第十六話 霜月本邸 前編
【六月視点】
マンションに戻るなり、俺は秘匿回線を開いた。
時刻は午後八時を少し回ったところだった。
禁書庫から帰ってきたばかりで、コートもまだ脱いでいない。
タブレットを操作しながら、リビングの中央に立って呼び出し音を数える。
三コール目で、相手が出た。
「お久しぶりです。お願いがあって連絡しました」
『どうした。内容を言ってみろ』
「俺が睦月の血を継いでいるのはどうすれば証明できますか?」
『血液検査をすれば良い。管理局に相談しろ』
「ありがとうございます。それでは旧月家の力はどうすれば手に入りますか?」
『どうした? 欲が出てきたか』
「全力で――使えるカードを全て切らないと、家族を守れないと判断しました」
短い沈黙があった。
『……話が見えんな』
「秘匿回線ですら危険と考えています。俺に賭けてもらえませんか?」
『悪いが、勝てる戦しかしない主義でな。内容を全て聞かせろ。話はそれからだ』
「それが普通だと思います」
『このクソガキが』
呆れとも苦笑ともつかない声がした。
『二時間後、本邸に来れるか?』
「行きます」
『そうか。では俺も向かうとしよう』
「ありがとうございます」
秘匿回線を切ると、凛が心配そうな顔でこちらを見ていた。
ソファの端に腰掛けたまま、俺の顔をじっと見ている。
「誰と話をされていたのですか?」
「霜月のお義祖父さんだよ。この後、本邸に行ってくる」
「お祖父様ですか!? あの話し方で大丈夫だったのですか」
「まあ、俺は一般人だからハードルが低いんじゃないかな」
「そういう問題ではないのですが……」
凛は眉を少し寄せてから、意を決したような顔になった。
「私も行きますから!」
「そう言うと思ってた。絶対にダメ」
「どうしてですか!?」
「凛の体調が心配だから。禁書庫から戻ってきたばかりだろ。もし万全だったらお願いしてた」
「……やっぱりズルいです。付いていくと私のわがままになるじゃないですか」
凛はそう言いながら、少しだけ上目遣いになった。
普段の凛からすれば、相当な奥の手のはずだ。
「そんな上目遣いしてもダメだからね。宮司さんに連絡しておくよ」
「……は〜い」
「いい子だ」
俺は立ち上がりながら凛に口づけをした。
凛の頬が僅かに赤くなる。
「じゃあ、行ってくる」
「……はい。お気をつけて」
タブレットを操作しながら玄関へ向かった。
隼斗への連絡は歩きながらでいい。
☆
マンションを出ると、冬の夜風が頬をかすめた。
(寒い。でも、思ったよりは柔らかいな)
そう感じてから、最近、真冬の夜に外出していなかったことを思い出した。
二区に来てからというもの、仕事が終われば凛と夕食を取り、魔法の練習をして、それで夜が終わる。
気づけばそれが日常になっていた。
空を見上げると星がいくつか見えた。
三区の頃より、少しだけ澄んでいる気がする。
(学術院は不自然なほど天国みたいな場所だな)
向陽サービスで過ごしていた頃のことを思い出す。
週に五日、同じ生活を続ける日々だった。
あの環境が悪かったわけではない。
ただ、今の生活の方が生きている感じがする。
新年会で一度訪れたことがあったので、霜月本邸への道には迷わなかった。
リニアで移動して、そこから少し歩く。
時計を見ると、まだ一時間以上余裕があった。
(早すぎるか? でも、まあいいか)
立派な門の前に立ち、チャイムを探した。
見当たらない。
仕方なく木製の扉を手で叩いた。
しばらくすると正面の小さな門が開いて、黒のスーツに身を包んだ人物が姿を現した。
「六月様ですね。お館様からお話は伺っております。こちらからどうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
案内されるまま敷地の中へと踏み込んだ。
しばらく歩くと日本庭園が見えてきた。
新年会の時にも目にしていたはずだが、あの時は飾り付けやら人の多さやらで、落ち着いて眺める余裕がなかった。
今は違う。
灯籠の明かりが水面に揺れて、手入れされた松の枝が月光の中に浮かんでいる。
池の向こうに見える石橋の上を、微かな風が通り過ぎていくのが分かった。
(これは確かに凄い)
感動していると、正面玄関に到着していた。
「どうぞ、こちらにお履き替え下さい」
スリッパに履き替えて廊下へ上がる。
磨き上げられた廊下が、灯りを反射してぼんやりと光っていた。
「六月君じゃないか。今日はご苦労だったね」
廊下の奥から声がかかった。
振り返ると流星が立っていた。
局長室と同じ着物姿で、穏やかな笑みを浮かべている。
「……流星さん。こちらこそ、ありがとうございました」
「お祖父様と約束があるんだったね」
「そうですね。もう少し後ですけど」
「珍しいね」
流星は廊下を歩きながら、こちらへと近づいてきた。
「わたしがアポを取っても、一週間待ちなんてザラだからね」
「運が良かったみたいですね」
「……フム」
流星は俺の顔をしばらく見てから、口元を僅かに緩めた。
「お祖父様が来るまで、わたしと話さないかい?」
「緊張するので遠慮しておきます。失礼な発言をするかも知れないし」
「そうかい? 六月君はわたしの義弟になるわけだけど、そんなに他人行儀だと悲しくなるね」
「是非、今度ご一緒させて下さい」
流星はしばらく俺を見てから、小さく笑った。
「中々、君はタヌキだね」
「それは可愛くないので、せめてウサギでお願いします」
「……アルミラージ」
聞き慣れない単語が、流星の口から出てきた。
「……もう一度いいですか? お義兄様」
「アルミラージ」
流星は繰り返した。
その表情は真顔だったが、目の奥が笑っていた。
「こんな場所でファンタジーを語れるなんて思わなかったです」
「わたしもだよ。義弟がファンタジー好きだったとは、言ってみるものだね」
俺は嬉々として流星のお義兄様についていった。
お義祖父さんを待つ時間も思ったより悪くなさそうだ。
俺はそう思いながら、お義兄様の後を歩いていった。




