十一話 終わりの始まり
【楓視点】
天の壁を越え、四区に到着したのは十九時を回ってからだった。
「よお。今日は遅めじゃねえかあ」
的場さんが壁に寄りかかって、片手を上げた。
「ちょっと事前準備があって。今日は話があって来ました」
「いつものパッキングとやらはしねえのか」
「何も包まないですよ。それを言うならハッキングです。とりあえずメビウスマンションに行きましょうか」
「了解だ。今日は尾行られてねえよなあ?」
「周りに怪しい気配はないですね。魔法の範囲外だと分かりませんが」
「ちなみにどのくらいまでイケるんだあ?」
「百メートルくらいですね」
「ククク。テメエ、人間じゃあねえなあ」
「どうして俺がディスられてるんですかね」
「知らねえよ。行くぜえ」
的場さんが先導してマンションに向かう。
既に夜の帳は下りていて、暗い道に二人分の足音が響いていた。
☆
天の壁からマンションまでは徒歩一時間くらいだ。
到着すると、メビウスのメンバーに挨拶される。
俺も挨拶を返しながら的場さんの後を追う。
そして、一階の一番奥の部屋に到着した。
「この部屋でどうだあ」
俺が頷くと、的場さんは鍵を開けて中に入った。
部屋の中は雑然としていた。
「それで話ってのは?」
的場さんは年代物の椅子に腰掛けて、足を組んだ。
椅子から軋む音が聞こえてくるが大丈夫なのだろうか。
「これからの予定です」
「ほう。で?」
「これを見て下さい」
俺はタブレットを立ち上げて、所持金の画面を見せた。
「てめ……これは……」
的場さんが絶句する。
当然の反応だと思う。
「的場さんに、この半分をお渡しします。それで四区の品物を買い占めて下さい」
「……品物を買い占めるだと」
「はい。できるだけ一気に買い占めて下さい。それができるのは的場さんだけです」
「いつまでだ」
「一ヶ月後くらいまでだと踏んでいます」
「戦争でもおっぱじめるのかあ?」
「それも悪くないですね」
「チッ。テメエは相変わらず読めねえな」
「こんな善良な人間を捕まえてそれはないでしょう」
「……そうかよ。俺にこんな大金を渡して大丈夫なのかよ。欲が出て、どこかにトンズラするかも知れねえぜえ?」
「この計画が上手くいけば、本当の意味で学術院から出ることができますよ」
「……ココをどうする気だ?」
「さあ。ご想像にお任せします。どうですか、俺に賭けてくれますか?」
「あぁ、全賭けしてやる。神無月が途絶えてから、俺は死んでいた。だが今は生きてる気がするぜえ」
「良かったです。俺も的場さんに断れたら、大幅に計画の変更を余儀なくされていました」
「テメエ、最初っから俺を……」
「当たり前ですよ。俺は貴方を信用しています」
一瞬、沈黙が訪れる。
「コイツはとんだ人たらしだ」
「どうしました?」
「なんでもねえ」
「そうですか。ではタブレットを出して下さい」
「ああ」
俺はタブレットを操作して、五千兆トークンを移動させた。
「あ〜疲れた。それじゃあ俺は帰りますね」
「……お、おう」
俺は玄関を抜けてマンションを後にした。
これから先の計画を頭の中で組み立てながら、夜の四区を歩いていく。
(皐月雄介。貴方とのゲーム、楽しみにしているよ)
☆
【三人称視点】
霜月巌は、都内の高級料亭を訪れていた。
磨き抜かれた廊下を仲居に案内されながら進むと、その先には離れの一室が用意されていた。
障子越しに漏れる灯りが、庭園の飛び石を柔らかく照らしている。
学術院とは異なった静けさが漂う場所だ。
巌が敷居をまたぐと、既に一人の男が正座で待っていた。
恰幅のいい体格していて額の汗をハンカチで押さえている。
「待たせたな」
「いえ、時間など気になりません。霜月先生からお誘い頂けたのですから」
男の名は八本一。
現職の金融担当大臣だ。
国政における発言力は弱くはないが、党内での立場は巌に大きく依存している。
選挙区での応援演説によっては、当落が分からない地盤しか持たない議員だ。
料理が並び出したのは、巌が上座に腰を下ろすのと同時だった。
仲居が一礼して襖の向こうへ下がっていく。
「急なお誘いでしたけど、何かあったのですか?」
八本が箸を取りながら、探るような視線を向けてきた。
「ああ、半年ほど前に皐月が買った企業だが……」
「皐月さんの所ですか。わたしの耳にも入っていますよ」
「どういうことだ?」
「向陽何とかという所の社員が、ハラスメント問題を労基へタレ込んだらしいですね。末端の企業ですが、それでも皐月グループ。皐月さんも呆れているでしょうね」
巌は、その言葉を聞いて一瞬だけ動きを止めた。
脳裏に浮かんだのは、あのクソガキから聞いた話だった。
子会社にトラブルがあれば本社に手が伸ばせるかも知れませんね、と言ったか。
「たしか……向陽サービスと言ったか」
八本は嬉しそうに頷いた。
「そう、それです。さすがは霜月先生、よくご存じでいらっしゃる」
「そういう訳ではないが。ハラスメントで労基とはどういうことだ?」
「たまにいるんですよ。監督署にある総合労働相談センターと勘違いしている人が」
八本はどこか他人事のような口調で言った。
この男は、これから起きることのなど想像もつかないのだろう。
それで構わない、と巌は思う。
政治というのは、大半が最後まで盤面の全貌を知らないまま動いていくものだ。
「……ちょうど良い」
低く呟いた声に、八本が箸を止めた。
「はい? 霜月先生、どうされましたか」
「俺が向陽サービスの件で動く。一度、その子会社を捜索させよう。その後、貴様の方で本社に手を入れてくれるか?」
それは八本に対して、理由をつけて皐月本社にガサ入れを行えという命令だった。
「承知致しました」
指示を受けて、八本に否という返答は存在しない。
巌は、料理には手をつけないまま続けた。
「……二ヶ月だ」
「適当な理由で口座を凍結させましょう」
八本が真意を理解する必要はない。
忠実に命令を実行してくれれば今後も起用するだけだ。
「任せたぞ。八本金融大臣」
「霜月先生がそう仰るなら」
八本は即座に頭を垂れた。
「次の選挙には、君の地元まで応援に駆けつけよう」
「それは願ったり叶ったりでございます」
八本議員は、机に頭を擦りつけんばかりの勢いで礼をした。
これで皐月コンツェルンという巨大企業への強制捜査に踏み切らせることができる。
「それでは結果を待っているぞ」
料理に一切手をつけないまま、巌は席を立った。
「霜月先生、どちらに」
「次の約束があってな。先に失礼させてもらう」
「本日はありがとうございました!」
八本の声を背に、巌は座敷を後にした。
料亭を出ると、待たせていた黒塗りの車に乗り込む。
行き先は議員宿舎だった。
厚生労働大臣として向陽サービスの件で介入する筋書きを整え、労働基準監督署から皐月コンツェルンへと捜査の手を伸ばすための準備を行わなければならない。
表向きは労働問題、実際は資金の流れそのものを断つための布石だ。
(あのクソガキが仕掛けた勝負に、俺も乗ってやろうというわけだ)
車窓に流れる夜の街灯を眺めながら、巌は小さく息を吐いた。
時間は既に日をまたごうとしていた。




