第十五話 禁書庫
「……ここに睦月の本邸があった」
六月は呟いた。
ステンドグラスから差し込む光が、床に虹色の模様を作っている。
その光の中に立ちながら、再び絵の中の女性を見上げた。
穏やかな表情。
広げた両腕。
虹色の衣。
どこかで見た気がする。
それを思い出せないのが引っかかっていた。
「詳しい事は分からねえ。俺もガキだったしなあ。だが噂は知っているぜ」
的場が口の端を吊り上げた。
その笑みには、どこか嗜虐的な色が混じっていた。
「睦月が人体実験に絡んでいたっていう噂をな! しかも、笑えねえオチがあってよお」
的場は視線を六月へと向けた。
「黙りなさい!」
隼斗が拳を放った。
だが的場はその一撃を、なめらかな動きで躱した。
拘束された身体で巧みに避けた。
「どうして当主は炎に焼かれたんだろうなあ?」
礼拝堂に沈黙が落ちた。
三人の呼吸が同時に止まる。
「ククク、興が乗ってきたからサービスだ」
的場の笑みが更に歪んでいく。
「当主は人体実験にハマりすぎて、魔法が使えなかったらしいぜえ。なあ、面白え話だろお?」
沈黙が続いた。
「……当時の事は分からない。背景も知りようがない」
六月は的場の顔を見ていた。
「あぁ?!」
「だが調べる事はできる。的場さんが言った事は全て噂でしかない。俺は色眼鏡をつけたまま判断したくない」
「……なんだと?」
的場の表情から嗜虐的な笑みが消えた。
何かを測るような目が六月を見た。
「言った通りだ」
六月は素早く凛と隼斗に向き直った。
「時間がない。宮司さん、メビウスをお願いします。可能であれば連絡先を聞いておいて下さい。凛、一緒に来て!」
「ええ!」
「あたしに全部任せなさい!」
六月は足早に奥へ向かった。
凛がその後に続く。
二人の足音が礼拝堂の奥へと遠ざかっていく中、的場はその背中をしばらく目で追っていた。
「……なあ、宮司のダンナ」
「何かしら?」
「あいつ、何が見えてんだ?」
隼斗は的場を一瞥した。
「言ってる意味が分からないわ」
「そうか。悪かったな」
(連絡先? 何を考えてやがる……)
的場はステンドグラスを見上げた後、静かに俯いた。
☆
ホールから続く通路の途中に、台の上に置かれた認証端末があった。
見慣れた形状の装置に、六月は安心感を覚える。
学術院の設備は全て同じ仕様らしい。
「では」
二人は順に手をかざした。
ディスプレイに時刻と名前が表示され、登録が完了する。
更に奥へと進んでいくと、通路の突き当たりに扉があった。
重厚な金属製の扉だったが、所々が赤茶けた錆に侵食されている。
蝶番にも錆が走っており、これまで誰も手を入れていない事が一目で分かった。
「開けます」
凛が管理局で預かった鍵を取り出した。
錠に差し込んで回すと、カチリと金属音が鳴る。
扉が軋む音を立てながら開いた。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
二人は無意識に手を繋いで、扉をくぐった。
☆
中には書棚が並んでいた。
だがそれよりも先に、部屋全体の異様な光景が目に飛び込んできた。
床の一部が溶けていた。
火の熱によって変形した床材が、波打つような形のまま固まっている。
低い柱のいくつかは木炭化しており、黒く焦げた表面が剥がれかけたまま、時間を止めたように立っていた。
三十年前の夜の記録が傷跡として刻まれていた。
「……楓さん」
凛の声が震えている。
その顔を見ると顔から血の気が引いていた。
「顔が真っ青になってる。部屋から出て休んでいて」
「申し訳――」
「謝らないで。凛は悪くないから」
凛は静かに扉の方へと向かった。
彼女が扉を出るのを確認してから、六月は書棚の前へと歩み出した。
☆
蔵書の数は小さな書店ほどだった。
整然と並んだ背表紙を前にして、六月は時計を確認した。
時刻は十七時を示している。
(一時間がリミットだな。見つかってくれよ――睦月事件)
まずは本の整理方法を把握する必要があった。
六月は壁際最奥の左上の書籍を手に取った。
【魔力回路の原理 著 睦月彩】
印刷ではなかった。
一文字一文字、手で書かれた本だった。
六月の手が、震えた。
著者の名前をもう一度見る。
睦月彩。
新年会の夜、詩織が口にした名前だった。
ステンドグラスの中の女性の名前だった。
そして――おそらくは、自分の母親の名前だった。
内容も著者も、どちらも興味があった。
だが時間が、あまりにもなさすぎる。
(くそっ!)
書籍を戻して、一段下を見る。
【秘術保存法 著 睦月彩】
次々と背表紙を確認していく。
【魔力回路と遺伝 著 睦月冬夜】
【魔素と魔力回路の関連性 著 睦月冬夜】
【魔法訓練法 著 睦月弦夜】
【無属性魔法集 著 睦月文】
右の棚へ進むほど、紙の色が濃く褪せていった。
(この書棚は……睦月家が歩んできた歴史だ)
気づいた瞬間、六月の両眼から涙が溢れ出した。
止める間もなかった。
ただ溢れた。
床を濡らす雫が、焦げた木材の上に落ちて、小さな染みを作っていく。
六月は腕で目を拭い呼吸を整えた。
泣いている時間はない。
数分後、六月は別の棚の左上から探索を再開していた。
一冊ずつ、素早く丁寧に確認していく。
その中で、背表紙の様式が他と異なる一冊が目に留まる。
書籍というよりレポートだった。
【魔力回路被験者データ 著 皐月魔力回路研究所】
六月は手に取って中を開いた。
内容は研究所からの検査結果一覧だった。
ページをめくるたびに、被験者の名前と数値が並んでいる。
目を皿のようにして一行ずつ追っていくと、ある箇所で胸が跳ねた。
【睦月楓 六月六日生 血液型AB 回路無 制御力✕ 出力量✕ 持久力✕ 反応速度✕ スコア✕ 失格】
(……なんだコレ?)
誕生日は合っていた。
名前も合っていた。
何よりも魔力回路が無い。
(意味が分からない。一体、どうなっているんだ)
頭の中で考えが回り始めるが、答えは出てこない。
今はとにかく、持てる情報だけを持ち帰るしかない。
六月はレポートを記憶に焼き付けてから、元の場所へ戻した。
時計を確認すると、十七時五十五分になっていた。
(頃合いだな)
六月が出口へ向かおうとした時、足先が何かに当たる。
小さな黒い箱だった。
書棚の陰に埃を被った状態で落ちていた。
(何だコレ?)
六月はそれをポケットに入れると、ホールへと戻っていった。
☆
ホールに出ると二人が待っていた。
「お待たせしました。凛は大丈夫?」
「ええ、もう大丈夫です」
凛の顔色は、先ほどよりは良くなっている。
「良かった。凛に何かあるのが一番嫌だからね」
少しの沈黙。
「……六月くん」
隼斗が口を開いた。
「どうしました?」
「あなた、いつの間にそんなチャラくなってしまったの?」
「チャラ?! 奥さんを心配するのは普通でしょ!」
「ふ~ん。まあそういう事にしといてあげる」
隼斗は呆れたような、どこか満足そうな顔をした。
「ところで禁書庫はどうだったの?」
「睦月家が遺した書籍が保管された書庫でした。睦月事件の手がかりは全くありませんでした」
「そう、まあ今の話だと禁書庫には睦月事件関連はなさそうね」
「そうだと思います」
六月は一拍置いてから、凛に向き直った。
「そうだ、凛。コレを落とさなかった?」
ポケットから黒い箱を取り出して差し出した。
「いえ、私の物ではないですね」
凛は首を横に振った。
その頬に赤みが差していたが、六月には見えていない。
「……六月くん」
隼斗が静かに言った。
「他の女の子に、今みたいなセリフはダメだからね」
「ないですって。そもそも俺の相手をしてくれるのは凛だけですから」
(あ、これは分かってないヤツ)
凛と隼斗は顔を見合わせた。
凛は隼斗の背中に、そっと身を隠した。
「あとはコイツだな」
六月は黒い箱をゆっくりと開けた。
中に入っていたのは、蒼い指輪と小さく折り畳まれた一枚のメモだった。
指輪は古びていたが、その蒼さだけは色褪せていない。
光の角度によって、深海のような、あるいは夜空のような色に変わった。
六月はメモを広げた。
文字は手書きで急いで書かれたような跡があった。
インクが所々で滲んでいる。
『最期に無属性魔法でこれを保存します。
これを誰かに知られれば、貴方様も私達と同じように消されるでしょう。
どうか、このメッセージが魔術師たちの未来を切り拓くことを願います。 睦月彩』
三人は動けなかった。
息をするのも忘れたように、その一枚のメモを見つめ続けた。
礼拝堂の外から、冬の風が吹き込んでくる気配があった。
ステンドグラスの光が、床の上でゆっくりと角度を変えていく。
「……これは、どういう事だ?」
六月の声は掠れていた。
誰も答えなかった。
答えられる者がいなかった。




