第十八話 家族
【六月視点】
霜月本家の玄関を出ると外はすでに夜の帳が降り始めていた。
俺は宮司さんと一緒にリニアの停留所へと向かう。
「お荷物、お持ちします」
「あ、いえ、それは……」
いつものオネエ様はどこにも居ない。
丁寧すぎる物言いに俺は思わず足を止めた。
「宮司さん、変ですよ」
「……変、と申しますと」
「そのしゃべり方です。いつも通りに戻って下さい」
俺がそう言うと、宮司さんは一瞬だけ驚いた表情を見せる。
それから小さく息を吐くと、口元に慣れた笑みを浮かべた。
「あら、それでいいの? お館様の前じゃないから、いいのかしらねえ」
「はい、その方が落ち着きます」
「そう。じゃあ、遠慮なく」
いつもの調子に戻ってくれて少しだけ肩の力が抜けた。
「宮司さん、少し聞いてもいいですか?」
「なあに」
「睦月家って、どんな家だったんですか」
宮司さんは少し考えるような素振りを見せる。
「あたしも詳しくは知らないのよ。旧月家の中でも一番格式が高くて、独自の秘術を持っていた、っていうくらいね」
「そう、ですか」
「まあ、あんたが披露した通りね。『睦月の前に月無し』って言われてたわ」
「それはどういう意味ですか?」
「さあね」
宮司さんはお茶目に片目を瞑った。
夕闇の中でウインクするマッチョなオネエさんは、少しだけ犯罪的な匂いがした。
☆
二区へと向かうリニアは座席の質感からして別物で、乗り込んだ瞬間から静かな滑走感に包まれる。
専用線らしく待ち時間もないまま、車両はすぐに動き出した。
窓の外を流れる景色は、見慣れた三区のそれとは違う、洗練された建物ばかりが並んでいた。
「そんなに緊張しないの。あんたの為の場所なんだから」
「はい……」
返事をしながらも、俺の緊張はまるで解けなかった。
☆
案内されたのは一際目を引く最高級マンションだった。
エントランスに立っただけで、これまで住んでいた建物と格が違うことが分かる。
最上階まで上がるエレベーターの中、宮司さんが説明を続けた。
「隣にはあたしの部屋と、お世話係の部屋が用意されているわ。何かあれば、すぐに呼べる距離ね」
「至れり尽くせりですね……」
「まあ、それだけあんたが大事にされてるってことよ」
エレベーターを降りてすぐの扉の前で、宮司さんに言われて端末を操作する。
セキュリティの解除音が鳴り扉が静かに開いた。
部屋の中に入ると、すでに人影があった。
「霜月さん……?」
リビングのソファに腰掛けていたのは霜月さんだった。
俺達の姿を見て静かに立ち上がる。
「おかえりなさい」
その言葉に足が止まった。
俺は今まで一度も誰かにそう言われたことがなかった。
ゲームの中では何百回も聞いた言葉なのに。
現実では初めてだった。
「た、ただいま?」
思わず疑問系で答えてしまう。
それでも霜月さんの表情は柔らかかった。
三人で部屋の中へと入る。
宮司さんは手早く各部屋を見て回り、窓の施錠や換気の状態を一通り確認していく。
「問題なさそうね。じゃあ、あたしはこれで」
「あ、はい。ありがとうございました」
「困ったことがあったら、いつでも連絡してちょうだい」
おやすみなさい、と言い残して宮司さんは軽く手を振りながら部屋を出ていった。
残されたのは、俺と霜月さんの二人だけだった。
☆
俺と霜月さんはソファに向かい合って座った。
リビングに気まずい沈黙が流れる。
窓の外には、二区の夜景が広がり始めていた。
洗練された光の連なりが、部屋の中まで淡く照らしている。
俺は、ずっと考えていたことを口にすることにした。
「「あ、あの……」」
タイミングが見事に被った。
「どうぞ」
霜月さんが先攻を譲ってくれる。
「え、と。霜月さん」
「はい」
「この婚約、無理して受け入れなくていいと思うんです。嫌なら断ってもらって構いません」
霜月さんの表情を見ながら、俺は続けた。
「俺の方から霜月さんに、何も強制するつもりはありません。だから、もし少しでも――」
「その必要はありません」
俺の言葉を遮るように霜月さんがはっきりと答えた。
その声色には否定も迷いも感じられなかった。
「え……?」
「わたしは霜月家の長女です。お祖父様が決定した事を覆す気はありません」
霜月さんはソファに座り直すと、真っ直ぐに俺を見据えた。
「六月さんの価値観と違うのは分かります。ですが旧月家の価値観も理解して欲しいのです。旧月家に生まれた者にとって、結婚は好き嫌いで決めるものではありません。家と家との繋がりであり、責務です」
その言葉には旧月家の矜持があふれていた。
政略結婚がまかり通る現実に俺は衝撃を受けた。
「それに――」
霜月さんは一瞬だけ言葉を切った。
それからはにかみながら微笑む。
「わたしは六月さんを好ましく思っています」
その一言に、俺は思わず息を止めた。
「……え……? 霜月さん、それって……」
霜月さんは真剣な瞳でこちらを見つめていた。
熱を帯びた眼差しで。
俺は言葉に詰まった。
何と答えればいいのか、分からなかった。
「――正直に言うと、戸惑っています」
俺は素直な気持ちを口にした。
「結婚なんてこれまで考えたこともありませんでした。三十一年間、女性と付き合ったことすらなくて。それなのに、いきなり結婚なんて言われても、正直、実感が湧かないというか……」
言葉を選びながら俺は続けた。
「霜月さんのことは悪く思っていません。むしろ、ここ最近で一番信頼できる方だと思っています。でも、それが結婚という話に繋がるのかと言われると、まだ整理がつかなくて……」
俺の告白に霜月さんはしばらく黙り込む。
それから小さく頷いた。
「分かりました」
「え……」
「六月さんの気持ちの整理がつくまで、わたしは待ちます」
「霜月さん……」
「無理に答えを急ぐつもりはありません。ただ――」
霜月さんは少しだけ視線を落とした。
「わたしの気持ちだけは知っておいて欲しかったんです」
俺の中で、今まで知らなかった感情が満たされていった。
☆
霜月さんが自室に引き上げた後、俺はリビングのソファに一人腰を下ろしていた。
窓の外に広がる二区の夜景を眺めながら、この一日の出来事を思い返す。
闘技場でのバトルロイヤル、月隠の発動、巌さんとの対話、そして結婚。
三十一年間、四畳半のアパートで一人ゲームに没頭していただけの人生に、こんな変化がおとずれるなんて想像すらしていなかった。
(家族、か)
これまで縁のなかった言葉が、今は妙に身近に感じられる。
両親の記憶もなく天涯孤独だと思っていた自分に、寄り添おうとしてくれる人がいる。
その事実を、まだ完全には受け入れられないでいる。
俺は小さく息を吐くと、ソファに深く身を沈めた。
(家族なんて、俺には縁のないものだと思っていた)
両親の顔も知らず、一人で生きてきた三十一年間。
『おかえりなさい』という何気ない一言が、こんなにも胸に響くなんて思ってもみなかった。
俺は静かに目を閉じ、小さく息を吐いた。
(……こんなに温かいのか)
窓の外では、二区の夜景が静かに輝いていた。




