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第十七話 月隠の魔術師

 闘技場に静寂が戻っていた。


 風哭の影響が残っていた六月は、頭を軽く振りながら凛の側に歩み寄った。

 周囲では意識を失った観客が、医療スタッフによって次々と担架で運ばれていく。


「霜月さん、身体は大丈夫ですか?」


「はい……いえ」


 凛は僅かに視線を落とした。


「わたしの判断が遅れたせいで、皆さんが大変な目に……」


「霜月さんのせいじゃないですよ」


 六月は軽い調子で返した。

 凛は小さく頷いたがその表情は晴れなかった。

 両手を固く握りしめたまま、闘技場に横たわる観客の姿を見つめている。


 六月にはかける言葉が思いつかなかった。

 その時、闘技場の入り口から人影が勢いよく近づいてきた。


 白髪をオールバックに纏めた初老の男だった。

 仕立ての良いスーツに身を包み、姿勢よく背筋を伸ばしている。

 傍らには、ベリーショートの白髪をした筋肉質の男が付き従っていた。

 周囲の観客や関係者が見つめる中、六月の前で立ち止まった。


「お、お祖父様」


 凛が瞬時に姿勢を正した。

 両手を身体の前で、揃え深く頭を下げた。


「ご機嫌麗しゅうございます」


 声には緊張の色が纏わりついている。


「うむ」


 巌はそれだけ返すと、視線を六月へと向けた。

 値踏みするような、どこか探るような眼差しだった。


「霜月家当主、霜月巌だ」


 傍らの男は無言のまま、油断のない目で周囲を見渡している。

 その佇まいだけで、ただの付き添いではないことが伝わってきた。


「六月楓、と言ったな」


「……はい」


 六月は思わず背筋を伸ばした。


「一緒に来い」


 反論を許さない重みがある、命令に慣れた声だった。


「え、あの、まだ検査も終わっていなくて――」


 それでも六月は抗ってみせた。


「六月さん……」


 凛が何か言おうとするが、それ以上は続かなかった。


「検査はこちらで手配させる。心配は要らん」


 巌の言葉を汲み取った傍らの男が、闘技場の入り口に指示を飛ばす。

 待機していた何人かが姿を消した。


 巌は踵を返すと歩き出した。

 付き添いの男は目線で六月を促す。


 六月は凛に向かって頷くと巌の後に続いて歩き出した。

 振り返ると、凛が心配そうにこちらを見つめていた。


   ☆


 六月が連れて行かれた先は、霜月家本邸だった。


 学術院内を走る専用の個人リニアに乗せられ、揺れることのない滑らかな移動の末に辿り着いたのは、広大な敷地に建つ和洋折衷の屋敷だった。

 手入れの行き届いた庭園を横目に、六月は案内されるまま長い廊下を進む。

 磨き抜かれた廊下は微かな軋みすら立てなかった。


 六月の背後には、警備筆頭を務める宮司隼が、影のように付き従っている。

 隼から感じる独特の雰囲気で、ただの護衛ではないことを感じていた。


 案内された部屋は格式の高い応接間だった。

 掛け軸が飾られた床の間、重厚な木製の座卓。

 障子越しに差し込む間接光が、畳の上に柔らかな陰影を作っていた。


「下がっていろ」


 巌がそう告げると、付き従っていた数人の黒服が退出していく。

 隼も一礼して部屋の外へと下がていった。


 残されたのは巌と六月の二人だけになる。


「座れ」


 促されるまま六月は巌と向き合った。

 畳の匂いが緊張した鼻先にわずかに届いた。


   ☆


「貴様のこれまでを聞かせてもらおうか」


 前置きもなく巌はそう切り出した。

 六月は怪訝に思いながらも従う事にする。


「高校を出た後、専門学校に進みました。それから向陽サービスという会社に就職して技術職として働いていました」


「生まれは」


 その問いに、六月は一瞬言葉を詰まらせた。


「……分かりません。物心ついた時には、施設にいました」


 巌は表情を変えることなく、次々と質問を重ねていく。両親の記憶、育った環境、これまでの人間関係。

 六月はそれらに嘘は交えず、真実だけを答えていった。


 用意していた質問を一通り終えると、巌は静かに目を閉じた。


 深く息を吐く。

 そして、ゆっくりと頭を下げた。


 その動作の唐突さに、六月は思わず息を呑んだ。


「――許してくれとは言わん」


 その声には、これまでの威圧的な響きはない。

 重く沈んだ声音だった。


「三十年前、俺は睦月家を焼いて、貴様の親を殺めた」


 六月は言葉を失った。

 それは、あまりに唐突な告白だった。


「睦月家は魔力回路持ちの人体実験に手を染めていて、多くの同胞が犠牲になっていた。あの家を潰さなければ、更に多くの人間が犠牲になっていただろう。人道的な観点、いや魔術師全体の未来を思えば、あれは避けようのない選択だったと、俺は今でも信じている」


 言い訳のように聞こえる言葉を、巌自身も理解しているようだった。


 六月はしばらく黙り込んだ後、静かに口を開いた。


「……すみません」


 絞り出すような声だった。


「怒ればいいのか、恨めばいいのか、俺にはそれすら分からないんです」


 六月は睦月家のことを何も知らない。

 両親の記憶もない。

 だからこそ目の前で頭を下げるこの男に、どんな感情を向ければいいのか見当がつかなかった。


 巌は僅かに目を見開いたが、すぐに元の表情に戻した。


「……そうか」


 感情の見えない声だった。


「それならば、話は早い」


 巌はそう言うと、次の話題へ移った。


「貴様の身柄を霜月で保護させてもらう」


「――保護、ですか?」


 六月は僅かに身構えた。


「俺に養子になれっていう事ですか?」


「違う」


 巌は即座に否定した。

 その口調には迷いも躊躇いもなかった。


「凛の婿になれ」


「――はい?」


 あまりに突拍子もない提案に、六月は思わず声を上げた。


「霜月の家に正式に迎え入れる。凛と夫婦になれば、貴様の身分も安泰になる。今後の生活も、学術院での立場も、格段に良くなるだろう」


「お気持ちはありがたいですがお受けできません」


 六月は即答した。

 躊躇いすらないほどに。


「理由を聞かせてもらおうか」


「顔を合わせて間もないですし、話した回数だってまだそう多くありません。それに俺はもう三十一で、凛さんはまだ未成年と聞いています。そんなの普通に考えて無理があります」


「何を言っている。旧月家に生まれて年齢、容姿、相性などの些細な事で縁を結ぶ者などおらん。あるのは如何に家を大きくできるのか、如何に家を残せるかだけだ」


 巌の旧月家の理論を聞いて絶句した。


「では、どうして俺なんですか?」


 六月は改めて尋ねる。


「貴様を保護したいだけだ」


「保護なら婚姻でなくても良いでしょう」


「貴様は今のままで暮らしていけると思っているのか?」


 巌の声が熱を帯びた。


「この件は学術院中に知れ渡っていると考えた方が良い。そうなると、あれを見た人間が黙っていると思うか? 睦月の秘術を一般人が知っているとは思わん。だが用心するに越したことはなかろう」


 その指摘に六月は言葉を失った。


「貴様を狙う者が現れないと、どうして言い切れる。旧月家の持つ権力(ちから)は絶大だ。貴様を狙う理由などいくらでもある」


 巌の口調には、これまでにない苛立ちが滲んでいた。


「これだけ聞いても貴様は今の生活が続けられると思えるのか?」


 それでも六月は、凛の未来を奪う選択肢を考えたくなかった。


「……どうすれば諦めてもらえますか?」


 六月は率直にそう尋ねた。


 巌は少しの間沈黙した。


「……あの夜、生き残ったのは貴様だけだ」


 ぽつりと漏れたその一言に、六月は思わず巌の顔を見た。


「俺は無用に睦月の血を絶やしたくない」


 一人の人間としての本音が漏れた。


「そんなことを言われても……」


 六月がなおも渋ると、巌の顔つきが一変した。


「これ以上、貴様の我儘を許すつもりはない。納得できないなら、貴様の身柄をこの屋敷で監禁させてもらう」


 低い声には拒絶できない圧があった。


「――それは困ります!」


 六月は思わず声を荒らげた。

 それだけは絶対に避けたい選択肢だった。

 慣れてきた今の生活を、また手放すのはゴメンだ。


 家に帰りたい六月と安全を確保したい巌。

 両者の間には決して埋まらない溝があった。


 しばらくの沈黙の後、巌が口を開いた。


「――ならば、こうしよう」


「……何ですか」


「婚姻の話は、とりあえずは置いておく。その代わり二区に住居を用意する。貴様はそこに住め」


「二区ですか……」


「今よりも警備体制が格段に上がる。住む場所が変わるくらいなら、貴様の生活が大きく変わる事はないだろう」


 六月は少し考えた。

 霜月家の屋敷で軟禁されるという最悪の展開に比べて、二区への転居はまだ受け入れられる範囲だった。

 監禁生活だけは何としても避けたい。


「――分かりました。それなら」


「よし」


 巌はそれだけ言うと満足げに頷いた。

 表情が僅かながら緩んだ気がする。


「それと、もう一つ」


 立ち上がった巌が言葉を継いだ。


「今後、お前は月隠(ゲツイン)の魔術師と名乗れ」


「――え?」


「睦月の名は、まだ表に出す時期ではない。だが、あの秘術を見た者は既に多い。ならば呼び名で周囲を欺いて、貴様の情報を統制しておく必要がある」


 つまり、と一拍置いた。


「その名が、貴様を守る盾になる」


 威圧する口調だったが、六月を守ろうとする意図が透けて見える。


「――分かりました」


「契約成立だな」


 巌は立ち上がると部屋を出て行こうとする。


「睦月の名は、お前が取り戻せ」


 扉の前で立ち止まり、その言葉を六月に投げた。

 そして踵を返すと部屋から出ていく。

 その足取りには変わらぬ威厳が漂っていたが、心なしか肩の力が抜けたようにも見えた。


   ☆


 緊張から解放された六月が、身体を座卓に預けようとしていると障子が静かに開いた。


 入ってきたのは隼斗だった。

 スキンヘッドにサングラス、黒スーツという見慣れた姿だったが、その表情は真剣味を帯びていた。


「六月様、お館様からの指示を伝えます」


「え、あ、はい。隼斗さん?」


 突然の改まった態度に、六月は戸惑うしかなかった。


「まず明日から一週間はスサノオをお休みとしていただきます」


「休み、ですか」


「その間に新居への引っ越しを全て完了させて下さい。住居は準備が整っております」


 六月は頷きながらもまだ状況を飲み込みきれないでいた。

 あまりにも早すぎる展開に思考が追いつかない。


「それから――今後、わたしが六月様の警備担当となります。以後、常に行動を共にさせていただきます」


「え、隼斗さんが……?」


「はい。お館様、直々のご指名です」


 いつもの気安い調子とは違う隼斗の物言いに、六月の戸惑いは深まるばかりだった。


「最後に――旦那様から、もう一つ」


 隼斗が間を置いて続けた。


「霜月凛様との結婚が決まりました。本日よりお二人でお住み頂くことになります」


「……は?」


 一瞬、全ての時間が止まった気がした。

 隼斗の表情に冗談を言っている様子は見当たらない。


「い、いや、待って下さい。婚姻の話は、しまっておくって――」


「お館様の決定事項(・・・・)です」


 あまりにも重く、あまりにも唐突だった。

 しまっておく、というあの言葉は一体何だったのだろう。


 六月は両膝から力が抜けていくのを感じた。

 畳に手をついたまま、その場にずるずると崩れ落ちた。


(待ってくれ……待ってくれよ……)


 声にならない叫びが、六月の胸の中でこだまし続けていた。


 障子越しに差し込む夕日だけが、何事もなかったかのように静かに畳の上を這っていった。

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