第十七話 霜月本邸 後編
俺とお義兄様が思い描いていたアルミラージは、全くベクトルが違っていた。
俺はゲームのモンスターを考えていた。
森を徘徊する一角ウサギ。
見た目の可愛らしさに反して非常に凶暴だったりする。
対してお義兄様は、中世ヨーロッパの空想上の生物として話していた。
一本の螺旋状の角を額に持つ白い野兎。
近づく者を角で刺すという伝承があるらしい。
それでも一角を生やしたウサギという点は共通していたので、二人で思ったより盛り上がった。
「それでは六月君のゲームでは、アルミラージが動き回るんだね?」
「そうですね。でも敵設定なので戦わないとダメです。倒すと素材がドロップするんですよ」
「戦うのか……。でも見てみたいね、アルミラージ」
「良かったらマンションに来ますか? いつでも良いですよ、お義兄様」
「また連絡する。そのゲームとやらは、学術院では買えないんだろうね」
「店で探したことがないので何とも言えませんね。今度、買い物に行ったら見ておきます」
そこで俺はふと気になっていたことを口にした。
「ところで話は少し変わりますけど、学術院の商品仕入れは、どこかの企業が請け負ってるんですか?」
「学術院内の商売関係は全て皐月家が取り仕切っているよ」
「……なるほど」
俺は相槌を打ちながら、内心で静かに考えていた。
「この学術院が滞りなく回っているのは、皐月家が上手くやっているからなんだろうね」
「本当に! 上手くやっていると思います」
お義兄様は俺の顔を見て少し目を細めた。
何かを言いかけた時、応接室のドアが開いた。
☆
「久しいな、月隠の魔術師」
「お義祖父様は変わりなさそうですね」
巌さんは入ってくるなり、部屋全体を見渡した。
流星さんが立ち上がろうとする。
「お義兄様にも同席してもらって良いですか?」
巌さんは俺を見てから、扉の外に声を飛ばした。
「おい、隼。絶対に誰も近づけるな」
「ハッ!」
隼さんの返事が響くと、足音が遠ざかっていった。
巌はソファに腰を下ろす。
老獪な政治家の視線を向けてきた。
「半時間だけくれてやる。始めな」
俺はわざとらしく一つ咳払いをした。
「それでは。まず言っておきます――」
俺は一拍、間を置いた。
「この話を断られた瞬間、俺は貴方達を殺します」
雰囲気が重くなったが気にしない。
ポケットから四つ折りにしたメモを取り出して、テーブルの上に置いた。
「なっ!?」
流星さんの声が上がった。
対して巌さんは声を出さなかった。
ただテーブルの上のメモに視線を落として、そのまま微動だにしない。
「……これを何処で手に入れた?」
巌さんの視線が、ゆっくりと俺に向いた。
「禁書庫です」
「禁書庫?! そんな報告は――」
「落ち着け、流星」
巌さんが静かに制する。
流星さんは口を閉じた。
「それで月隠の魔術師、これを使って何をするんだ?」
「俺を全力でバックアップして下さい。まずは睦月家を旧月の序列に戻したい」
巌はメモから目を離さないまま、低く答えた。
「それは約束しよう。来月頭の理事会で承認させる。だがその場合――」
「俺は今日から睦月を名乗ります。また近日中にDNA検査も受けます」
「お祖父様、待って下さい! 彼が睦月家の人間と決まった訳ではないでしょう!?」
流星さんが割り込んだ。
「いや、間違いない」
「DNA鑑定もしていない! 何を根拠に!」
「貴様も魔術祭で見ただろうが。睦月の秘術――月隠を」
「睦月の秘術? 月隠? それでは既に公然と……」
「そう言う事だ。三十年前に消えた秘術の名でこの男が睦月の跡取りというのを浸透させるつもりだったが……」
「俺が名乗りを上げれば結果オーライですよね。お義祖父様のシナリオ通りじゃないですか」
巌さんは少しだけ眉を動かした。
「早ければ良い、というものではないが。それで他に何かあるのか?」
「長月を再び昇天できませんか?」
「無理だね」
即座に返答したのは流星さんだった。
「昇天は理事会全員の承認が要るんだ。おそらく皐月に反対されて通らない」
「……それでは皐月を潰しましょう。睦月みたいに」
「貴様、言葉が過ぎるぞ」
巌さんの声が一段低くなった。
「でも事実ですよね? 俺に唆されて下さい」
「六月君! 言動が君らしくない。どうしたんだ!」
流星さんが身を乗り出してくる。
俺はメモを指差した。
「俺は冷静です。お義祖父様から新年会で、睦月を討った理由を聞きました。ですが、このメモには正反対の事が書かれている。つまり霜月巌と睦月彩のどちらかが嘘をついている――もしくは騙されている――という事です」
巌はメモを凝視していた。
「死に面した人がわざわざ嘘を遺すでしょうか? 可能性は無くはないでしょう。けれど保存術を使ってまで遺すには理由があると思います」
「……俺が判断したのは皐月からの情報だった。それを後押ししたのがレッドラインの情報だ」
「レッドライン? あの献血の、ですか?」
俺は努めて驚きを表に出さないようにしていた。
「そうだ。国際的な医療組織だが、持っている情報網は世界レベルで見ても秀逸だ。妻が理事長をしている事もあって、色々と融通が効く」
(妻が、理事長? レッドラインだと?)
机の上に置かれたメモの内容。
睦月彩という人は魔術師の未来を憂いていた。
最期の力を振り絞って、誰かに届けようとしていた。
メモを見た瞬間から、睦月彩=人体実験という構図は、俺の中には無くなっていた。
「俺からはどうして、とは聞きません。当時の事は分かりませんから。ですが、大切なのは『これから』だと考えます」
「……時間をくれ。判断ができん」
「俺への投資はどうでしょう?」
「貴様からの意見は一旦聞こう。だが全て叶えるというのは違うだろう?」
「それで充分です。それと情報は、ご自身で確認した方が良いと思いますよ」
巌さんは俺を見た。
その目の奥が揺れていた。
「……小僧が」
流星さんは顔面蒼白のまま、口を閉じていた。
「あと長月本家が俺の生い立ちを知っていそうです。序列復帰を条件に教えてもらう約束をしました。こちらも検討して下さい」
「よくも、次から次へと……」
「本当にそうですよ。まだ一月も始まったばかりだというのに色々ありすぎて困っています」
巌さんは深く息を吐いた。
「……これで言いたかった事は全部か?」
「まだありますが、今は止めておきます」
俺は少し間を置いた。
「お義祖父様、絶対に奥様に話をしないで下さいね」
巌さんの目が、僅かに細くなった。
「……分かっている」
今日は来た甲斐があったと思った。
巌さんとレッドラインというのを、切り離せる可能性が出てきた。
「用も済んだので俺は帰らせてもらいます。また何かあったら連絡しますね、お義祖父様」
俺は立ち上がって、応接室を後にした。
☆
廊下を抜けて玄関で靴を履き替えながら、時計を確認した。
予定よりも一時間押していた。
(凛が心配してるかな。後で連絡しよう)
庭園を抜けていく。
灯籠の明かりが相変わらず水面に揺れている。
今夜の話を整理するのは帰ってからでいい。
リニアに乗り込み、揺れのない移動の中で、ただ窓の外の光を眺めていた。
二区の駅に到する。
ホームに降りた瞬間、人影に気づいた。
「待っていたわ。六月先生」
プラチナブロンドのショートボブが冬空に映えていた。
ヴィクトリア・フォーレルが、妖しい瞳を向けてそこに立っていた。




