幕間 魔術決闘 後編
隼斗が掲げた手を振り下ろすと、戦いの火ぶたは切って落とされた。
刹那、的場の靴底が床を蹴り飛ばした。
風を纏った身体が一瞬で加速する。
訓練場を三度踏み鳴らした瞬間、的場は最高速度に達していた。
霜月流星の顔が目前に迫る。
「うるああああぁぁぁっっっ!!!」
怒号と共に右の拳が空気を震わせた。
流星は体を反らす。
難なく、流れるように。
的場の拳が虚空を切った。
勢いが殺せず、そのまま横を通り抜けた。
振り返った瞬間、全身に衝撃を受けた。
的場が勢いよく床に尻餅をつく。
「痛てえなっ! 何しやがるっ!!」
両手をついて立ち上がると、目の前に透明の壁が立っていた。
白いモヤが薄く漂いながら地面へゆっくりと流れている。
「チッ……氷か。だが、そんなもの俺には効かねえんだよっ!!」
すかさず右のストレートを叩き込む。
破砕音が訓練場に響いた。
氷壁は砕けてキラキラと幻想的に床に散る。
「うおおおおぉぉ! 死ねえやあああああ!」
素早い左のジャブ。
だが流星は既に動いていた。
指先から白い靄が広がり、拳と氷がぶつかり合う。
「ぐっ……か、硬ってええなああ! クソがっ!」
今度の氷は割れなかった。
的場が拳を抱えて後退する。
先ほどより明らかに氷の密度が高く、そして硬い。
(厚みを変えてやがる)
流星は少し首を傾けて、遠くの楓を見た。
「う〜ん。下の中くらいだね。睦月君、これは使えないんじゃないかな?」
「そう言わずに、お義兄さん」
楓は気にする様子もない。
「ああん、てめえら! 使えないと言ったか?! 俺を舐めんじゃねええええ!!」
「舐めてるというより、事実なんだけどね」
ワンツーから蹴りを放つ。
全て流星は氷で受け止めていた。
右手は着物の袖に収めたまま、左手だけで的場の攻撃を捌き続けている。
「クソクソクソクソ!! くそがあああぁぁぁっ!!」
殴るたびに手が痛む。
蹴るたびに足に衝撃が返ってくる。
それでも止まれなかった。
「魔法が使えるのに――」
流星が口を開いた。
「最初だけだったね。持っている才能を活かさず、安易に物理に走ってしまうなんてね」
「うるせええぇぇっ!!」
氷壁を砕いても次の壁が来る。
厚みはどんどん増していた。
拳を打ちつけるたびに、奥から軋む音がする。
感覚が遠くなって痛みさえ感じなくなっていた。
それでも的場は攻撃の手を緩めない。
「クソ……クソ……どうして届かねえんだよ」
声トーンが一段階落ちてきていた。
「俺ではダメだって言うのかよおおお!! クソがああああぁぁ!!!」
雄叫びが空気を震わせる。
ひたすら拳を振り続けた。
壁の表面に、赤い染みが広がっている。
「もうおしまいかな? それでは反撃させてもらうよ」
流星の静かな声がした。
途端、死角からの氷柱が的場の顎を捉えていた。
ごつ、という鈍い音。
的場の膝が折れ、そのまま崩れ落ちる。
「勝負あったわね。局長の勝利よ」
隼斗の宣言が、広い訓練場に静かに響いた。
☆
的場が目を開けると天井が見えた。
全身が重い。
顎が特に痛んだ。
拳に感覚はなく、ジンジンと熱だけを感じる。
身体を起こすと正面に楓が立っていた。
「……それで俺は何をすればいいんだ?」
勝敗が確定して的場は声を絞り出した。
約束は守らなければならない、という覚悟が見える。
「君には睦月君の駒になってもらおうと思ってね」
「はあぁ? コイツの駒だあ?」
「そう、俺の駒になってほしい。四区で顔が効く的場さんにやってもらいたい事がある」
「勘弁してくれや。何で俺が、こんな……」
「試合開始前に言ったわよねえ」
隼斗が懐から拘束具を取り出した。
にこやかな笑顔のまま的場に向ける。
「約束は絶対に守りましょうねって」
「……最悪だ」
がっくりと肩を落とした。
「それで俺は何をすればいいんだあ?」
「簡単な仕事ですよ」
楓が少し前のめりになった。
「こんな感じの端子がある場所を探して欲しいんです」
「なんだこりゃあ? 見たことがねえな」
「詳しく説明しますね。多分、四区には――」
楓が話し始める。
話を聞いても的場には何の事かサッパリ分からなかった。
眉間に皺を寄せたまま腕を組む。
流星にも楓の話は理解できないでいた。
学術院で生活をしてきた人は見たことがないからだろう。
隼斗は知っていたので補足を入れてみたが、余計に混乱させただけだった。
楓は何度も説明を続けた。
三時間が過ぎた頃、的場は納得した顔になっていた。
そして訝しげに目を細める。
「てめえ……何考えてやがる?」
「別に――」
楓は飄々と答えた。
「ちょっとしたゲームですよ」
的場は黙ってその笑顔を見た。
(コイツの考えている事は理解できねえが……面白そうじゃねえか)
「チッ、わあったよ。やってやる」
的場は立ち上がった。
痛覚が戻ってきたのだろう。
手が痛みだしてきた。
そして顎も痛い。
だが足取りは軽かった。
扉を開けて廊下へ出て振り返らずに片手を上げた。
「三日くれ。絶対に探してきてやる」
扉が閉まった。
「……的場が本当に動くと思う?」
隼斗が静かに口を開いた。
「動きますよ。絶対に」
「根拠は?」
「分からないのに三時間、理解しようと俺の話を聞いていました。ああいう人は約束を守ります」
隼斗はしばらく閉じた扉を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
天御柱の廊下の向こうで、的場の足音が遠ざかっていった。




