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第三話 邂逅

三章 第三話 邂逅


 一月九日、午前十時。


 三区と四区を隔てる天の壁の前に六人の男女が集まっていた。

 六月、凛、隼斗、そして詩織――そこに、もう一人分の姿があった。


「おっす。僕も来てやったよ」


 のんびりとした調子でそう言ったのは遊だった。

  詩織の横で興味深そうに天の壁を見上げている。


「お前、来る予定じゃなかっただろ」


「こんな面白そうなイベント、見逃せないでしょ」


(……本当にそれだけか?)


 六月が目だけで問いかけると遊は小さく肩をすくめた。


(詩織一人で行かせるのも危ないしね)


「面白がってる場合じゃないんだけど……」


 詩織が小さく呟いた後、六月の方へ向き直った。

 ツインテールが冷たい風に揺れる。


「あの、その……新年会の時、勝手なこと言って、ごめん」


 珍しく殊勝な態度だった。


「そんなの気にするなよ。おかげで何か分かるかも知れないんだ」


 詩織はほっとしたように表情を緩める。

 その傍らで隼斗が全員を見渡しながら口を開いた。


「出発する前に一つ確認しておきたいことがあるわ」


 隼斗の声には気安さの中に緊張が滲んでいた。


「四区はあんた達が思ってる以上に危険な場所よ。暴力沙汰なんて日常茶飯事だし、強盗、下手すれば誘拐だって珍しくない」


 管理局員として隼斗は、何度も四区でのトラブルに駆り出されてきた。

 その説明は、これまでの経験に基づいていた。


「絶対にあたしから離れないで。それだけは守ってちょうだい」


「わかりました」


 凛が最初に頷いた。

 管理局の副局長をしていただけあって、四区の実情は把握している。


「まあ、あたしは本家がある場所だし」


 詩織も同様に当然のことのように頷く。

 この場所の危険性は、いまさら説明されるまでもない話だった。


 だが、一人だけ反応の違う人物がいた。


「え、待って、そんなに危ないの……?」


 遊だった。

 先ほどまでの余裕はどこへやら、顔から血の気が引いている。


「僕、初めてなんだけど。大丈夫かな……」


「大丈夫よ。あたしがついてるんだから」


「そうですね」


 宮司がそう言って笑うと、遊は乾いた笑みを浮かべた。


 六月も初めての訪問ではあったが、その表情に不安そうな様子はない。

 宮司隼斗という頼りになる護衛が同行しているのだから、何とかなるだろう。

 表情を緩めて六月はそう考えていた。


   ☆


 長い天の壁のトンネルを抜けると空気が明らかに変わった。


 三区の洗練された街並みとは違う、どこか湿った、埃っぽい雰囲気が漂っている。


 その光景に六月は思わず足を止めた。


(……ここって)


 見覚えのある景色だった。


 外壁の塗装が剥げ落ちたアパート、雑然と置かれたゴミ袋、電線がいくつも絡み合った電柱。

 それは六月が向陽サービスに勤めていた頃、日常を過ごしていた風景だった。

 二区や三区で暮らすうちに記憶からこぼれ落ちそうな光景。


(ずっと俺はこういう場所で生きてきたんだよな)


 その事実を六月は思い返していた。


   ☆


 詩織を先頭に一行は狭い道路を進んでいった。


 しばらく歩いたところで前方から鈍い衝突音が聞こえてくる。

 何かがぶつかり合うような、もしくは殴り合うような、鈍く重い音だった。


 詩織はそれを気にする様子もなく、そのまま真っ直ぐに進もうとする。


「あの音、大丈夫なのか?」


 六月が思わず声をかけると、詩織は振り返らずに答えた。


「四区じゃ、あれくらい日常茶飯事だから。いちいち反応してたらキリないよ」


 最後尾にいる隼斗も同じ見解のようだった。


「そうね。首を突っ込まない方があたし達の為でもあるわ」


 その言葉に、遊が青ざめた顔で何度も頷いていた。


 だが災難というのは望まなくとも向こうからやってくるものだ。


 目の前の袋小路から逃げるようにして飛び出してきた人影があった。


 その姿を見て、一行は思わず足を止めた。


 ぼろぼろのシャツに泥だらけのズボン。

 かつては綺麗に切り揃えられていた前髪は、無造作に乱れている。

 目には隈が浮かび頬もこけていた。


「――皐月洸介……?」


 六月が思わずその名を呟いた。

 かつて魔術祭で戦った姿とは似ても似つかない、変わり果てた姿だった。


 洸介の後を追うようにして、柄の悪く体躯が良い男たちが五人、袋小路から姿を現した。


「おい、待てや!」


「逃げれると思ってんじゃねえぞ!」


 凄みのある声で怒鳴りながら、五人は洸介を追い詰めていく。

 震え上がった洸介は、道路の端に追い詰められ身を縮めていた。


 その光景を目にした瞬間、隼斗が軽く舌打ちをした。


「あら、貴方達。また問題起こしてるのかしら」


 隼斗の声に五人組の男たちが一斉に振り返る。

 その視線が隼斗の姿を捉えた瞬間、彼らの表情が一変した。


「ちっす! 宮司のダンナ!」


 男の一人が姿勢を正しながらそう言った。


「ダンナじゃなくてお姉様でしょ!」


 隼斗がぴしゃりと言い返すと、男たちは慌てたように腰を低くしていった。


「し、失礼しました、お姉様!」


「へへ、今日はこの辺で失礼しやす!」


 五人組はそそくさとその場を離れていった。

 六月は呆然と男たちの背中を見送る。


(……宮司さん、四区で一体何をしてきたんだ?)


「見世物じゃないの。さっさと行きましょ」


 隼斗がそう言って歩き出そうとしたその時、その足を止めるように洸介が縋り付いてきた。


 皐月洸介だった。


「た、助けて……お願いします……」


 その声は、今までの傲慢な態度からは想像もつかないほど、弱々しく震えていた。

 地面に膝をつき涙を流しながら、洸介は六月たちを見上げている。


「僕を連れて行ってください。お願いします……」


 洸介が差し出した右手は粗末な包帯で何重にも巻かれていた。

 ところどころ赤黒く滲んでいる。


「本当にお願いします……もう、ここには居たくないんです……」


 完全に心を折られたその姿に、一行は言葉を失った。


   ☆


 少し離れた場所で、五人による作戦会議が開かれることになった。


「駄目に決まってるでしょ。あいつ、あたし達をあれだけの目に遭わせたのよ?」


 詩織が真っ先に反対した。


「そもそも、あいつに関わるべきじゃないって。絶対に放っておくべきだよ」


 遊も同調する。


「あたしとしても、あの男を連れて歩くのは賛成できないわ」


 隼斗もまた慎重な意見を示した。


「わたしも同意見です」


 凛も静かに頷いた。

 全員が洸介を連れて行くことに反対だった。


 だが、その中で一人だけ違う意見を口にした人物がいた。


「――連れて行こう」


 六月だった。


「は? なんで!?」


 詩織が驚いたように声を上げる。


「あんた、あいつに風の槍で背中を刺されたのよ? 忘れたの?」


「大丈夫、忘れてないから」


 六月は洸介の方をちらりと見やった。

 震えながら泣きじゃくる、かつての御曹司の姿を。


「前の会社にいた時、似たような顔をした奴を何人か見てきたんだ」


「似たような顔?」


「全てを失って、心が折れて、どうしていいか分からないでいる顔かな」


 六月は洸介を見る。


「あいつが俺達に何をしたかは忘れてない。許したわけでもない。それでも――こんな所に一人で置いていくのは、俺にはできない」


 六月は決意のこもった口調でそう続けた。

 その言葉に一同はしばらく黙り込む。


「……分かったわ。でも油断は禁物よ」


 最終的に隼斗は首を縦に振った。

 懐から取り出したのは管理室で使っている拘束具だった。


「これをつけさせてもらうわ。申し訳ないけど、あたしはあんたを信用していないの。保護対象として同行させる以上、最低限の安全措置は必要よ」


「はい……それで、構いません」


 洸介は素直に頷いた。

 かつての傲慢さは完全に影を潜めていた。


   ☆


 一行は洸介を連れて再び歩き出した。


 道中、洸介はぶつぶつと独り言のように呟き続けていた。


「金さえあれば、あんな連中なんかより強い奴を雇えてたのに……」


「今までは金なんていくらでも使えたのに……なんで、僕がこんな目に……」


 その独り言は周囲の誰の耳にも入っていたが、誰も何かを言うことはなかった。

 ただ、詩織と遊が、冷ややかな視線を洸介に向けているだけだった。


(成長しないもんなんだな)


 六月は内心でそう思いながらも、それを口にすることはなかった。


   ☆


 しばらく歩いた先に、目的の建物が見えてきた。


 築五十年は経過しているであろう古びたアパートだった。

 壁は所々ひび割れ、階段の手すりは錆びついている。


 けれども表札だけが、この建物には似つかわしくないほど新しかった。


 『長月』と書かれた、たったの二文字。


 それだけが、かつて旧月十二家の一角を担った家の存在を示していた。


「ここが長月本家だよ」


 詩織の言葉に六月は古びた建物を見上げた。

 ここが本当に旧月十二家の一つ――長月家の本家なのか。

 そう思った瞬間だった。


「……楓さん」


 隣に立つ凛の声が聞こえた。


「何?」


 凛は建物の入口を見つめたまま静かに呟いた。


「この先には楓さんが知りたい事があるはずです」


 俺はもう一度、長月本家を見上げた。

 自分が何者なのか、そしてどこから来たのか。

――なぜ、俺は今まで何も知らずに生きてきたのか。


 その答えがこの建物の中にあるかも知れない。


「……行こう」


 俺達は扉へ向かって歩き出した。

 自分の知らない過去へ。


 その一歩を踏み出した瞬間――背中全体に熱い何かが広がっていくような感じがした。

お読み頂きましてありがとう存じます!

明日も出来上がり次第、投稿します。

引き続き月隠の魔術師をお願い致します。

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