第二十四話 如月舞踏会 後編
スサノオのセレモニーホールは、普段とは全く違う装いになっていた。
中央のフロアを取り囲むように立ちテーブルが並び、その外側には座席が設けられている。
ホールの奥ではオーケストラの演奏者たちが椅子に座り、音の調整を行っていた。
弦を弾く音、管楽器の吹き鳴らし。
それらが重なっては消えていく。
フロアではすでに数組の生徒たちが、パートナーと最後の確認をしていた。
曲に合わせて足を動かしたり、リードとフォローのタイミングを確かめたりしている。
その様子は真剣で、普段とはまた違った緊張感があった。
楓と凛は観覧席の椅子に並んで座っていた。
「へえ、セレモニーホールを使うんだ」
「スサノオにはあまり広い場所がないですから。ダンスをしようと思うと結構なスペースが要りますよね」
楓は凛との練習を思い出しながら頷いた。
マンションの一室で、二人で練習に励んでいた日々。
凛に手本を見せてもらって、壁に何度かぶつかりそうになりながら繰り返した。
「確かに。今日は絶対にミスるよな〜。やっぱり出場しない?」
「そう言いながら、最近は難なく踊れていましたよね。楓さんの適応力は少し怖いくらいです」
「それはないな。俺が出来てるのだったら、それは凛の教え方が上手いんだと思うよ」
「もう! 楓さんたら」
「うぐう」
凛の肘が、楓の脇腹に痛恨の一撃を打ち込んだ。
笑いながら身を縮める楓を横目に凛はホールを見渡した。
観覧席は既に八割ほど埋まっていた。
☆
しばらくして、参加する生徒たちがフロアに揃った。
文月校長の簡単な挨拶が終わると、ペアを組んだ生徒はそれぞれの持ち場に立って待機する。
楓とヴィクトリアも、指定された場所で向かい合っていた。
「今日はよろしくね、ヴィクトリアさん」
「こちらこそ」
簡単な挨拶を交わす。
ヴィクトリアの表情は穏やかだったが、その目はじっと楓を見据えていた。
やがて弦楽器の音が奏でられ始める。
最初の曲はワルツだった。
楓はヴィクトリアの肩に手を添えた。
三拍子のリズムが空気を満たし、二人は緩やかに回り始める。
広いフロアに弦の音が満ちて、周囲のペアたちも同じように動き出した。
観覧席からの視線を感じながら、楓は足元に意識を向けた。
練習通りに。
ただそれだけを考えて。
曲に合わせて身体を動かしていると、ヴィクトリアが口を開いた。
「貴方は一体何者なの?」
「新婚のしがない教員かな」
「あの時、わたしは魔法を連射した。けれど貴方にはカスリもしなかった」
「慣れの問題だと思うよ」
「どれだけ訓練をつめばあの動きが出来るの!?」
ヴィクトリアの声に、苛立ちが見え隠れする。
「それは企業秘密ということで」
「睦月に伝わる門外不出の秘技という訳ね……つまり、あの技が月隠という訳ね!」
楓はダンスを続けたまま、驚いた素振りを見せた。
「へえ! ヴィクトリアさん。月隠を知っているんだ」
「わたし、日本の魔術師事情には自信があるの」
『ああ、そういう事。やっぱり皐月家は侮れないね』
ヴィクトリアの動きが乱れた。
ほんの一瞬だったが楓は見逃さない。
楓は表情を変えないまま、リードを続けた。
『……わたしが知っていただけよ』
『そうだよな』
弦楽器の音がその言葉を包み込んで、周囲には届かない。
その時、ちょうど曲が終わった。
楓とヴィクトリアはポーズを取る。
周囲から拍手が響いた。
☆
次に演奏されたのはポルカだった。
軽快な二拍子が、先ほどのワルツとは全く違う空気をホールに作り出した。
テンポが速く、踏み切りと移動のリズムが細かい。
フロアの何組かが、出足から戸惑うような動きを見せていた。
楓とヴィクトリアは再び向かい合った。
二拍子のリズムに乗って会話が再開する。
『貴方はどこまで知っているの』
『さあ、何の事か分からない』
ヴィクトリアは強引に楓を引き寄せた。
互いの距離が縮まる。
『またバカにしてるわ』
『とんでもない』
楓は遠心力を利用して、自然に距離を取り直した。
攻めてくる動きを、踊りの中に溶け込ませるようにして対応する。
しばらく、二人は会話を止めてダンスに集中した。
軽快なリズムの中で、足が刻む音だけが続く。
観覧席からは歓声に近い声が上がっていたが、楓の耳にはほとんど届いていない。
ヴィクトリアが、また口を開いた。
『ところで貴方、ダンスが上手いのね。日本ではあまり嗜まないと聞いていたけれど』
『それは間違いない。一般人はダンスに触れる機会なんてまず来ないね』
『そう。相当、練習を積んだという訳ね』
『うちの奥さんの教え方が上手すぎたんだろうね』
『ふ〜ん。お熱いことね』
『イエス! そういうのはどんどん言ってよ』
ヴィクトリアの口元が僅かに動いた。
何かを言いかけて留まったような素振りだった。
曲が終わり、二人がポーズを取った。
盛大な拍手が会場を包み込む。
その拍手の大きさに、楓は少し違和感を覚えた。
☆
最後はタンゴのリズムが流れてきた。
ヴァイオリンが刻む切れの良い二拍子。
タンゴ特有の張り詰めた緊張感が、ホール全体の空気を引き締めた。
楓はヴィクトリアの背中に手を回した。
『貴方って本当に万能ね』
『それはヴィクトリアさんが上手いからだね』
『……バカにしないで』
『そんなことはないよ』
ヴィクトリアの指先が、楓の肩に少しだけ力を込めた。
タンゴのステップが続く中、ヴィクトリアが再び口を開いた。
『ところで、貴方から皐月はどう見えてるの?』
『……あの家こそ万能という言葉が似合うね』
『そう。よく分かった』
『そう言えば、この前さ訓練では――って言ってたよね』
『……続けて』
『魔術師が訓練って。やっぱりアメリカって進んでいるんだ』
『…………リカじゃな……』
『え?』
『……何でもない。そろそろ終わりそう』
それだけ言うと、ヴィクトリアは視線を正面に戻した。
会話はこれで終了という事なのだろう。
楓はそれに従ってダンスに集中する。
ヴァイオリンの音色が止まった。
二人は静止してポーズを取った。
『今日のダンス、パートナーになってくれてありがとう』
『……どういたしまして』
会場に拍手が轟く。
楓は息を整えながら周囲を見渡した。
フロアに立っているのは、楓達だけだった。
他のペアは全員、座っていた。
(……あれ?)
いつの間に、という疑問が浮かんだが、答えはすぐには出てこなかった。
『悪い、ヴィクトリアさん。何か周りの様子がおかしい』
ヴィクトリアはポーズを解いて、フロアを見渡した。
『どうして他の人達は座っているの?』
『分からない』
楓は周囲に軽く会釈しながら、凛の座席へと向かった。
(ほとんど収穫なしか……。そう簡単にはいかないよな。まあ、それでも俺がやる事は変わらないんだけどな)
その顔には超難度のゲームを攻略する時の笑みが浮かんでいた。
☆
「楓さん、説明を要求します!」
「何の!?」
席に戻ると凛は明らかに不機嫌だった。
「二人以外は二曲目の中盤あたりでリタイアしていました。ですので、お二人だけが最後まで踊り切った形になります」
「何でみんなリタイアしちゃってるの!?」
「皆さん、ポルカは難しかったみたいです。わたしとも踊ったことがないはずですが、どうして踊れたのでしょう?」
「マジで? 話に集中していて全然気づかなかった」
「話ですか?」
「そう。どうやら皐月家が絡んでいるみたい」
凛の表情が、一瞬だけ止まった。
「……それは、どういう」
「別に何も考えなくていいと思うよ」
「そうですか」
凛は短く答えた。
「とりあえず、早く帰ろうか」
「そうですね」
楓と凛は立ち上がって、ホールの出口へと向かった。
その背中を、ヴィクトリアは少し離れた場所から眺めていた。
二人が並んで歩く様子を静かに見送っていた。
ホールの拍手はまだ続いていたが、その音は彼女の耳にはほとんど届いていなかった。




