↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

62/66

幕間 もう一つの舞踏会

 詩織の視線は、ホールの中央のある一点に固定されていた。


 周囲では生徒たちが思い思いの場所に立ち、今か今かと開始を待っている。

 観覧席では着席した生徒たちの声が飛び交い、ホール全体が祭りの前夜のような熱気を帯びていた。

 だが詩織の耳には、その熱狂は届いていなかった。


「詩織〜。いくらガン見しても、この距離じゃおっさんの顔までは見えないんじゃないかな〜」


 隣で遊がウンザリしたような声を上げながら、同じ方向に視線を向けた。


 フロアの中央付近に楓の姿があった。

 ダンス用の衣装に身を包み、ヴィクトリアと向かい合っていた。

 背筋が伸びて、いつもの講義の時とは明らかに違って見える。


「べ、別に見てないし。衣装に目移りしてただけだし!」


「はいはい」


 遊は早々にこの話をきり上げて別の話を振った。


「ところで詩織、ダンスなんてできるの?」


「はあ? あんた、バッカじゃない! おっさんにできて、あたしにできない訳ないじゃない!」


「それだったらいいけどさ」


 遊は曖昧に頷きながら、ホールの観覧席の方を見た。


「そういえば霜月……じゃなくて睦月嫁は今日どうしたんだろ?」


「え? タブレットにメッセージ届いてたじゃん」


「なんか覚えてないんだよね〜」


(これ、現実逃避してるヤツだ)


 遊は内心でそう思ったが口には出さない。


「そう言えばさ。長月が旧月に戻ったんだって?」


「うん。あ、曲が始まるみたい」


 ワルツの調べが、ホール全体に流れ出した。


   ☆


「ちょ、ちょ、ちょ!」


「あ、わり。うわわ! どうなってんのコレ!」


 踊り始めた瞬間に、二人は気づいた。


 ワルツの三拍子は、聞いている分には穏やかで優雅に聞こえる。

 だが実際に身体を動かしてみると、そんな簡単な話ではない。

 右に出て、回って、戻るという単純に思えるステップ。

 だが音楽に合わせて行うとなると、恐ろしいほど難解になる。


「あわわわわわ、わわわわわわ」


「わわわじゃねえよ! ちゃんとついて来いって」


「無理無理! こんなの無理だって!」


「よく舞踏会に出ようと思ったな」


「おっさんが出るんだから仕方ないじゃん!」


「わわわ!」


「危なっ!」


 詩織の足が盛大に絡まった。

 二人の重心が崩れる。

 詩織を庇うようにして遊が身体を傾ける。


「あいた!」


 遊が尻餅をついた。


「ごめーん、遊」


 詩織が慌てて手を差し伸べた。


「と言うか、詩織見てみろ」


「え!?」


 そこには優雅に舞う楓とヴィクトリアの姿があった。


 緩やかな三拍子に乗って、二人の踊りは滑らかで無駄がなかった。

 リードとフォローが自然に噛み合っていて、お互いを知り尽くしているかのような動きだった。

 ヴィクトリアのプラチナの髪が弧を描いてひるがえるたびに、観覧席からざわめきが起きている。


「やっぱカッコいいんだけど」


 詩織は思わず呟いていた。


「あたしだって! 負けないんだから!」


「ゴメン、詩織。僕はもう無理そう」


「え? どうして?」


「今ので足をちょい痛めたみたい」


 遊は床に座り込んで、足首のあたりをポンポンと叩いた。

 たいした怪我ではなさそうだったが、踊り続けるのは難しそうに見える。


「じゃあ、観戦モードだ!」


 詩織は遊の隣に腰を下ろした。

 フロアを正面から見渡せる、悪くない位置だった。


   ☆


 ポルカが始まった。


 ワルツの穏やかさとは打って変わった、軽快で速いリズムが流れ出す。

 フロアのペアたちは最初の数小節で早くも足が追いつかなくなり、一組、また一組とその場に座る。


「遊、さっきの件だけど」


「霜月……じゃないや、睦月嫁の件?」


「あんた、ワザとでしょ。そうじゃなくて長月本家」


「旧月家に戻ったって聞いたよ」


「一週間前から三区に越してきたんだけど……」


「良かったじゃん」


「……それが、あたし、本家に入る事になっちゃって……」


 詩織は膝の上に手を乗せたまま、フロアを眺めていた。

 その横顔には、いつもの強がっている様子は見えない。


「ほう。詩織も出世したなあ」


「語尾に笑って文字が見えるんだけど!」


「バレてた。それで?」


「……ババアから本家の跡取りに指名された」


「おま……出世しすぎだろ?」


 遊の声から、軽さが少し消えた。


「ババアは長月が復帰できたのは、あたしがおっさんを連れてきたからだって」


「確かそうだよな」


「それで秘術も譲られた」


「本気じゃん」


「うん。これから、どうしようって」


 詩織の声は、いつもより低い。

 強がりでもなく、照れ隠しでもなく、ただ率直に迷っている声。


 ポルカが終わった。


 会場に拍手が鳴り響く。

 二人が見渡すと、フロアで立っているペアは二組しかいない。

 七割近くが床に座り込んで休んでいた。


 楓とヴィクトリアは相変わらず、美しいポーズを保っていた。


「跡取りになったら、もう婿を貰うしかなくなるね」


「そうなる」


「詩織はまだ若いんだし、ゆっくり考えればいいんじゃない?」


「あたしより若いのに何言ってくれてんの」


 詩織は苦笑した。

 忘れがちだが遊は四つも年下だ。


 タンゴが始まった。


 ヴァイオリンが刻む鋭い二拍子が、ホールの空気を一変させた。

 フロアに残った楓とヴィクトリアが、タンゴの型に入っていく。


「最悪、僕が婿に行ってやるから。詩織は好きなようにすればいいじゃん」


 遊はそっぽを向きながら言った。

 耳が真っ赤になっている。


「遊……あんた……」


「…………」


「バッカじゃないの!」


 詩織は遊の肩を平手でバンと叩いた。


「痛!」


「でも、ありがと」


 それだけ言うと詩織は遊の肩にもたれかかった。


 遊は何も言わなかった。

 叩かれた肩のあたりをさすりながら、フロアの方を向いていた。

 その耳の赤みは、なかなか収まってくれなかった。


   ☆


 その時、ホールを揺るがすような喝采が巻き起こった。


「なんだ! なんだ!?」


 全員の視線がフロアの中央に集まっていた。


 楓とヴィクトリアがフィニッシュのポーズをとっていた。


 タンゴの終幕らしい、切れのある静止。

 二人の間に張り詰めた空気が漂っていて、その姿は様になっていた。

 周囲の観覧席からは、感嘆のため息が漏れ聞こえてくる。


 詩織はしばらく、その光景を眺めていた。


(カッコいい、とは思う。でも……)


 ため息が、自分でも気づかないうちに出ていた。


 隣では遊がフロアを見据えながら、静かに決意していた。


(絶対に詩織は、僕に振り向かせてやる)


 拍手はまだ続いていた。

 ホールの灯りの下で楓とヴィクトリアが頭を下げる。

 詩織の肩が、遊の肩に触れたままだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。