第五話 抜擢
一月、第二週目の月曜日。
年末年始の休校期間を終え、スサノオの授業が再開された。
受付の端末に手をかざした六月は、タブレットの画面に表示された内容に首を傾げた。
普段であればカリキュラムの出欠確認が表示される。
だが今日は違った。
『校長室へお越し下さい』
その文言の下にスサノオの構内地図が表示されている。
校長室の場所が赤い点滅で示されていた。
六月は周囲の生徒の流れに逆らうようにして、地図の示す方向へ歩き出した。
☆
校長室のドアをノックすると中から『どうぞ』という声が返ってきた。
六月が扉を開けると応接用のソファに二人の人物が座っていた。
一人は文月忍、スサノオの校長だ。
オールバックにメガネをかけたその姿は、いつも通りの穏やかな表情を湛えている。
そしてもう一人は凛だった。
「六月さん、よく来てくれました」
校長が立ち上がって迎える。
六月の様子を伺うような態度だった。
「一体どうされたんですか?」
六月は凛と校長を交互に見ながら尋ねた。
「まあ、まずはお座りください」
校長が向かいのソファへと手を示した。
六月は促されるまま腰を下ろす。
「単刀直入に申し上げます」
文月忍は眼鏡の位置を指先で直しながら六月に向き直った。
「六月さんに教員として働いて頂きたいのです」
六月は一瞬、言葉の意味を飲み込めなかった。
「……教員、ですか?」
「はい。実践授業の担当として」
六月は即座に首を横に振った。
「無理です。俺はそんな柄じゃないし、人に何かを教えた事もありません。何よりスサノオに来て、まだ一ヶ月しか経っていない」
「……楓さん」
凛が静かに口を開いた。
「Cクラスの現状を見て下さい。文月校長、スコアの推移を開示して頂けますか?」
「プライバシーに関する事ですので、本来は開示するものではないのですが――」
文月忍はタブレットを操作し画面を六月へと向けた。
そこにはグラフが表示されている。
横軸は時間で縦軸はスコアの数値だった。
何本かの折れ線が、それぞれ異なる角度で伸びていた。
「長月さんと師走君のスコアです」
凛が指を動かしてその折れ線を示した。
「入学からの一ヶ月で約十パーセントの伸びを記録しています」
「……十パーセント?」
六月は首を傾げた。
それがどうしたのかという態度だった。
「これまでのデータから同期間での平均的な伸び率は約一パーセントでした。十倍の指導効率と言えます。因みに他のCクラスの方も概ね三パーセント前後の伸びを記録しています」
六月はそれを否定する。
「それは凛の指導が良かったんじゃないですか」
「いいえ」
凛は画面のグラフを指差した。
「ここを見て下さい。あのコウモリを使った実践授業を行った日から顕著に変化しています」
確かにグラフの線が急激に上を向いていた。
「俺はコウモリを動かしただけで――」
「楓さん」
凛の声がほんの少しだけ低くなった。
「魔法の技術は才能と反復だけでは育ちません。魔法に対する理解と、それを応用するための発想が必要です。あの授業は、その発想を生徒たちに与えました。それは楓さんにしかできないことでした」
六月は何も言えなかった。
「わたしには楓さんのような発想はありません。ゲームの感覚で魔法を捉え、日常の物事に置き換えて考える。それはわたしが長い年月をかけても辿り着けなかった考え方です」
凛の経験を通じた言葉。
それが六月に重く響いた。
「……楓さんは、自分が特別なことをしていると思っていませんよね」
「……普通だと思うけど」
「それが楓さんの一番恐ろしいところです」
穏やかな笑みを六月に向けた。
「どうですか? 六月さん」
校長からの問いに六月はしばらく沈黙した。
自分が人前に立って魔法を教えるという姿を想像できない。
だが凛からの期待には応えたいと考えていた。
「………………分かりました」
六月は、あの実践授業の日を思い出していた。
詩織と遊が全力で魔法を放っていた姿は鮮明に覚えている。
「承諾して頂けて良かった」
校長が安堵したように表情を崩した。
「では手続きを進めましょう。六月さん、これから、スサノオを宜しくお願いします」
校長が右手を差し出した。
六月は頭を下げながら握手で応える。
「ちなみに担当する教科は何ですか?」
「実践上級魔法の担当をお願いしたいと思っています」
「お受けするメリットはあるんでしょうか?」
校長が僅かに視線を逸らした。
「……教職は名誉職という形になりますので、特に生活面での変化はないと思われます。ですがスサノオの各施設へのアクセスは可能になります」
「分かりました」
六月は笑顔で頷いた。
☆
一方、教室の前では詩織がいつもの場所に立っていた。
「おじさん、遅い」
詩織は廊下の端を見ながら呟いた。
「また何かあったのかな」
遊が隣でのんびりとした声で応える。
「知らない。でも遅い」
「そんなに早く来なくてもいいんじゃない」
「別に待ってるわけじゃないから」
「また同じこと言ってる」
詩織は遊を一瞥してから腕を組み直した。
チャイムが鳴って、しぶしぶ二人は教室へと入っていった。
☆
席に着いてから間もなく代理講師が教室に入ってきた。
「本日は急遽、大切なお知らせと新しいクラスメイトの紹介があります」
代理講師の男が切り出した。
「通常の時期より少々遅いのですが、留学という形で本日よりこのクラスに新しいメンバーが加わります」
留学という言葉に教室はざわめいた。
次の瞬間、教室の扉が開く。
入ってきたのは、プラチナブロンドの髪をショートボブで揃えた背の高い女性だった。
均整の取れた長身に静かな瞳、年齢は十代後半だろうか。
洗練された動きで教壇の前に立つと、教室全体に視線を一度だけ走らせた。
「ヴィクトリア・フォーレルです。よろしくお願いします」
流暢な日本語だったが、僅かに外国人特有のなまりを感じられた。
教室が沸いた。
外国人留学生というだけでも珍しいのに、美しい女性となれば尚更だった。
「どこから来たんだろ」
「ちょっと話してみたい」
「付き合っている男はいるのかな」
男子生徒を中心に興奮の声が飛び交っていた。
だが詩織はどこか違和感を感じていた。
その瞳の動きが妙に気になる。
まるで観察するように教室全体を眺めているような目つきだった。
詩織と視線が交わった瞬間、ヴィクトリアはほんの少しだけ目を細める。
(なんか嫌な感じ)
詩織は理由を言葉にできないまま、そう感じていた。
「なんか、どうかした?」
遊が小声で聞いてくる。
「別に」
詩織は前を向き直したまま答えた。
ヴィクトリアの紹介が終わると臨時講師はタブレットを操作した。
直後、全員のタブレットに校長が映る。
「本日より、このクラスに在籍していた六月楓氏が教員として採用される事が決まりました。担当は実践上級魔法です。皆さんは、ご協力のほどよろしくお願いします」
教室がまた沸いた。
「は? 六月さんが教員!?」
「あの人、どうなっているの!?」
あちこちから驚きの声が上がる中、詩織と遊は顔を見合わせていた。
「……あー、だからいなかったのか、おっさん」
「そういうことだね」
遊が面白そうに笑う。
詩織は頬を僅かに赤らめながら窓の外に視線を逃がした。
(おじさんが先生になるって、どういう……)
授業で向き合うことになるのか、という事実が、詩織の胸の中で妙な熱を持ち始めていた。
窓際の席で外を見ていたヴィクトリアの唇が小さく動く。
(……見つけたわ。六月楓)
窓の外では冬の青空が広がっていた。




