「今日はモールに寄って店舗を確認してくる」
「そうだな。それが良さそうだ。全員、帰りに最寄りの店で品物の状況を見てきてほしい」
「了解しました」
「宿直班、後は頼んだぞ」
「これ以上、何も起こらないでしょう」
「確かに。何かあっても対処ができん」
軽口を叩きながら、次々と部屋を出ていく。
宿直班として残された二人は、椅子に座りながらモニターを眺めていた。
☆
二時間ほど経過した時、一人が異変に気づく。
「お、おい! また無くなってきているぞ」
「ん? は? え?」
居眠りをしていたもう一人が、寝ぼけ眼を擦った。
そうしている間にも、在庫データは減少を続けている。
画面に並んだ数字が、まるで生き物のように無くなっていく様子に絶望するしかなかった。
「……どうしよう。チーフも帰ったし」
「どうするもこうするも……俺たちには何もできないな」
数分で四区の物資が完全に枯渇した。
あまりに急激な変化に、宿直班の二人はモニターを見つめることしかできなかった。
何が起きているのか見当すらつかない。
☆
夜の十時になって、梟のナンバーツー、堂本一郎が管理室にやってきた。
網走がやっていた業務を、堂本が引き継いでいた。
この平凡な容姿の男もまた、梟という組織に相応しい希薄さを備えていた。
「問題はなさそうですか?」
堂本は宿直班に尋ねる。
しかし二人は、問題が表面化することを恐れていた。
ここで正直に報告すれば、たちまち自分達の管理不足が露見してしまう。
「何もありません。堂本さん」
「そうですか。失礼しました」
質問だけして、堂本は部屋から出て行った。
「危なかった。堂本さんに知られたら、雄介様まで上がっていたな」
一人が額を拭う素振りを見せる。
「こんな不祥事、絶対に四区に送られるよな」
顔を見合わせて頷き合う二人。
これ以上、出来ることは何もない。
外部への発注は済ませたし、あとは商品の入荷を待つことだけだ。
とりあえず品不足が発生したのが四区で良かった、と二人は考えていた。
二区や三区だったら旧月家の耳に入る可能性が高い。
それが原因で雄介にバレたりしたら目も当てられない。
四区は放置された場所だから、何も起こらないだろう。
二人は安堵の息をついて、そのまま寝息を立て始めた。
学術院において、最大の人口を抱えているのが四区だということを、すっかり忘れたままで。
☆
夜十時。
雄介の執務室のドアが丁寧に二回鳴った。
「入れ」
抑えた声で短く伝える。
「失礼します」
部屋に入ってきたのは堂本だった。
この時間に定例報告を行うよう、業務として組み込んでいる。
網走がやっていた業務の延長だ。
「それで?」
「と申しますと?」
雄介は失望のこもった、盛大なため息をついた。
「確認してきたことを端的に伝えてくれ」
「そうですね……」
堂本はしばらく視線をさまよわせて、紡ぐ言葉を探していた。
その沈黙の間、雄介の指先が机をコツコツと叩く音だけが響く。
甲高いその音が、部屋に神経質な雰囲気にしていた。
網走であれば、常に簡潔で正確な答えをすぐに返していた。
いなくなって初めて、その優秀さを雄介は実感していた。
「ご報告することは特に何もありません」
「なんだと……?」
「どの部署も平常通りに動いていました」
雄介は、その言葉に眉をひそめた。
平常通り。
雄介には、それを追及するだけの気力すら湧いてこなかった。
堂本を叱責したところで返答は変わらないだろう。
「……そうか。下がれ」
「失礼します」
堂本は音を立てずに扉を開けて退室していった。
部屋の中に一人残された雄介は、両肘を机につき、頭を抱えた。
(どこに行ったんだ、網走……)
洸介の行方も、システムへの侵入痕跡も相変わらず分からな
い。
それを探っていた網走自身の消息も、突如として分からなくなってしまった。
棚に置かれたワインのボトルが、部屋の明かりを受けて怪しく照らされていた。
その色は、いつも通りの深い赤のはずなのに、今夜だけはやけに黒く沈んで見える。
雄介はしばらくの間、そのボトルから目を離せずにいた。




