第十話 霜月先生のげえむ的指導法
【六月視点】
朝の光に照らされたスサノオの結界は、今日もまた淡く発光しながら校舎全体を包み込んでいた。
近づくほどにその輪郭は揺らめきを増し、まるで陽炎越しに建物を見ているような錯覚を覚える。
この一週間ですっかり見慣れたはずの景色なのに、いつもより幾分か眩しく映った。
受付の端末に手のひらをかざし、出席登録を終える。
「あたし達はこっちだから」
「分かりました」
宮司さんと霜月さんが、手を振りながら人混みの向こうへ紛れていった。
教室が見えてくる出入り口の辺りに、見覚えのある人影があった。
ロングのツインテールを揺らしながら、腰に手を当てて仁王立ちする少女――長月詩織だ。
俺の姿を認めた途端、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「ザコザコおじさん、おはよう」
昨日の件が尾を引いていないようで安心した。
「おはよう」
俺は素っ気なく返しながら、脇をすり抜けようとする。
だが、詩織はそれを許すつもりなど毛頭ないらしい。
くるりと身を翻すと、俺の隣に張り付くようにして教室へ入っていく。
「ちょっと、無視すんなし」
「無視してないだろ。あいさつしたじゃないか」
「あいさつだけとか塩すぎ」
文句を垂れながらも、詩織は当然のように俺の隣の席に腰を下ろした。
まるで自分の指定席のような座り方をする。
どういう訳か、昨日に比べて絡み方が激しくなっている気した。
気の所為かも知れないけれど。
☆
タブレットが九時を告げると同時に、教室の扉が開いた。
黒のパンツスーツに身を包んだ霜月さんが、昨日と同じ無駄のない足取りで教壇へと向かう。
生徒たちの視線が一斉に集まるが、本人はそれを気にする様子もなく、淡々と資料を広げ始めた。
「本日は座学に入る前に、皆さんへお知らせがあります」
抑揚のない声が教室に響くと、それまでの弛緩した空気が一瞬で引き締まった。
「一週間後、霜月魔術祭というイベントを予定しています」
教室のあちこちでざわめきが起こったが、霜月さんは構わず続けた。
「スサノオでは魔法技術の向上を目的として、年に四回のイベントを開催しています。今回は三人一組でチームを組み、対戦していただく形式です」
「優勝賞金って、あるんですか」
誰かが遠慮がちに手を上げて尋ねる。
霜月さんは頷いた。
「優勝チームには百万トークンが進呈されます」
その数字に、教室中の目の色が変わった。
俺自身も思わず息を呑む。
学術院に来てまだ日の浅い自分にとって、その額の重みはまだ実感を伴わないほど大きかった。
「チームの申請は三日後の正午までです。詳細の確認や申請はタブレットで行ってください」
霜月さんはそれだけ言い終えると、余計な説明を挟むこともなく、そのまま座学へと移った。
テキパキとした切り替わりに、俺は改めてこの彼女の手際の良さを実感していた。
☆
その日の座学は、昨日とは内容が違っていた。
昨日はタブレットに映し出されたテキストを、ひたすら霜月さんの解説とともに読み進めるだけだった。
だが今日は教室の壁に据えられた大型のモニターに、いきなり映像を流し始めたのだ。
映し出されたのは、有名なドキュメンタリー番組だった。
野生動物たちが大地を駆ける映像、地球規模の惑星のスケール感を伝える映像、見たこともない地平線の彼方を映すカメラワーク。
教室の雰囲気が、じわりと変化していく。
「知らない事は、想像できませんから」
映像を流しながら、霜月さんは静かにそう言い添えた。
その一言には、いつもの平坦な声とは違う、何かしらの熱を含んだ響きがあるように聞こえた。
なるほど、と俺は妙に納得する。
魔法はイメージによって発動するのだと、これまで何度も教わってきた。
だとすれば、イメージの引き出しそのものを増やすことも、立派な訓練の一つになるのだろう。
動物の動き、自然現象の理、この世界の広がり――映像を見つめる生徒たちの目には、これまでの座学では見られなかった真剣さが宿っていた。
俺自身も、画面に映る映像に思わず引き込まれていた。
それはドキュメンタリー番組に興味がなかったとも言える。
雄大な大地、果てない海洋、そこで自由を謳歌する生物達を見て、これまで見てこなかった事を少しだけ後悔した。
☆
二コマの座学を終えて食堂に着く頃には、すっかり腹が減っていた。
生徒の総数が百人程度の規模だから、食堂はいつも余裕を持って利用できる。
俺は慣れない豪華なビュッフェの中から、迷いなくカレーとカツを選び取った。
カレーの上にカツを乗せ、大盛りのライスを添える。
この組み合わせは、アパート暮らしから続いている俺の定番だった。
席に着いて一口目を頬張ると、辛味と旨味が舌の上で広がる。
「おじさんは食事も貧相だね〜」
背後からかけられた声に振り返ると、詩織が呆れたような顔でこちらを見下ろしていた。
「これのどこが貧相なんだよ」
「カレーにカツって、発想が貧乏くさいっていうか」
「美味いんだからいいだろ」
詩織は少し不満げに口を尖らせると、隣の席に無造作に腰を下ろした。
「お前らって、漫才コンビだったっけ?」
声の主は師走遊だった。
トレイを片手に、当然のように詩織の向かいへ座った。
「う、うるさいわね師走!」
「お前、噛んでるじゃねえか」
「べ、別に噛んでないし!」
何があったのだろうか。
遊は昨日と完全に別人だった。
「まあ、それは良いや。なあ、おっさん」
遊はにこやかな毒舌を吐いて俺に向き直る。
「今度のイベント、僕らと組まねえ?」
突然の誘いに、俺は思わずカツを頬張ったまま固まった。
「おへろふむ? ろおひへほれなんら」
「食いながら喋るな。何言ってるのか分からねえ」
律儀に指摘してくる遊に、俺は苦笑しながら口の中のものを飲み込んだ。
「――俺と組む? どうして俺なんだ」
「べ、別に理由なんてないわ。人がいないだけ」
詩織が横から素っ気なく口を挟んでくる。
「教室にいるだろ?」
「まあまあ、とりあえず検討を加速してくれ」
遊は俺の疑問をあっさりと流すと、そのまま立ち上がった。
「行くぞ長月」
「なんでわたしがあんたの部下みたいになってるのよ! 年下のクセに!」
文句を言いながらも、詩織は素直に遊の後をついていく。
二人分の足音が遠ざかっていくのを見送りながら、俺は残ったカツをカレーにたっぷりと浸した。
(組む、か……)
俺はスプーンを口へ運ぶ。
今はまだ、その誘いにどう答えるべきか、深く考えないようにする事にした。
☆
午後になって俺たちは実技訓練場へと移動した。
吹き抜けの天井の下、白線に沿って生徒たちが順に並んでいく。
昨日と同じ光景のはずなのに、今日は空気が張り詰めているように感じられた。
「六月さん、少し良いですか」
声をかけられて振り返ると、霜月さんが少し離れた場所から歩み寄ってくるところだった。
表情は見慣れたすまし顔をしているが、その目はどこか期待に滲んでいる気がした。
「どうかしました?」
「今朝の黒い蝶を出して頂けますか。その……ゲー厶のような遊ぶ要素を、実技に取り入れたいと思いまして」
ゲー厶という単語を聞いて、黙っていられるゲーマーなど存在しない。
「その案に賛成です。是非お手伝いさせて下さい」
食い気味に答えた俺に、霜月さんは一瞬だけ目を丸くした。
それから小さく咳払いを一つ挟むと、いつもの調子を取り戻した。
「え、ええ。それでは、わたしは皆さんに説明しますので、六月さんは準備をお願いします」
そう言い残すと、霜月さんは並んで待つ生徒たちの方へ歩いていった。
俺はその背中を見送りながら、脳裏で今朝の練習を思い返す。あの水の蝶が生まれた瞬間の霜月さんの表情――涙をこぼしながらも、確かに笑っていたあの顔を。
指先に意識を集中させる。
だが、今回は蝶のような優雅な動きよりも、生徒たちが追いかけ甲斐のある、もう少し予測不能な標的の方がいいだろう。
そう考えた瞬間、脳裏に浮かんだのは、薄暗くダンジョンの中で群れを成して天井付近を飛び交っていた小型の魔物。
不規則な動き、急な方向転換、群れとしての連携。
あれをそのまま再現できれば、ちょうどいい訓練になるはずだ。
霜月さんが一通りの説明を終えると、俺のもとへ向かってくる。
「六月さん、それではお願いします」
その声に応えるように、俺は掌を天へ向けて突き出した。
指先に生まれた漆黒の靄は、三つの輪郭へと分かれていく。
羽ばたきの音を纏いながら空中に躍り出たのは、黒く小さなコウモリだった。
不規則に旋回し、時に急降下し、時に思いついたように曲がる。
生徒たちの間から声が上がった。
「うわ、動きえぐっ」
「あんなの当たるわけないだろ!」
だが、その困惑もつかの間だった。
生徒達が一斉に、動き回るコウモリへ向けて魔法を放ち始める。
掴みどころのない標的の動きに翻弄されながらも、その目には見たことがない熱が宿っていた。
「皆さん、魔力を使いすぎないように気をつけて下さい」
霜月さんが声を張るが、リアルなシューティングゲー厶さながらの展開に、生徒達はすっかり我を忘れて挑んでいた。
無意識に魔法を連発をする生徒が続出し、案の定、一人、また一人と魔力枯渇を起こしていく。
膝から崩れ落ちる生徒を、霜月さんが素早く保護していくのが視界の端に映った。
そんな中、最後まで残っていたのは二人だけだった。
詩織と遊だ。
「昨日の今日で同じ失態は起こさないっての!」
詩織が声を張り上げながら、慎重に炎の弾を放つ。
無闇に大きな出力を出そうとせず、小さく、正確に狙いを絞り込んでいる。
昨日の暴走が、きちんと経験として生きている。
「コレを考えたヤツ、イカれてるわ。遊んで魔法操作が上手くなるとか、やべえ」
遊は口では文句を垂れながらも、水色の球体を軽やかに操り、コウモリの進行方向に合わせて魔法を通していく。
見た目に似合わない冷静な判断力が、その一挙一動に表れていた。
「褒めてる遊とか珍し。そっち行ったよ!」
「任せろ」
二人は言葉少なに連携を取りながら、二匹のコウモリを撃ち落とした。
互いの攻撃範囲を無意識のうちに補い合うその動きに、俺は思わず感心してしまう。
他の生徒たちの中にも、思い思いの工夫を凝らす者がいた。
ある土属性持ちの生徒は、午前中のドキュメンタリー映像で見た罠の仕掛けを模して、地面に小さな窪みを作り出し、そこへコウモリを誘い込むようにしている。
動画から学んだイメージが、実際の魔法として形になっていく様子を見て、俺は妙に嬉しくなった。
霜月さんは魔力枯渇を起こした生徒たちを甲斐甲斐しく保護しながらも、その視線はずっと訓練場全体を見渡していた。
時折、休憩を挟むよう声をかけながら、誰一人として無理をさせすぎないように気を配っている。
気配りや配慮の細やかさが、とても際立って見えた。
時間はまたたく間に過ぎていく。
最後の一匹のコウモリが残った。
遊が小さくした水球を散弾のように放っても、急旋回で躱す。
詩織が移動先を狙い撃っても急下降しながらローリングして当たらない。
(俺が操作するコウモリを簡単に落とせると思うなよ)
更にジグザグや急停止、フェイントなども織り交ぜる。
全く当たらない魔法に二人の呼吸は徐々に荒くなっていた。
「なんだコイツ。こんなの絶対に無理だろ」
遊は疲れた声を出した。
その時、ゆらりと水球が近づいて来た。
大きさは野球のボールほど。
俺は遊が仕掛けてきたのかと思った。
様子を伺う為にコウモリを水球から離す。
刹那、水球が破裂した。
俺はそれに気を取られてしまう。FPSで奇策を食らったニュービーのように。
水球はそのまま網に形を変えてコウモリを食らう。
(クソっ、やられた! でもGG!!)
午前の座学で見た、水の入った風船が割れた時の挙動を利用した方法だった。
俺は周囲を見渡す。
遊は驚いたように網を見つめていた。
その向こうで、霜月さんと目が合うと、ほんのわずかに視線が揺れた。
(……ああ、なるほど、そういう事か)
午前中の授業で霜月さんは言っていた。
『知らない事は、想像できませんから』
あの言葉は、生徒だけに向けられたものじゃなかった。
霜月さんは、自分自身も授業を続けていたんだ。
俺は思わず口角を上げた。何故か霜月さんは視線を反らした。
☆
授業が終わると生徒達は疲れ切っていた。
それでも誰一人、不満そうな顔はしていない。
夢中で遊んで、気付けば魔法が上達していた。
そんな授業だった。
生徒達を見つめる霜月さんの口元が、ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。




