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第二十一話 再訪長月本家

  【楓視点】


 俺と宮司さんは再び、築五十年のアパートを見上げていた。


 前回、来た時と変わらない外観だった。

 剥がれかけた外壁、錆びた手すり、くすんだ表札。

 改めて四区という場所は前の住居に似ていると感じる。


(そう言えば洸介君に電話しないと。皐月さんに先を越されると面倒になる)


「宮司さん、ちょっと電話しても良いですか?」


「問題ないわ。ゆっくりなさい」


 俺はタブレットを取り出して連絡先を呼び出した。


 コール音が三度鳴った。


『どうしました? 六月さん』


「ああ、洸介君。元気にしてるかい?」


『ええ、六月さんのお陰で体調は戻りました。ありがとうございます』


 電話越しの声は、以前に比べると随分と落ち着いていた。

 少なくとも、生きることを諦めたような感じでは無くなっている。


「それを聞いて安心したよ。ところで妙な噂を聞いたんで共有しようと思って」


『どんな話なんですか?』


「洸介君が昇天するっていう噂なんだけど……」


 電話の向こうで息を呑む気配がした。


『勘弁して下さい! 僕はもう前みたいになるのは嫌なんです』


 完全にトラウマになっている。

 これでは皐月家から電話が入ったとしても、連れて行かれる事はないだろう。

 現状維持なら問題ない。


「その気持ちよく分かるよ。また洸介君のお父様から連絡入ると思うけど、断ったら良いんじゃない? 誰も君を責めないと思うよ」


『……分かりました。六月さんの言う通りにします』


「うん、身体に気をつけて。何かあったら連絡くれる?」


『ありがとうございます!!』


「はーい。それじゃあね」


 通話を切ると、横で宮司さんが微妙な表情をしていた。

 腕を組んで、サングラス越しにこちらを見ている。

 何かを言いたそうな顔をしていた。


「お待たせしました。行きましょうか」


「貴方が何を考えてるか知らないけれど、変な事はしないでね」


「するわけないですよ。何か起こって皆と一緒にいる今の生活を壊したくないですから」


 宮司さんは少し黙った。

 それから小さく頷いた。


「……そうね。分かったわ、行きましょ」


 俺達は軋む階段を上がっていった。


   ☆


 二階に上がって突き当たりの部屋まで進むと、俺はドアをノックした。


 返事はやっぱり返ってこない。


 俺は詩織がやっていた呼び鈴の順番を思い出しながら、ボタンを押した。

 

(最初に三回、少し待って一回、続けて二回だったよな)


 しばらくすると扉が薄く開いた。


 隙間から鋭い老婆の視線がこちらを窺っている。

 前回と全く同じだった。

 もしかすると、これが長月家のスタイルなのだろうか。


「おばあさん、一ヶ月ぶりくらいですね。元気にしてましたか?」


「またあんたかい。話す事はないよ。帰っとくれ!」


「俺にはあるんです。長月の昇天と旧月家の復帰、叶いましたよ」


 隙間の向こうの視線が揺らいで、一瞬止まった。


「……嘘をつくなら、もっと上手くつくんじゃな! そんな見え透いた嘘など要らんわ」


 老婆の声がわずかに震えていた。


「これが証明です」


 俺はタブレットを扉の隙間に向けた。

 理事会の決定事項が表示された画面だった。

 議案番号、審議日時、全員一致での可決という文字が、はっきりと映っている。


 しばらくの間、全てが止まった気がした。


 隙間の向こうで老婆が、タブレットの画面を見たまま静止していた。

 その眼球の動きも止まっている。


「……………………」


 扉の向こうで何かが動いた。


「何をしとる、このクソ坊主! はよ中に入らんか!!」


 扉が大きく開いて俺の腕が強く引かれる。

 老婆とは思えない力だった。

 引っ張られるまま俺は部屋の中に引き込まれる。

 宮司さんも続いて入ってきて、扉が閉まった。


 部屋の中は以前と何も変わっていなかった。

 六畳の畳間に古びたちゃぶ台、台所の作業台、薄い染みのついた天井。

 大きく違ったのは老婆の態度だった。

 気が付くと、こちらを向いて深々と土下座をしていた。


「以前のご無礼、大変申し訳ございませんでした」


 しわがれた低い声が畳に向かって発せられる。


「特に奥様への失礼の数々、申し開きもできません。本当に申し訳ありませんでした」


 俺は少しの間、その姿を眺めていた。


 頑固な老婆が慣れない動作で頭を下げている。

 小さい背中から見えた誠実な態度が、俺の中でストンと腑に落ちた。


「覚えてくれたんだね。妻には伝えておくよ」


 俺は老婆の言葉を受け止めながら続けた。


「昇天の手続きとかはお婆さんに任せる。申し訳ないけど俺は方法を知らないからね。管理局の局長に連絡をとれば、手続きの説明があると思う」


「承知しました」


「その改まった態度、どうにかならないかな。前とのギャップがありすぎて、正直困惑してる」


「それはできません。長月が恩人に対して無作法と思われてしまいます」


 老婆は顔を上げながらそう言った。

 その目には、前まであった狡猾さや怒りは見えなくなっていた。


「……そっか」


 俺は一拍置いてから、本題に入ることにした。


「それで、お婆さんが言ってた睦月と六月の関係性なんだけど」


「わたくしが知っている事を全てお話します」


 老婆はゆっくりと畳に座り直した。それから背筋を伸ばして、遠い記憶を手繰り寄せるように、一度だけ目を閉じた。


「睦月彩様と六月という名の深い繋がりをお話するには、まず彩様がどういうお方だったかを知って頂く必要があります」


 俺は黙って、老婆の言葉を待った。

 宮司さんも、いつの間にか腕を組むのをやめて、静かに立っていた。


 そして老婆は語りだす。

 俺が生まれた、三十年前の真実を。



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