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第十四話 霜月魔術祭 本戦 前編

 朝の九時。

 スサノオの廊下には、いつもとは違う喧騒が満ちていた。

 授業前の教室を行き交う生徒たちの声には、どこか浮ついた高揚感が感じられる。


 六月は教室の扉の前で詩織の姿を見つけた。


 いつもなら声をかけてくる詩織が、扉に寄りかかったまま俯いている。

 元気がないという感じではなく、思い詰めているような表情をしていた。


「よう、おはよう!」


 声をかけると、詩織はびくりと肩を震わせてから顔を上げた。


「あ……おじさん、おはよ」


 無理に笑おうとしているのが、手に取るように分かる。


「どうかした? 顔色、良くないけど」


「べ、べつに何でもないし。おじさんには関係ないでしょ」


 突っぱねるような口ぶりだったが、その声には普段の切れ味がない。

 

 六月はかすかな違和感を覚えていた。


 そこへ、遊が廊下の向こうから歩いてきた。

 普段なら軽口を叩いてくる少年が今日は妙に大人しい。

 足取りも心なしか重かった。


「よお、おっさん」


 短い挨拶を一度。

 それっきり遊は言葉を続けなかった。

 詩織とも目を合わせようとしない。


「二人とも、なんかあったのか?」


「何もねえよ。詮索すんな」


 遊が食い気味に答える。

 

 六月はどうするべきか迷ったが、タイミング悪くチャイムが鳴った。

 仕方なく教室に入ると、同時に凛が扉を開いた。


「皆さん、着席してください」


 よく通る芯のあるソプラノが部屋に響いた。


   ☆


「本日、十三時より霜月魔術祭本戦を開催します。わたしは本戦において審判として参加する事になりました」


 教室が僅かにざわついた。

 そのざわめきに構うことなく、凛は淡々と説明を続けた。


「観客席には、闘技場上部から大型の固定魔道具による障壁が設けられます。万が一にも観客席に魔法が届くような事は起こりません」


 生徒から感嘆の声が上がるが、凛は淡々と続ける。


「本戦がバトルロイヤル形式に変更されたのは、皆さんご存じの通りです。Aクラスから三チーム、そしてわたし達のCクラスからは六月さんのチームが参加します。是非皆さんで応援をお願いします」


 それだけ言うと、凛はモニターに動画を映した。

 それは昨日の予選を撮った物だった。


「今日は昨日の予選の様子を見て頂きます。皆さんと同時にスサノオに来られた方々が、どういう状況なのかを確認して下さい」


 動画の再生が始まると、生徒同士で議論が始まった。

 六月は詩織と遊の様子を窺いながら、動画から何か得られないかと考えていた。

 各予選の再生が終わる頃には正午近くになっており、そのまま昼食の時間へと移っていった。


 詩織と遊は食堂でもほとんど会話をする事はなかった。


   ☆


 時刻は十三時になろうとしていた。


 闘技場に設けられた観客席は、ほぼ満席になっていた。

 本戦という事もあり、学術院の住民の姿も見受けられた。


 その一角に、宮司隼斗と霜月流星の姿があった。

 二人並んで観客席の中ほどに腰を下ろし、中央のフィールドを見下ろしている。


「それにしても、こんな場所で観戦するなんて。珍しいこともあるものねえ」


 隼斗が肘掛けに頬杖をついたまま、隣に座る流星に視線を向けた。


「たまには普通の目線で見るのも悪くないと思ってね」


 流星は表情を変えず、静かにそう答える。

 着物姿のまま背筋を伸ばして座るその姿は、周囲の生徒たちの中で一際目を引いた。


「何か企んでそうね?」


「さあ、どうだろうね」


 はぐらかすような口調に、隼斗は小さく肩をすくめた。


「そう言えば、可憐ちゃんは?」


 流星に奥さんはどうした、と言外に聞く


「今日は東京で武闘会があるらしくてね。魔術よりも格闘技という感じだね」


 やれやれという仕草で流星は答えた。

 その後も続いた二人の掛け合いは、どこか気安い空気が漂っていた。


   ☆


 闘技場を見下ろす一段高い場所――特殊ガラスで保護されたVIP室がある。


 部屋には席があり四人の男性が座っていた。


「久しいな、雄介」


 霜月巌が低い声でそう切り出した。


「巌殿こそ。息災のようで何よりです」


 皐月雄介の声には慇懃さの奥に隠しきれない棘があった。

 表面上は礼を尽くしながらも、視線は厳しいままだった。


「今年の本戦は見応えがありそうだ。貴殿の息子も出ていると聞くが」


「ええ。もっとも勝敗というものは、蓋を開けてみるまで分かりませぬな」


 言葉の端々に含みを持たせたやり取りが続く。

 表向きは普通の会話でありながら、その裏ではどのような駆け引きがされているのだろうか。

 長年の因縁を持つ二人の間に、如月哲山と文月忍が座っていたが、二人はほとんど口を開けなかった。

 借りてきた猫のように身を縮め、巌と雄介のやり取りが途切れる瞬間をひたすら待っているのだった。


   ☆


 Cクラスの控え室に六月達はいた。


 狭い部屋の中、詩織と遊はそれぞれ離れた壁際に立っていた。

 二人の間に会話はなく、六月だけが取り残されたように、その中間に立っている恰好になった。


「そろそろ時間だな」


 場を繋ぐつもりで六月はそう声をかけた。

 詩織は小さく頷いただけで、目を合わせようとしなかった。


「……時間なんてどうでもいいし」


 詩織の声がわずかに揺れていた。

 遊は無言のまま拳を握ったり開いたりを繰り返している。

 二人の様子は本戦の時間が近づくにつれて、悪化しているようにさえ見えた。


 何かがおかしい。

 そう思いながらも、六月には絡まった感情を紐解く術がなかった。


   ☆


 残り時間が十分を切ったところで、控え室の扉が開いて係の生徒が呼びに来た。


「時間ですので闘技場に向かって下さい」


 言われるままに六月たちは通路を進んだ。


 闘技場に足を踏み入れると、その規模の大きさに息を呑んだ。

 放射状に広がる観客席は既に満席に近く、無数の視線がフィールドへと注がれている。


 反対側の入場口から、Aクラスの生徒たちが同じように姿を現した。


 九人の生徒の最後尾に、場違いな坊ちゃん然とした顔立ちを見つけた。

 高級なスーツに身を包み、純白のジャケットを羽織っている。

 前髪を切りそろえたその青年は、余裕に満ちた笑みを浮かべている。

 洸介の顔を知らない六月には、それが誰なのか分からなかった。


 フィールドの中央、審判席に立っていたのは凛だった。いつもの美しい立ち姿をしていた。

 洸介は舐めるような視線を凛へと向けている。


「これより、霜月魔術祭本戦を行います。バトルロイヤル、開始!」


 洸介を意に介する事なく、凛の号令が闘技場全体を震わせた。


「おじさん、ゴメンね」「悪いなおっさん」


 何事かと見ると、遊は悔しそうに唇を噛んでいる。

 詩織は俯いていて表情が見えなかった。


 同時に二人が示し合わせたように両手を挙げた。


「「……棄権します」」


 舞台から降りる二人を目で追いかけてはいたが、六月は理解が追いついていなかった。

 凛も目を見開いて驚きを隠せないでいた。


 その時、フィールドに散開していたAクラスの生徒九人――その最後尾にいた、あの余裕に満ちた笑みの青年も含めて――全員が、六月一人に狙いを定めて魔法を放った。

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