六話 牧場
【楓視点】
網走さんの搾り出すような声が、静まり返ったダイニングに落ちた。
「当時の睦月家当主、彩様によって魔素の存在が公になりました。それを裏付けるための研究機関が、皐月魔道具研究所の前身――魔力回路研究所でした」
俺は相槌を打ちながら、聞き逃しがないよう意識を集中させた。
少し離れた場所に座っている洸介君も、身を乗り出すように耳を傾けている。
「そこでの研究は、人体から魔力回路を取り出すというものでした。年端のいかない幼児と、先が短い老人を集めて解剖を行なっていたと聞いています。しかし魔力回路は心臓近くにある器官です。全く上手くいかなかったと聞いています」
「ちょっと待って下さい。上手くいかないとは……?」
「睦月様のご想像の通りです。抽出に失敗した方は、全て亡くなったと聞いています」
聞いていて胃の底が冷たくなるのを感じた。
禁書庫で見た数字が脳裏を過ぎる。
(考えるな。今は話を聞くのが先だ)
頭の中で嫌な想像が膨らむのを、無理やり押し留めた。
「睦月事件は、睦月家の人体実験が引き金になったと聞いています。だが俺が調べた結果、そんな事実はなかった」
「わたしは、梟とゼロが工作していたと聞いています」
「……ゼロ、ですか?」
初めて聞く言葉だった。
網走さんの顔に、とまどいのが見える。
「マイゴッド……雄介様との話し合いが既に済んでいるのであれば、近々紹介があると思われます。ロスファー家が支配するレッドラインの諜報部隊。世界屈指の精鋭です。貴方にはもう関係のない話ですが――最近留学してきたヴィクトリアも、レッドラインの暗殺者です」
「ちょっと待って下さい。どうして暗殺者が学術院に? ここは安全な場所だと聞いていたんですが」
「普通の生活をしている一般の魔術師にとっては、安全な場所です。しかし、旧月家にとっては権力闘争の最前線です。特に睦月家の復活は、皐月家にとって厄介の種でしたから。貴方の排除と秘技を手に入れることに、マイゴッドとエレーナ様の思惑が合致したのでしょう」
どこかで聞いた覚えのある名前だった。
「……エレーナ様。お義祖父様の奥さんか?」
「さすが、よくご存じでいらっしゃる。エレーナ様は根っからの貴族です。霜月家への投資と、皐月家への投資を同時に行っています。ダブルスタンダードというのは、ロスファー家のお家芸ですね」
ようやく、睦月事件の真相の輪郭がはっきりと見えてきた気がした。
お義祖父さんは、皐月家の進言とレッドライン諜報の後押しで判断したと言っていた。
あの言葉が、今になって別の意味を帯びてくる。
つまり――母は、嵌められた。
俺の中で、沸々と怒りが込み上げてくる。
それなのに頭の芯だけがすっと冷えて、冷静になっていくのが分かった。
「話を戻しますが、魔力回路の取り出しは結局どうなったんですか?」
「技術的な問題だったので、実験を繰り返して徐々に成功率が上がっていったと聞いています。現在は三十パーセントほどの成功率になっています。これはロスファー家からの援助がなければ成し得なかったことでしょう」
「……外道が」
「はい? 何か言われましたか?」
「いえ、何も」
俺は喉の奥に落ちた苦いものを飲み込んだ。
「成功した魔力回路はどうされてるんですか。何かに保存しているとか?」
「それが魔道具です。取り出した魔力回路を、特殊な方法で人工アルミナに蒸着しています。アルミナは魔力との親和性が高いので、一度だけ魔力回路に刻まれた魔法を使うことができます」
それはつまり――魔道具で魔法を使うということは。
俺は無言のまま立ち上がり、トイレに駆け込んで吐いた。
胃の中のものがすべて出た後も、便器の前から動けなかった。
内容があまりにも非人道的すぎた。
魔道具という言葉の裏に、これほどのものが積み重なっていたとは思ってもみなかった。
母が最期に遺したあのメモの意味が、今になって重く胸にのしかかってくる。
トイレから戻ってきた俺に、網走さんは鋭い視線を向けてきた。
「これくらいで吐くようでは、覚悟が足りないのではないですか? ゴッドは魔術師の未来のために、心を鬼にしてこの事業に心血を注いでいるのです」
魔術師の命を奪っておいて未来を憂いているなど、詭弁もいいところだ。
喉元まで出かかった言葉を、俺は寸前で飲み込んだ。
ここで感情のまま話を折るわけにはいかない。
まだ聞かなければならないことがある。
「皐月さんはどういう視点で、魔術師の未来を考えているんでしょうね?」
「マイゴッドからは何も聞かれていないのですか?」
網走さんは訝しげな視線を向けてきた。
「父上は考えていることを他人に言うわけがない。自分の思い通りにならないと納得しない人だから」
洸介君が何かを思い出すように、絞り出すような声で言った。
「俺は何も聞かされていないですね。網走さんは知っているんですか?」
「……あくまで、わたしがマイゴッドを見ていて感じたことですが」
「皐月さんとの取引を進めていく上で重要な内容です。網走さんの意見として教えて下さい。貴方が言ったことは表に出しませんから」
網走さんはしばらく黙り込んだ。
拘束された身体で、背筋だけは伸ばしたまま天井の一点を見つめている。
「僭越ながら。マイゴッドは学術院を、魔術師の楽園にしようと思われている節があります」
「既に魔術師にとっては楽園のような場所だけど……」
確かに魔術師には住みやすい場所だと言える。
だが堕天した人達のことを考えているとは、とても言い難い。
「十五年前、学術院建設当初からゴッドの意向により、今のシステムが構築されました。現在、愚民よりも生活の質は上だと言えます。それを更に向上させるために、魔道具という素晴らしいアイテムを製造しているのです」
「言っている意味が分からない。愚民というのは何ですか? それと堕天した人達のことは?」
「愚民は愚民ではありませんか。魔力回路を持たない、愚かな民草のことです。それと堕天した方ですか。堕天している時点で、魔術師ではなく家畜です」
その言葉が耳の奥にこびりついた。
家畜。
生きた人間を、そんな一言で片付ける。
「つまり学術院は、選ばれた人だけの楽園、ということですか」
「その通りです。マイゴッドは魔術師を頂点とした世界の構築。未来永劫の繁栄を望まれていると思われます。睦月様も旧月家の一員。魔術師が幸せになる未来を思い、我が皐月家に協力してくださるのでしょう?」
俺は笑顔を保てているだろうか。
この男を、今すぐにでも黙らせたいという衝動が迸る。
それを必死に抑え込んでいた。
「その通りです。ところで、作った魔道具はどうされていますか? 保管しているとかですか」
「魔道具は主に販売されています。卸しているのは――」
「そういうことですか。レッドライン……いえ、ロスファー家という訳ですね」
「――その通りです。さすが、マイゴッドを商談の席につかせただけのことはある」
「そんなことは……。しかし、どうやって魔力回路持ちを集めているんですか? 日本中で四万人しかいないのに」
「四区ですよ。家畜どもは勝手に増えていきます。最近まで、管理局でさえ家畜の数が分かっていなかったのですから」
「……人ではない、と?」
「そうです。家畜で十分でしょう。僅かなトークンで命を差し出す生き物を、人とは呼べません」
(ああ、そういうことか)
俺は、学術院の目的にようやく気がついた。
母が望んだ魔術回路持ちの未来。
皐月家を落とし、今の学術院という仕組みを変えない限り実現できそうにない。
四区で暮らす人々。
的場さんも、メビウスの連中も、洸介君も。
彼らが『家畜』という一言で切り捨てられる世界を、俺は許せなかった。
「網走さん、貴重な話をしてくれてありがとう。申し訳ありませんが、貴方をここから出すわけにはいかなくなりました」
俺は立ち上がって玄関に向かう。
網走さんの顔は、もう見たくなかった。
「洸介君、また来るよ」
そのままドアを開ける。
再びペンの尾栓をカチリと押す。
的場さんが廊下の壁に背を預けたまま、こちらを見た。
「……どうしたあ?」
「何がですか」
「オメエ。泣いてるじゃねえか」
どうやら知らない間に、涙が出ていたらしい。
頬に触れると手が濡れていた。
「……これから無くなるものが多くて、悲しかったのかも知れないですね」
「…………」
的場さんは何も言わなかった。
夜空には雲一つなく、月が学術院を照らしている。
皐月家の言う『楽園』の上に、月は分け隔てなく光を注いでいた。
俺は指先に無属性魔法を練り上げ、宙へと放った。
黒い靄が音もなく広がり、輝く月を完全に覆い尽くしていった。




