幕間 その後の皐月洸介君
スサノオ史上、稀に見るトラブルを引き起こした皐月洸介は、危険人物として内閣府特区管理局の独房に収容されていた。
完全な面会禁止という厳しい処置が敷かれてから、既に一週間が経過している。
窓一つない狭い部屋には、簡素なベッドと小さな机だけが置かれていた。
外の情報は一切遮断され、洸介は事の重大さを孤独の中で反省し続けるしかなかった。
☆
学術院という場所は日本国内でありながら、日本の法律が適用されるわけではない。
例えば強盗事件が発生したとしても、どこからも法の裁きが下されることはない。
婚姻に関しても然りで、重婚すら容認されている。
むしろ国側が半ば推奨しているとさえ言えた。
魔力回路は遺伝でしか継承されない貴重な資質だ。
魔術師の数を効率的に増やすためには、複数の伴侶を持つことが合理的な手段であるという考え方が存在している。
そんな環境で旧月家の、しかも序列五位という立場の跡取り息子が独房に囚われているというのは、学術院全体を揺るがす一大事だと考えられた。
☆
洸介の処遇が遅れている理由は、学術院理事会が処罰の内容で意見が割れていたからだ。
理事会は旧月家から選出された五人の委員によって構成されている。
会議室には重々しい空気が下りていた。
「会場にはわしを始めとして旧月家の人間が六人いた。一般人がどうなろうと知った事ではないが、旧月家に対しての攻撃は看過できない」
「確かに。減ってしまったのであれば、また集めればいいだけだな」
「皐月家の跡取りに堕天の処罰を下せば、家格の均衡そのものが崩れかねん」
委員たちの主張は互いに平行線を辿り、同じ議論を繰り返している。
皐月家の影響力を気にする者と、旧月家が誇る威信を気にする者に大きく分かれた。
どちらの言い分にも説得力があり、簡単に折り合いがつきそうな雰囲気ではない。
そして理事会の決断は、投票による決定に委ねられた。
投票の方法は無記名方式の二択。
これによって洸介は堕天か無罪釈放が決定される。
委員の四人は如月哲山理事長から用意を受け取ると、全く躊躇わずに投票を済ませた。
哲山は対面に座る皐月雄介の視線を肌に感じてた。
刺すような、それでいて有無を言わせぬ圧力を感じる視線だった。
これまで雄介の意向に沿って議論を進めてきた哲山。
この投票でも同じく無罪を投票するように期待している視線だった。
だが哲山は洸介を堕天させた未来を想像していた。
現在、皐月家はその資本力で旧月家の実質二位に位置している。
実質一位は霜月家で、既に月隠を使った青年に接触しているという情報もある。
名目上の序列二位である如月家としては、娘婿が霜月家の長男という事もあり一位には異論がない。
だが、魔法の力ではなく強大な資本力で現在の地位にいる皐月家には、魔術師として納得できない部分があった。
哲山は静かに票を投じる。
開票の結果は四対一で――洸介の堕天は決定した。
なお最後まで息子を庇ったのは父、雄介ただ一人だった。
☆
年が明けて間もなく洸介は四区へと連れて行かれた。
三区と四区の間にある天の壁。
その壁に空いている通路が四区へ行く唯一の方法である。
トンネルを抜けると洸介は目の前に広がる光景に絶望した。
これまで暮らしていた最上級のマンションとは、あまりにもかけ離れていた。
案内されたのは築四半世紀は優に経過しているであろう、古びたアパートだった。
外壁のあちこちが剥がれ落ち、コンクリートの継ぎ目には黒ずんだ染みが広がっている。
周囲からは、どこからともなく異臭が漂ってきた。
道行く人々の表情には生気というものがまるで感じられなかった。
俯きがちに歩く彼らの姿は、洸介がこれまで目にしてきた学術院の住人たちとは別世界の人間に見えた。
しかも、これまで無尽蔵に使えていたトークンは、既に凍結されている。
タブレットの画面に表示された残高は、これまで見たことのない数字だった。
案内されたアパートの一室に足を踏み入れると、天井にはくすんだ茶色い染みが広がっていた。
バスとトイレだけは別々になっていたが、これまでの住んでいた環境とあまりにも違いすぎる。
備え付けのタンスを開けると、中には薄っぺらいせんべい布団が押し込まれている。
これまでは柔らかな羽毛布団に包まれて眠っていた洸介にとって、せんべい布団が寝具だと分かったのは数日経過した後だった。
夜になると、部屋の窓から見える景色は、遠くにぽつんと灯るコンビニの明かりだけだった。
それ以外は、ただ暗闇が広がるばかりだ。
洸介は、ただ途方に暮れることしかできなかった。
空腹を満たすために弁当をコンビニで買い求める。
これまで金額など見たことがなかった洸介が、一番安い割引シールが張られた物を手に取った。
狭い部屋の中で無言のまま掻き込む。
期限切れ間近の白米の味気なさが、これまでの生活との違いを無情に叩きつけた。
(僕が、どうしてこんな目に……なにがいけなかったんだ。秘技を使ったのは凛さんを手に入れるのに仕方なかったからだ。そもそも、あの男がどうなったとしても構わなかった。僕は何も悪い事はしていない…………なのに!)
誰にともなく漏らした呟きは、誰の耳にも届くことなく、狭い部屋の中に虚しく消えていった。
☆
翌朝。
洸介は、備え付けの小さな鏡を覗き込んだ。
映った自分の顔には、寝不足のせいで窪んだ目元と、これまで丁寧に切りそろえていたはずの前髪が、あちこちに跳ねている様子が映し出されていた。
鏡の中の自分が、まるで見知らぬ他人のように思えた。
これまで金の力で何もかもを手に入れてきた坊ちゃんの面影は、どこにも見当たらない。
その時、玄関のチャイムが鳴る。
洸介は何も考えずに扉を開けた。
その瞬間、全身から血の気が引いた。
「越して来て、あいさつに来ねえとは。お前、新人か?」
扉の向こうに見えたのはガラの悪そうな五人の男達だった。
洸介の喉の奥がヒュッと鳴る。
四区での本当の地獄は、まだ始まってすらいなかった。




