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幕間 魔術決闘 前編

 翌日の十一時三十分。


 的場迅は天の壁の前に立っている。

 三十分も前に来てしまった自分を、的場の中で冷静な部分が嘲笑っていた。

 こんなに早く来てどうするんだと。

 だが無意識に足はここへ向かっていた。

 それを止められるはずもない。


 一方で、胸の奥には抑えきれない高揚感が燃えていた。


 十年間、くすぶり続けてきたものが、ようやく叶う。

 その実感が、じわじわと全身に広がっていった。


(三十分早く来ちまった。我ながら笑っちまうぜえ)


 この気持ちを抑えろという方が無理な話だ。


 天の壁に近い北側は、南の禁書庫付近と比べて人通りがかなり多い。


 ペットの散歩をしている男女が連れ立って歩いている。

 少し離れた場所では、老人がひたすら同じルートをランニングで駆けていた。

 壁に向かって魔法の練習をしている男性の姿もある。

 四区の中でも、ここは比較的穏やかな空気が流れていた。

 さすがに女性が一人でいる姿は見かけないが、それは四区ならどこでも同じことだ。


「早く来やがれ。睦月のクソガキ」


 小さく呟いたつもりが、声に出ていたらしい。


 近くを歩いていた住人が驚いて、足早に距離を取る。

 そういう反応に慣れている的場には気にならない。


(今日は大人しくしといてやるよ。決闘前にしょっ引かれたら笑えねえ)


 歪んだ笑みを浮かべながら、壁に背を預けた。

 目を瞑ると、冬の陽射しが瞼の裏を白く照らす。


 十年前の記憶が、静かに浮かんできた。


   ☆


 長月家が魔術決闘で敗れて堕天した後、霜月巌は神無月家に傘下に入れと脅してきた。


 あの頃の霜月巌は、睦月家を滅してから何かに憑かれたように家の力を拡大しようと躍起になっていた。

 旧月家の序列を再編しようとしていたのかもしれない。

 だが神無月家にとって、霜月は序列上は格下だった。

 降伏勧告に従うはずもなかった。


 そして忘れもしない二月二十五日の未明、霜月が強襲をかけてきた。


 奇襲に対して無防備だった神無月はあっという間に制圧された。

 的場も応戦した。

 だが宮司という男との戦闘で、的場は捕らえられてしまった。

 あの男は強かった。

 対人戦闘に特化した動きに翻弄された的場は手も足も出ない。


 捕らえられた神無月一族は、霜月の臣下になることを断った。


 連れて行かれた一族を、それから的場は見ていない。

 噂では皐月の研究所に送られたと聞いたことがあるが、真偽は分からない。

 そして十年が経った。


 的場を含めた神無月ゆかりの人間は、全員が堕天して四区送りになった。


 あの日から的場の中に、一つの概念が生まれた。


 力こそ全て。


 正義でも理屈でもなく、力を持つ者だけが生き残る。

 その信条は今後も変える気はない。


   ☆


 十二時ちょうど、二人の男が現れた。

 禁書庫で顔を合わせた、あの二人組だ。


「申し訳ないけど、お義兄さんは忙しいので天御柱まで来てもらいます」


「ああ、いいぜえ。霜月と殺れるんだったらなあ」


「あなた、本当に物騒よねえ。もう少し余裕を持った方が良いわよ」


「うるせえ。誰のせいだと思ってやがる」


「知らないわよ」


 隼斗はそう言いながら、懐から拘束具を取り出した。


「暴れられたら困るので、コレを使わせてもらうわね」


「ああ、やってくれ」


 的場は抵抗しない。

 この後のメインイベントを考えると、拘束具に嵌められる感触など些細な事だからだ。


 三人は天の壁を越えて、三区へと歩き出す。


 道中、すれ違う人々が拘束具に視線を向けた。

 的場は全く気にしなかった。

 視線で人を殺せない以上、気にする必要などない。


(この十年……長かった。……少しだ、もう少しで仇がとれる!)


 一日千秋の思いで待ちわびた時が、ようやく訪れようとしていた。


 天御柱が近づいてくるにつれて、的場の足取りは知らずのうちに速くなっていた。


   ☆


 三人が天御柱に着くと、管理局の最下層へと向かった。


 エレベーターを降りると、広い空間が広がっている。

 管理局員用の訓練施設だ。

 壁も床も天井も、対魔法アルミナで加工されている。

 あらゆる属性の魔法を受け止め、暴発を防ぐための構造だった。

 魔術決闘を行うには、これ以上ない場所だと一目で分かる。


 到着すると隼斗が内線を鳴らした。


「局長はすぐに来るそうよ」


 隼斗はそう言ってから楓の方を向いた。


「しかし、凛ちゃんもよく説得できたわね」


「受けてくれないとお兄様と口をきかない、と脅したらしいですよ」


「あの時の事、よっぽど怒ってたのね」


「どうでしょうね」


 的場はその会話を何気なしに聞いていた。

 凛というのは禁書庫で顔を合わせた霜月の女だろう。

 しばらくして、訓練場の扉が開いた。


「やあ、お待たせ。時間もないし早速始めようか」


 颯爽と現れたのは、着物姿に金髪という派手な出で立ちの男だった。


 霜月流星。

 的場は今初めて、その男の顔を正面から見た。

 旧月家にしては意外なほど柔らかい笑顔をしている。


「それじゃあ、拘束具を外すわよ」


 隼斗が操作をすると、拘束具が床に落ちた。


「待ってたぜええぇぇ! この瞬間をよおおぉぉ!」


 刹那、的場は風を全身に纏わせた。

 加速した身体が、流星に向かって殴りかかる。


 だが次の瞬間、的場の足が根を張ったように止まった。

 それだけではない。

 前のめりになった重心が制御できなくなって、的場は盛大に床に顔面を打ちつけた。


「へぶう!」


「前と変わってないな〜」


 楓の声が上から降ってきた。

 呆れたような声だった。


「何しやがる! これを外せ、クソガキ!」


「的場さん」


 楓はしゃがみ込んで、的場の目線に合わせた。


「禁書庫での約束があったから俺達は協力した。けれどもそちらから反故にするんだったら、ここで終わりにするけど?」


 静かな声だった。

 怒鳴るでもなく、脅すでもなく、淡々とした声だった。

 それが的場には効いた。


 終わり。

 その言葉の意味を、的場は正確に理解していた。

 ここで霜月との決闘を逃せば、次の機会はいつになるのか分かったものではない。

 四区で爪を研ぐ作業はもうたくさんだった。


「……分かった。早くしやがれ」


「君は面白い人だね」


 流星が上品に笑った。


 的場の表情が、一瞬で憤怒に変わった。


(このクソガキ……。テメエに笑われる筋合いはねえんだよ)

 

 霜月に笑われるのが、何より腹立たしかった。

 だがギリギリのところで的場はそれを抑えた。

 今はまだ抑えなければならない。


 ゆっくりと立ち上がる。


 安全を確認した楓が無属性魔法を解除した。

 的場の足から影が消える。


「それでは正式な申請に基づいて魔法決闘を始めるわね」


 隼斗が前に出た。


「勝った時の要望はあるかしら?」


「俺は霜月と戦えたらそれだけでいいぜえ」


 的場はそこで少し考えてから、続けた。


「いや、俺が勝ったら局長は四区に来てくれ。それだけだ」


「わたしは特にないんだけど、睦月君があるらしいのでそれにするよ」


 流星は楓の方をちらりと見て軽く頷いた。


「それでは条件が確定したわ。これは負けた方が絶対に遵守しなければならない。それを忘れないで」


「おう、何でもやってやる」


「わたしも異議はないよ」


「見届人は睦月家当主、睦月楓。審判はあたし、宮司隼斗が務めるわ。命を脅かす魔法の使用や急所への攻撃は禁止よ。あたしが戦闘不能と判断した時や、どちらかが降参したら決闘終了よ」


 隼斗が一歩引いて、訓練場の端に立った。


「それでは始め!」


 的場は既に全身に風を纏わせていた。

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