第十四話 反魔力回路組織メビウス
管理局を出た三人は、天の壁を抜けて四区に入っていた。
壁の向こうへ一歩踏み込んだだけで、街の雰囲気がガラリと変わった。
二区や三区で見かけた整備された道路はない。
建物の壁には無数の落書きがあり、路地には壊れた自転車や放置されたゴミが転がっている。
誰もが、こちらを値踏みするように見ていた。
「地図によれば、南端まで行く必要がありそうです」
凛がタブレットの画面を六月に傾けながら言った。
流星から貸し出された鍵には時間制限がある。
本日中に禁書庫を訪れ、用が済んだら返却しなければならない。
時計を見ると、既に十四時を回っていて急ぐ必要があった。
「では、急ぎましょう」
三人は足を速めた。
四区に入ってから三度ほど声をかけられた。
最初はコンビニの前で絡んできた若い男たちで、次は廃ビルの前に屯っていた連中、最後は路地の角から飛び出してきた男二人だった。
いずれも隼斗が前に出ると同時に、静かに去っていった。
「宮司さん、相当顔が広いんですね」
「四区でのトラブル処理は、あたし達の仕事だからね。何度も顔を合わせていれば、向こうも覚えるわよ」
隼斗はさらりと言いながら、また歩き出した。
☆
三人が四区の南端に辿り着いたのは、十五時を少し回った頃だった。
「……これが禁書庫?」
三人の声が重なった。
鉄格子の門の向こうに広がっていたのは、荒れきった敷地だった。
街路の中にあって、ここだけが別の時間に取り残されている。
敷地の広さは、周囲の建物と比較してひどく不釣り合いだった。
四区の雑然とした街並みの中に、広い庭が口を開けているように見えた。
庭と呼ぶには荒廃しすぎていた。
草が伸び放題になっている中に、所々で黒く炭化した木の幹が立っている。
焼け跡だろうか。
年月を経て風化しながらも、その炭化した姿は当時の悲劇を克明に刻んでいた。
庭の中央には建物が一つあった。
礼拝堂のような外観をしており、敷地の広さに対して建物は不釣り合いに小さく見えた。
石造りの外壁には苔が生え、正面の両開き扉は色褪せている。
屋根の一部は崩れ、窓には亀裂が走っていて、見るからに保存状態は悪い。
「とりあえず入ってみよう」
六月が門を押し開くと、錆びた蝶番が軋んだ音を立てた。
三人は草を踏みながら中央の建物へと向かっていった。
☆
両開きの扉に手をかけると、見た目よりも素直に開いた。
中は、正に礼拝堂だった。
高い天井の中央に神像が祀られていた。
人を模した石像で両手を広げるような姿が、訪れる者を迎えているようにも見えた。
正面の壁には、大きなステンドグラスがはめ込まれている。
そのステンドグラスに、六月の目が引き寄せられた。
衣を纏った女性の絵だった。
長い黒髪を風にたなびかせ、虹色の光を身体の周囲に纏っている。
その顔立ちは穏やかな表情をしていた。
(どこかで……)
六月が記憶を辿ろうとした時、背後から声が響いた。
「こ、この絵は! どうして睦月様の絵がこんな場所に!?」
隼斗だった。
その声には、普段の落ち着きが消えていた。
「何言ってんだよ。宮司の旦那」
低い、嘲るような声だった。
振り返ると扉から、数十人の男が入り込んでくるところだった。
全員が卑下た笑みを浮かべ、三人を見渡している。
「的場!? どうして、あんたがこんな場所にいるのよ!」
隼斗の声が、驚きと警戒を含んでいた。
先頭に立つ男は、がっしりとした体格に短く刈り込んだ髪の、四十代に見える男だった。
目には品のない余裕と、隠しきれない敵意が混じっている。
「そりゃあ、ここが俺達のホームだからに決まってるじゃねえか。なあ、オメエラ!」
周囲から品のない笑い声が沸いた。
「宮司さん、知り合い?」
六月が小声で聞いた。
「コイツらは反魔力回路組織メビウス。魔法や魔力を否定している連中よ」
隼斗は目線変えずに声だけで答えた。
「四区で一番厄介な奴らと思ってちょうだい」
「グフ、ギャハハ、作戦会議かよ。じゃあ、こっちから行っちゃうぜえ? ぐ・う・じ・の・だ――って霜月がいるじゃねえかあああああああぁぁぁぁ!!」
的場の目が凛を捉えた瞬間、言葉が途切れた。
驚きから怒りに変わるまでの時間は、ほんの一秒もなかった。
的場が全速力で駆け出した。
風の魔法を発動しているのが分かった。
足元から渦巻く風が的場の速度を押し上げ、その突進は尋常ではない加速を発生させている。
凛と的場の距離が瞬く間に縮まった。
次の瞬間、的場は盛大に転んだ。
豪快な音を立てて、床に顔面から突っ込んだ。
周囲の男達も、何が起きたのか分からず黙り込む。
的場は床に座り込んだまま、きょろきょろと周囲を見渡す。
段差も障害物も見当たらない。
なのに、何かに足を取られたかのように転んだ。
「俺の奥さんに悪意を向けるな」
六月の声が静かに礼拝堂に響いた。
「はあ? 何だテメエは――うわ! なんだこれ!」
的場が足元を見た。
床の影から漆黒の腕が伸びていた。
両足にしっかりと絡みつき、床に縫い付けていた。
的場がどれだけ引っ張っても、その腕はビクともしなかった。
六月が的場に向かって歩き出した。
「的場さんでしたっけ? どうして、いきなり襲いかかってきたんです?」
「はあ!? テメエはバカかっ! 何で俺が教えなきゃなんねえんだよ。おい!! オメエラ、何してんだ!! コイツらを攫え!!」
的場が後ろの仲間たちに怒鳴る。
だが仲間も同様に足元やに漆黒の拘束が絡みついて、身動きが取れなくなっていた。
「的場さん! 俺等も動けません!」
「ちっ! 使えね――うぼあッ!?」
振り返ろうとした的場の顎に、隼斗の炎を纏った右ストレートが吸い込まれた。
乾いた衝突音と共に的場の頭が大きく揺れる。
その身体がぐらりと傾き、支えを失ったように倒れ込んだ。
隼斗は拘束具を次々と取り出しながら、素早く男達に装着していった。
外にいた連中は室内の様子を見るなり、蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「ふう……これで全員かしらね」
隼斗はパンパンと手を払いながら、床に転がる男たちを見渡した。
☆
「クソが……クソが……」
的場はまだ諦めていなかった。
顎を強打されて朦朧としているはずなのに、拘束具を外そうと両手首を繰り返し引っ張っている。
「諦めなさい。それが頑丈なのは、あんたが一番知っているでしょ。手がもげるわよ」
「それでもいい。霜月が目の前にいるんだ! こんな機会、滅多にねえんだ。宮司のだんなあ! 後生だから拘束を解いてくれよおおおおおおぉぉぉぉっ!」
「そんなの無理に決まってるでしょ」
隼斗はため息を吐いてから、一拍置いた。
「それに凛ちゃんは、もう霜月家じゃないわよ」
「は?」
的場の動きが止まった。
「六月凛です。この方の妻です」
凛が静かにそう言った。
「へ? むつき?」
「六月楓です。さっきも言いましたが、妻に害意を向けないでもらいたい」
「……これはご丁寧に。俺は的場……じゃねえ!」
的場は首を横に振った。
「どうして睦月が霜月の女を娶ってるんだ。テメエは仇が憎くねえのかよ!」
刺すような視線が六月に向けられた。
六月を睦月だと勘違いしているらしかったが、今はそれよりも優先する話がある。
「……凛は関係ないよな?」
六月は静かに言った。
それだけの言葉だったが、礼拝堂の空気が一段下がった。
的場は声の質の変化に気づき黙り込んだ。
「テメエは憎くねえのか?」
「だから、どうやって無関係の凛を憎むんだって聞いてる」
「霜月家――」
「論点を変えようとするな。今は凛個人の話をしているだろ」
「だから霜月家――」
六月は的場の顎を掴んだ。
逃げないように、ただ目を合わせるために。
その眼差しは静かに本心に問いかけていた。
「個人に色眼鏡を使うなって言ってるんだ。凛があんたに何をしたんだ? 詳しく教えてくれよ」
しばらくの沈黙があった。
「…………何も」
的場はそう言った。
拗ねた子供のような声だった。
「そうだよな。でも、あんたの気持ちも分からなくもない」
六月は的場の顎から手を離した。
「凛、何か良い方法はないかな?」
「そうですね……では魔術決闘はいかがですか?」
三人の反応は三者三様だった。
隼斗は「何言っちゃってんの」という顔で眉を上げた。
的場は一瞬、獲物を見つけた肉食獣のような目になった。
六月は素直に「なんだソレ」という表情をした。
「凛ちゃん、霜月家のメリットがないわ」
「宮司さん、大丈夫です」
凛は隼斗にそう告げてから、六月の方を向いた。
「楓さん、わたしに任せてください」
六月は凛の目を見た。
その目には迷いがなかった。
それから的場へと向き直った。
「的場さん、あの絵の事を教えてくれ」
的場はしばらく黙っていた。
やがて大きく舌打ちをすると、視線を天井へ向けた。
「チッ! テメエに教える義理はねえんだが……そうだな、これは独り言なんだが――」
一呼吸、間があった。
「ここは睦月本邸があった場所だ」
礼拝堂に静寂が落ちた。
六月は思わずステンドグラスを振り返った。
虹色の光を纏った女性が、穏やかな表情で見下ろしていた。




