第一話 新年会
年が明けて一月一日。
霜月本邸には旧家に縁のある人々が集まっていた。
日本庭園に面した大広間には金糸の刺繍が施された几帳が配され、正月らしい松竹梅の生花が随所に彩りを与えている。
着物姿と洋装が入り混じり華やかな空気が広間全体を満たしていた。
集まったのは旧月十二家の当主やその関係者達。
その中には霜月家との繋がりで六月の姿もあった。
仕立てのいい紺のジャケットに身を包み、六月は緊張した表情で会場の隅に立っていた。
公の場という事もあり髪を整え、無精髭も綺麗に剃っていた。
普段の六月を知っている人が見れば、間違いなく誰なのか分からないだろう。
この一週間、凛に教わりながら所作の練習を重ねてきたが、いざ本番を迎えると落ち着いていられなかった。
やがて壇上に巌が立った。
「新年、明けましておめでとう」
巌の一声で広間全体の空気が引き締まる。
「今年も旧月家の弥栄を祈念し、新たな一年を迎えたい。今宵は無礼講だ。存分に楽しんでもらいたい」
その言葉と共に巌は一本締めを行なった。
会場に拍手が湧き起こる。
給仕が一斉に動き出し、立食形式のパーティーが本格的に始まった。
☆
「行きましょう、楓さん」
凛が六月の袖を軽く引いた。
藤色に金の刺繍が施された色無地は、いつものパンツスーツとはまるで違う華やかさを纏っている。
「ああ」
六月は凛と並んで歩き出した。
会場のあちこちで人々が盃を交わしていた。
最初に向かったのは巌だった。
皐月雄介と何やら会話をしていたが、二人に気が付くと切り上げるようにして歩み寄ってきた。
「六月楓……いや、月隠の魔術師。よく来たな」
「あけましておめでとうございます」
二人は丁寧に一礼する。
「うむ。今年も励むように」
巌は短くそれだけ言うと六月の肩を一度だけ叩く。
その手つきには僅かな柔らかさが含まれていた。
「凛、着物がよく似合っているな」
「ありがとうございます」
巌はそれだけ言うと雄介の元に戻っていった。
短いやり取りだったが、以前に比べて厳の態度が柔らかくなっているような気がした。
☆
それから六月と凛は旧月家の序列順に挨拶を回っていくことになった。
如月哲山は着物姿のまま、穏やかな笑みを浮かべて二人を迎えた。
「魔術祭を見ていましたよ。素晴らしい結界魔法だと感じました。今後ともお願いしますよ、月隠の魔術師殿」
「よろしくお願いします」
哲山は簡単なあいさつだけで話を終える。
その後ろでは流星が妻の可憐に何かを言われていた。
卯月家の当主は物腰の柔らかい老人だった。
「新年、おめでとうございます。凛殿は相変わらずお美しいですな」
「ありがとうございます。卯月様も壮健そうで安心致しました」
凛が微笑んで会釈する。
同時に六月も頭を下げた。
何故か卯月家の当主は「うぐぅ、氷が溶けている」と言いながら胸を押さえて座り込んだ。
厳との話が終わった雄介が、愛想笑いを浮かべながら近づいてきた。
「これはこれは。……なるほどな」
値踏みするような視線が二人を撫でる。
「「あけましておめでとうございます。今年もご鞭撻の程、宜しくお願い致します」」
二人はそろって頭を下げた。
雄介は薄く笑って頷いただけだった。
☆
最後の師走家で、六月は見覚えのある二人の姿を見つけた。
「よお、遊。あけましておめでとう!」
「お! おっさんじゃん。あけましておめでとうございます。これが馬子にも衣装ってヤツか」
遊はいつもの調子でおどける。
その姿はきちんとした礼装に身を包んでいた。
「あ、あけおめ……」
「お、詩織もいる。あけましておめでとうさん!」
詩織はぎこちなく挨拶を返した。
その視線が六月の隣に立つ凛へちらりと向けられる。
「あけましておめでとうございます」
凛は微笑んで丁寧に頭を下げた。
二人からは仲睦まじい夫婦の雰囲気が漂っている。
詩織の顔が僅かに強張る。
(……なによ、この距離感。しかも、あたしが知らない間に結婚まで!)
言葉にならない感情が詩織の中で渦を巻いていた。
それと同時に六月の姿にも目を奪われていた。
いつものだらしない格好とは違う、きちんと整えられた姿は思わず見惚れてしまうほど様になっている。
(……悔しいけど、ちょっとかっこいいかも。……って、あれ?)
そう思った瞬間、詩織は六月の横顔に既視感を覚えた。
どこかで見たことがある横顔。
詩織の脳裏に、長月本家で見せてもらった昔のアルバムが思い浮かんだ。
子供の頃、何度か目にしたあの写真。
柔らかな微笑みを湛えた美しい女性の姿。
確か先代の睦月家当主、睦月彩様だと聞かされていた。
その面影が、目の前の六月の顔と重なって見える。
「おじさん、もしかして睦月と関係あるんじゃない?」
思わず口をついて出た言葉だった。
その瞬間、周囲の空気が一気に張り詰めた。
近くにいた招待客たちの視線が一斉に詩織へと集まる。
誰かが「……睦月だと?」と小声で囁いた。
巌が持つ杯の手が止まり、雄介の目が細くなる。
二人とも、詩織の言葉を聞き流すことはできなかった。
隣に立っている凛は何も言わなかった。
ただ六月の横顔を静かに見つめている。
場の空気が変化した事に気づいた詩織は血の気が引いた顔になる。
六月はそれに構う様子もなく、いつも通りの飄々とした調子で答えた。
「何いってるんだか。そもそも俺は六月だろ?」
そう言うと六月は詩織に顔を近づけ、その額を人差し指で軽く弾いた。
「いたっ!」
詩織が思わず声を上げる。
周囲に集まっていた緊張が穏やかに緩んでいく。
「その話、後で詳しく教えてくれ」
詩織だけに聞こえる小声でそう言うと、六月は立ち上がって凛と共にあいさつ回りへと戻っていった。
残された詩織は額を押さえたまま、その場に立ち尽くしていた。
(な、なんで、いきなり近づいてくるのよ……)
六月の落ち着いた声が耳の奥に残っている。
詩織の心臓は落ち着かないまま早鐘を打ち続けていた。
「詩織、顔赤いよ」
遊が呆れたように囁いた。
「うるさい! 寒いからでしょ!」
詩織は慌てて言い返したが、その声はどこか上擦っていた。
凛は振り返ると詩織の様子を静かに一瞥した。
凛に促され、六月は会場の奥へと歩いていく。
その背中に、いくつもの視線が突き刺さっていることにも気づかないまま。
「次は誰に挨拶すればいいんだっけ?」
「水無月様です」
「フォローありがとう。助かるよ、凛」
六月は凛の隣を歩きながら、次の相手へ向かった。




