第十三話 決戦前夜
【洸介視点】
自室に籠り、僕は予選の映像を繰り返し再生していた。
再生ボタンを押した回数はもう覚えていない。
力が入りすぎて指先が冷たくなってきていた。
第二会場でCクラスのチームが、本戦に進出するというイレギュラーが発生した。
想定していなかった事態だ。
僕のシナリオでは、本戦に残るのはAクラスのチームだけのはずだった。
決勝戦をAクラスが独占出来れば、凛さんは僕を見直してくれるはずだった。
スサノオに来て気付いたことがある。
Aクラスの生徒は、すべて皐月家に縁のある人間で固められていた。
念には念を入れる、というやり方が父上らしい。
幸い、校長の文月忍は皐月コンツェルンから多額の借金をしている。
あの男が僕たちの意向に逆らうことはあり得ない。
金の力は人間を服従させる事ができる鎖。
これは父上から教わった処世術だった。
それだけの布石を打っておきながら、まさかCクラスから本戦進出者が出るとは思っていなかった。
(六月、だったか)
映像の中で、その男は掌から漆黒の靄を放っていた。
事前に確認した記録では、奴のスコアはC評価だったはず。
だが、これは明らかに測定にトラブルがあった言わざるを得ない。
制御力の精緻さ、魔法の立ち上がりの速さ。
どちらを取っても、入学から一週間で到達できる内容には見えなかった。
僕は苛立ち紛れに映像を一時停止させ、コウモリの軌道を目で追った。
それは、まるで意思を持った獣そのものの挙動だった。
(この動きを、意図して作っているとしたら――)
そこまで考えて僕は含み笑いを漏らしていた。
あり得ない。あり得るはずがない。
自分の顔が歪んでいくのが分かる。
(……計画が狂い始めている)
当初は、凛さんの担任としての信用を貶めるために、転入させた長月の分家筋の子に問題を起こさせるつもりだった。
教師として失格の烙印を押させ、救いの手を差し伸べる。
そこに付け込むだけの単純明快な計画だったはずだ。
だが、その工作はあっさりと失敗に終わった。
(何が悪かったんだ……手順は間違えていなかったはずだ)
僕は椅子の背もたれに身を預けたまま、天井を見上げて何度も自問する。
だが、いくら考えても、答えらしい答えは出てこない。
苛立ちが胸の奥で燻り続ける。
歯噛みしながら、僕は映像の再生ボタンを押した。
(Cクラスが優勝してしまうかも知れない)
そうなれば凛さんの担当するクラスが、最も輝かしい結果を残すことになる。
それは僕の計画にとって最も避けたい展開だ。
彼女の信用は地に落ちるどころか、むしろ担任教師としての手腕が評価されてしまう。
(……冗談じゃない)
低く呟きながら、僕は端末を操作して秘匿回線を呼び出した。
呼び出し先は校長の文月忍。
コール音が一度だけ鳴ると相手は応答した。
『皐月様、如何なさいましたか』
電話越しの声には、隠しきれない緊張が滲んでいる。
「明日の魔術祭、競技内容を変更して頂きたいと思いまして」
「――変更、と申しますと」
「バトルロイヤル形式に」
僕は淡々と告げた。
指示だけを静かに突きつけてやればいい。
Aクラスは九人、対してCクラスはたったの三人。
人数の差がそのまま優位に直結する形式であれば、数の力で押し切ることができる。
単純だが確実な手段だった。
『し、しかし、それでは怪我人が出る可能性も――』
「文月校長」
僕は相手の言葉を遮った。
「皐月コンツェルンとの契約、まだお忘れではないですよね」
電話の向こうで息を呑む気配がした。
沈黙が数秒続く。
『……承知いたしました。競技内容の変更を手配いたします』
通話を切ると僕は小さく息を吐いた。
これで一つ、目算は立った。
だが、それだけでは足りない。
しばらくすると、タブレットに競技変更を知らせる通知が画面に表示された。
それを確認すると、僕は再び映像へ視線を戻した。
黒いコウモリの群れが、意思を持つように的へ向かっていく。
長月の炎と師走の水が、それぞれの軌道を描きながら次々と的を撃ち抜いていた。
(……どうすれば、たった一週間でここまで到達できるんだ)
その疑問は僕の中で、どこか歪んだ興奮も呼び起こしていた。
優れた敵であればあるほど、それを打ち負かした時の快感は大きくなる。
これまで僕に抗った奴らは、すべて金の力で強引に捻じ伏せてきた。
今回の相手も金の力で捻じ伏せる事を思うと、僕の中で高揚感が膨れ上がってくる。
映像を眺めながら、僕はもう一つの手を思いついた。
あの男が孤立無援になるような、もう一段の仕掛けを。
(面白くなってきた)
口の端が、自分でも制御できないほど吊り上がっていくのが分かった。
数時間後、僕は再び秘匿回線を開いた。
☆
「明日のご予定について、確認させて頂きます」
秘書の声に、霜月巌はソファに深く腰を下ろしたまま、軽く頷いた。
朝は閣議への出席から始まる。
その後、党三役との昼食を挟み、午後には総理との面談。
夕方には派閥の会合が控えており、夜は野党幹部との会食で締めくくられる予定になっていた。
政治家としての一日は、常にこうして分刻みで埋め尽くされている。
「全てキャンセルだ」
巌は短く告げた。
その一言に秘書は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻した。
手早く端末を立ち上げて調整を始める。
長年仕えてきた秘書にとって、突然の予定変更は腕の見せどころだ。
驚くことはあっても慌てることなどなかった。
「学術院へ向かう」
続けざまに放たれた指示に、秘書は表情一つ変えず電話をかけながら移動の準備を進めていく。
長年の経験がそうさせるのだろう。
閣議の代理出席の手配、党三役への詫び状、総理秘書官への連絡――次々と発生する調整事項を、秘書は淀みなくこなしていった。
慌ただしく動き回る秘書の姿を横目に、巌は懐のスマートフォンに視線を落とした。
届いていたのは、内閣府特区管理局長を務める孫――流星からのメッセージだった。
『本日の魔術祭で無属性魔法が確認されました。まだ詳細は不明ですが取り急ぎご報告致します』
その文面を巌は何度も読み返した。
指先が無意識のうちに画面をなぞる。
「無属性……」
巌はソファに深く腰を沈めると、何もない虚空を見つめた。
秘書の声も、電話の呼び出し音も、いつの間にか耳に入らなくなっていた。
脳裏に浮かぶのは遠い記憶の断片だった。
焼け跡の匂い、闇に沈んだ屋敷の輪郭、そして――もう二度と思い出すことはないと決めていた、いくつかの顔。
「あれから三十年か……」
巌は何かを思い出すように呟いた。
☆
【六月視点】
部屋に戻ると、俺はまず着替えを済ませた。
制服代わりのスーツを脱ぎ、着慣れたスウェットに袖を通す。
この一週間ですっかり馴染んだ動作だった。
台所に立ち、宮司さんに教わった通りの手順で簡単な炒め物を作る。
大した腕前ではないけれど、味付けだけは間違えないよう気を付けている。
出来上がった皿を前に、テーブルに一人向き合った。
「いただきます」
誰に言うでもなく一言を口にしてから箸を進める。
我ながら上手くできたと自画自賛しつつ、チューハイを片手に食べ始めた。
食べ終えると俺はパソコンを立ち上げた。
起動したのは、霜月さんが来た時に見せたゲー厶だった。
フィールドを歩く自分のキャラクターを眺めながら、俺はふと考える。
(このゲームで培ってきたものが、魔法で活きるとしたら――)
俺はコントローラーを置き、代わりに右手を宙にかざした。
「まずは、これだな」
指先に意識を集中させる。
頭の中に思い描くのは、ゲームでよく使っていた技だった。
魔法の詠唱を短縮するために、動作の途中でキャンセルを差し込み、次の行動へ即座に移行する。
いわゆるキャストキャンセルと呼ばれる技術だ。
試しに小さな靄を作り出し、それを解除しようとしてみる。
けれど思うようにいかなかった。
「……あー、駄目か」
靄は中途半端な形のまま霧散し、後には微かな違和感だけが指先に残った。
魔力回路とゲームのシステムとでは、そもそもの仕組みが違うのかもしれない。
「じゃあ、こっちはどうだ」
次に試したのは、複数の魔法を同時に起動させる方法だった。
ゲームでよく見た、二丁拳銃のように両手から別々の技を放つあの動きだ。
左右の掌に意識を分散させ、それぞれに別の靄を生み出そうとする。
だが、右手に集中すれば左手の靄が霧散し、左手に意識を向ければ右手の方が崩れてしまう。
何度試しても、同じ結果の繰り返しだった。
「くそ、二兎を追う者って誰が言ったんだよ」
誰も聞いていないと分かっていても、口に出さずにはいられなかった。
結局、何の成果もないまま、時間だけが過ぎていった。
「まあ、いいか。今日はこの辺にしておいてやる」
俺は小さく息を吐き、パソコンの電源を落とした。
この一週間、少しずつ積み重ねてきたことを思えば、今日一日で何もかもが上手くいくはずもなかった。
☆
俺はぼんやりとシャワーを浴びていた。
勢いよく吹き出すお湯が、肩や背中に当たっては弾け、細かな飛沫となって足元へ流れ落ちていく。
俺は指先を伸ばし、目の前を流れ落ちる水滴を軽く弾いてみる。
小気味良い音を立てて水滴が弾け、細かな飛沫となって四方に散った。
「お、地味に面白いな、これ」
水滴を弾くだけなのに妙にハマる感触があった。
俺は調子に乗って、次から次へと落ちてくる水滴を指先で弾き続ける。
狙いを定めた水滴に指が当たるたび、小さな快感が指先を伝った。
弾いて、弾いて、また弾く。
その単調な動作を繰り返すうちに、頭の中にあった記憶が重なる。
暇つぶしでよくやっていたリズムゲームだ。
落ちてくるノーツを、タイミングよく捌いていくあの感覚に、今の動きはどこか似ている。
「――待てよ」
俺は弾く手を止め、代わりに指先へ小さく魔力を集めた。落ちてくる水滴を、今度は無属性の靄で受け止めてみる。
展開。
受ける。
消す。
その一連の動作を、意識して繰り返してみた。
最初はぎこちなく、タイミングも合わなかったが、何度か試すうちに感覚が掴めてくる。
落ちてくる水滴の速度に合わせて、靄を展開するタイミングを微調整していく。
受け止めた瞬間にすぐさま消し、次の水滴に備える。
「展開、受ける、消す……展開、受ける、消す」
口の中で小さくリズムを刻みながら、俺は徐々にその速度を上げていった。
最初は一秒に一回がやっとだったものが、次第に間隔が縮まっていく。
水滴が細かくなればなるほど、要求される精度も上がっていくが、不思議と苦にはならなかった。
むしろ、ゲームでスコアを更新していく時のような高揚感が、じわじわと込み上げてくる。
(これは、いけるかもしれない)
シャワーを止めるのも忘れて、俺はしばらくその場で水滴と魔法の掛け合いに没頭し続けた。
シャワーを終えてベッドに横になると、俺は早速右手を天井へ向けてかざした。
先ほどの感覚を思い出しながら、指先に小さな靄を展開しては消し、展開しては消しを繰り返す。
実際の水滴がなくても、頭の中でイメージを描くだけで、ある程度は動きを再現できるらしい。
「展開、消す……よし、いい感じだ」
まだ発展途上の技術だったが、確かな手応えがあった。
明日の本戦までに、どこまで完成度を高められるかは分からない。
それでも、この小さな発見が明日への糧になる予感があった。
やがて瞼が重くなってきた頃、俺は靄を消し、目を閉じた。
「……明日が楽しみだな」
誰にともなく呟いた言葉が、静かな部屋の中に溶けて消えていく。
詩織や遊と共に立つ舞台、そしてまだ見ぬ本戦の光景を思い描きながら、俺は静かに眠りについた。




