八話 無月
【楓視点】
俺達は約束の十五分前に、霜月本邸へと到着していた。
執事に案内されたのは、前回と同じ応接室だった。
掛け軸の飾られた床の間、重厚な木製の座卓、障子越しに差し込む間接光。
以前ここに座らされた時は、その調度品の一つ一つに気圧されていた。
しかし今はもう、そういう感情は湧いてこない。
「あたしは扉の前にいるわ。何かあったら呼んでちょうだい」
そう言って、宮司さんは部屋から出て行った。
隣を見ると、凛が姿勢よく正面の扉を見据えていた。
背筋を伸ばした横顔は、いつもの冷静な彼女だった。
時計の秒針が、静まり返った部屋に響く。
特定健康診断の日の静まりかえった部屋を思い出す。
あの時は、これから何を言われるのかという不安でいっぱいになっていた。
よく似た状況のはずなのに、この時間がそれほど苦痛ではない。
それは、きっと隣に凛がいるから。
心に余裕がうまれると、ゲーマーとしての気持ちも上がってきた。
(必ず、お義祖父さんを攻略してみせる)
話の内容を思えば不謹慎な気もするが、これから始まるのは紛れもなくゲームだった。
魔力回路持ちが資源ではなく、人として暮らせる未来をかけた駆け引き。
大切な局面を賭けた勝負に、ゲーマーとして負ける訳にはいかない。
俺は大きく息を吐くと、正面の扉を見据えた。
「待たせたな」
扉が開くのと同時に、低音の効いた声がした。
「お義祖父様。時間を割いて下さり、ありがとうございます」
「時間がない。簡潔に話せ」
「それでは――」
俺は上着のポケットから、母が遺した指輪を机の上に置いた。
「お義祖父様は、これが何かご存じですか」
「皐月の魔道具だな。これがどうした?」
「それでは、これがどういう原理で動くのかは」
「それは知らん。皐月の企業秘密だ。貴様はこんな問答のために俺の時間を使うのか?」
お義祖父様が獰猛な視線を向けてくる。
さっさと本題に入れ、ということだろう。
俺は続けて、胸ポケットから一本のペンを取り出し、机に置いた。
「何だこれは?」
明らかに機嫌が悪くなっている。
「これは俺が以前、勤めていた会社で、上司からのハラスメントを録音しようと購入したボイスレコーダーです」
俺はペンの腹にあるボタンを押した。
『……皐月魔道具研究所の始まりは――』
ペンから流れ出したのは網走さんの声だった。
昨日、洸介君のマンションで聞かされた話が、そのまま部屋の中に再現されていく。
☆
『――洸介君、また来るよ』
俺の声を最後にペンが無言になる。
俺は電源を切った。
お義祖父さんはソファに背を預け、天井を見上げていた。
ちなみに凛は話の途中で部屋から退出している。
顔色が青ざめていたので、俺の方から席を外すよう促した。
少し落ち着いてくれていると良いのだが。
時計は二十一時を大幅に回っている。
だが、この話が打ち切られそうな気配はなさそうだ。
「これは皐月家の梟のトップ、網走さんとの会話を録音したものです。この話を聞いて、皐月家をどうにかしたいと考えました」
お義祖父さんは微動だにしない。
「そこで俺は、あの家を破綻させようと考えました。これを見て下さい」
俺はタブレットを机に置き画面をつけた。
そこには、俺のトークン残高が表示されていた。
その額、一京。
お義祖父様の表情が明らかに強張った。
「……貴様、これは?」
「俺が正規に働いた報酬ですよ」
嘘は言っていない。
昨日、皐月のサーバーにアクセスして手に入れた報酬だ。
ただし、その働き方について詳しく説明する気はない。
「……バカな」
「政治家のお義祖父様なら、この数字が意味するところは分かりますよね」
お義祖父さんの眉間にシワがよる。
「……日本の総資産よりも多い」
「そうです。つまり学術院が発行しているトークンはデタラメな貨幣で、何の裏付けもない子供銀行券のような存在ということになります」
お義祖父さんは黙り込んだ。
俺は気にせず話を続けた。
「俺はこれを使って、皐月家の資産を飛ばそうと考えています。ですが、外から援助をされると長期戦になってしまう。そこでお義祖父様には、外部からの援助ができないように動いて頂きたいと思っています」
「……続けろ」
「皐月コンツェルンを上場廃止にして下さい。そしてレッドライン――いえ、ロスファー家からの援助を切って下さい」
「皐月は金に物を言わせて有能な弁護士を抱えている。ハッキリ言って不可能だ」
「本社はそうかも知れません。ですが、子会社――例えば向陽サービスに小さなトラブルがあれば、本社にも手を伸ばせるかも知れませんね」
「貴様……俺には――」
「失礼します。先ほどは失礼しました」
その時、凛が申し訳なさそうに戻ってきた。
「もう大丈夫? 顔色は問題なさそうだけど」
「はい。かなり良くなりました」
俺は再びお義祖父さんに向き直った。
「俺には否定されたように聞こえましたが、もう一度お願いします」
「俺にはできん」
苦渋の表情を浮かべている。
だが、この条件を飲んでもらえないと、今後の戦いはかなり厳しくなることが予想できる。
ここで簡単に退くわけにはいかない。
「……そうですか。それでは仕方ありません。お義祖父様に魔術決闘を申し込みます。受けて下さいますよね?」
「楓さん、す、少し待って下さい。お祖父様はこれまで決闘では負けなしです。考え直して下さい!」
「このクソガキ。俺が勝ったら貴様には死んでもらうぞ」
「結構です。それでは俺が勝ったら、皐月のパイプラインを完全に止めて下さい」
「二人とも頭を冷やして下さい! 宮司さん! 宮司さん!!」
勢いよく扉が開いて、宮司さんが飛び込んできた。
「どうしましたか、お嬢様」
お義祖父様がいるためか、いつものオネエ言葉ではない。
「楓さんがお祖父様に魔術決闘を申し入れたんです! 二人を止めて下さい!」
宮司さんは俺を真っ直ぐに見た。
俺は小さく頷く。
「それでは、わたしが見届けさせて頂きます。お二人とも異存はないですか?」
「宮司さん!」
凛の声は絶叫に近かった。
「クソガキ。貴様、なぜ引かん?」
「簡単な話ですよ。俺には月隠がある。それだけです」
「月隠か……」
お義祖父様の表情が、初めて変わった。
一瞬、深く考え込む仕草を見せる。
「……分かった、貴様の言う通りに動こう」
「え? お祖父様?」
「睦月は無月。睦月の前に月は無し、か……」
お義祖父様は遠い目をしながら、そう呟いた。
「無月……ですか。先ほどのつきがくしといい、どういう意味ですか?」
「睦月というのは、それだけ特別ということだ」
お義祖父様は立ち上がった。
「金融担当大臣に話を通す。三日もあれば、動きくらいは出せるだろう」
「宜しくお願い致します」
「……クソガキが。だが凛を貴様に任せて正解だったようだな」
それだけ言い残して、部屋を出て行った。
その横顔には笑みが浮かんでいるように見えた。
残された俺達は、それぞれに緊張をほぐしていく。
「楓さん! どうして、あんな無茶を」
「これは、お義祖父さんにしかできない仕事だからね。魔術決闘というシステムがあって良かったよ」
「良くないです!」
「良くないわ!」
二人の声が、ぴったりと重なった。
それを聞いて、二人がどれだけ心配してくれているのか、改めて理解した。
だが、これからが本番だ。
賽は既に振られている。
俺は全力を尽くすつもりだった。




