第七話 二人
【六月視点】
エントランスに入ると、廊下の照明が足元を照らす。
雨足は既に強くなっており、降りしきる雨の音でこの場所にまで聞こえてくる。
エレベーターを待つ間も、霜月さんは俺の少し後ろに立ったまま無言だ。
時折、静かに咳をしていたのが気になった。
玄関の前に立ったところで、俺はふと自分の部屋の状態を思い出した。
「少し散らかっているので、片付けてきます」
「わたしは気にしません」
躊躇いを寄せ付けない即答だった。
霜月さんの言葉に迷いがないのは知っていたが、それでも俺は一瞬だけ扉の前で固まった。
(気にしない……か。俺が気にしすぎているのか)
俺はドアに手のひらをかざすと、小さな電子音と共に施錠が解かれた。
☆
「何もないですが、ソファへどうぞ」
部屋に入りながら、俺はそう案内した。
テーブルの上にはゲー厶ミングパソコンと、ゲームのパッケージが積み上がったままだった。
とりあえず、テーブルの上に鎮座していた箱の山を床に置いた。
これで一先ずは大丈夫だと思う。
霜月さんは部屋の中を一渡り見回してから、ソファに腰を下ろした。綺麗な姿勢で座る彼女に、この豪奢なソファがとても様になってるように思える。
「飲み物買ってきます」
俺は冷蔵庫を中を確認して絶望した。
中にはチューハイの缶しか入っていない。
一週間の学術院生活で食材を買ったりしていたが、他人を部屋に招待するのは想定外だった。
「気にしないで下さい。それよりも、げえむというものが見たいです」
「……はい」
ゲームの催促に、俺はおとなしく頷いた。
まずパソコンの前の床に座り電源を立ち上げる。
霜月さんはソファに座ったままだ。
ゲームが起動するして、タイトルが表示された。
「これが……げえむ」
画面を見つめる霜月さんの横顔が、チラリと視界の端に映る。
このゲームは剣や魔法を使いながら敵を倒していく、一般的なアクションRPGだ。
ただグラフィックへのこだわりが飛び抜けていて、専門誌でもゲームの内容以上に映像美が高く評価されている。
セーブデータを呼び出すと、俺のキャラクターが画面に表示される。
「どうして女性なんですか?」
霜月さんに指摘されてマウス操作がブレる。
「あ、えっと、その、女性キャラクターの方が見た目がキレイだから、ですね」
「このような姿で戦えるのでしょうか?」
キャラクターの衣装は露出を優先した設計になっていた。
胸元や背中が大きく開いており、足元は薄い布で辛うじて覆われている程度だ。
「け、軽装の方が動きやすいですから……」
必殺技を誤爆した。
「凄く綺麗な人ですよね。六月さんもそう思いませんか?」
淡々とした声で放たれる質問が容赦なく刺さる。
けれども、霜月さんにとっては純粋な疑問だったのだろう。
その時、強い敵に囲まれてしまった。
「ゲームのキャラも綺麗ですけど、霜月さんの方が綺麗ですよ」
俺は画面を凝視しながらキーボードとマウスを操作する。
普段では上手く出来なかった絶妙なパリイとスキルを駆使して、何とか戦闘を切り抜けた。
その後、霜月さんから答えに困る質問は来なかった。
俺は必死にキーボードとマウスを動かし続けた。
☆
「霜月さん、見てください」
十分ほどゲー厶を続けたところで、俺はそう声をかけた。
彼女が今日の実習で使っていたのは水球だった。
水属性が得意なのだろうと考えて、俺は数種類の水魔法をスキルスロットにセットした。
スキルのアイコンを押すと、水球が二つに分裂し、それぞれが鋭い氷柱へと変化して、敵へと向かっていく。
再生されるエフェクトは、グラフィックが売りのゲー厶らしく迫力のあるリアルな映像だった。
水が光を受けて複雑に屈折しながら砕け散る瞬間は、このゲームの中でも特に美しいエフェクトの一つだと、俺は思っている。
振り返ると、霜月さんは画面を凝視していた。
真剣な瞳だった。
ゲームを凝視しているというよりも、そこに映し出された魔法の動きを逃さない、という強い眼差しだった。
水球が分裂する瞬間、氷柱に変化する様子、着弾した時の砕け散り方。
それを全て記憶してやる、そんな様子だった。
「この動き方は現実には有り得ません」
しばらくして、凛はぽつりとそう言った。
「え?」
「水はあのように角度を変えず一直線に凍りません。氷柱を作るには、まず内部の温度を段階的に下げる必要があります。あの速度では、砕けるのではなく飛沫のまま凍りつくはずです」
あまりに具体的な指摘に、俺は思わずキーボードから手を離した。
「ですが……」
霜月さんは、少し間を置いてから続けた。
「綺麗だとは思います。現実の水はこんなふうに光りません」
その言葉にはどこか羨むような響きが混じっていた。
俺は何も言えず色々な水魔法を撃ち続けた。それを二人でしばらく黙って眺めていた。
☆
「少し喉が渇きましたよね」
俺は立ち上がって、冷蔵庫からチューハイの缶を取り出した。
「霜月さんってお酒はイケるほうですか?」
「いえ、わたしは未成年ですので……」
霜月さんは、画面を見つめたまま答えた。
俺はその返答を聞いてチューハイを落としてしまった。
スーツの着こなしや漂う雰囲気は、どう見ての歴戦のバリキャリウーマンのソレだからだ。
「それは絶対にダメですね。何か飲みたい物はありますか?」
「わたしはお水で結構です」
「本当に申し訳ない。今度は何か用意しておきます」
「…………はい」
俺は項垂れながらコップを二つ用意して水を注ぐ。
気の利いたものを用意できなかったことを心の中で詫びながら、テーブルにコップを置く。
コツンとコップの中の氷が触れ合った。
「本当に気になさらないで下さい」
顔に出ていたのだろう、凛はそう言いながらコップを口元に運んだ。
俺もそれに合わせて喉を潤す。
普通の水だけれど、何故かほのかに甘さを感じた。
「それではゲー厶を再開しますね」
「はい、お願いします」
一息ついたところで、俺は再び床に座り直し、ゲームの画面に向かった。
☆
水魔法を一度、また一度と放つ。
エフェクトの異なる技を意識して選びながら、連続して発動する。
水球が渦を巻くもの、直線に走るもの、地面を這うように広がるもの。水の表現がそれぞれ違った表情を見せる。
感想を求めようと振り返った瞬間、霜月さんの異変に気がついた。
彼女の頬がいつもよりわずかに赤い。
ソファに座る姿勢も、心なしか傾いている。
背筋を伸ばすことを崩さなかったはずの霜月さんが、肘掛けに軽く体重を預けていた。
「霜月さん、大丈夫ですか」
「……問題ありません」
答える声にいつもの平坦さがなかった。
わずかに聞こえてくる呼吸が浅く感じる。
俺が腰を上げかけたところで、霜月さんの身体が緩やかに横へと傾いていった。
「霜月さん?」
俺が肩に手を添えた瞬間、彼女は立ち上がろうした。
けれども、脱力したように体勢を崩す。
「霜月さん!」
俺は霜月さんを抱きかかえながら、頬に手の甲で触れた。
焼けるように熱いというほどではないが、明らかに常温ではない。
荒い息の合間に、霜月さんの唇からかすかな声が漏れた。
「……少し、疲れたのでしょう」
「大丈夫ですか?」
「わたしは……基礎体温が、低いので……少しの熱でも……」
言葉が途切れる。
低体温体質だという話は初耳だったが、平熱が人より低い分、発熱時にどれほどの負荷になるのか、俺には見当もつかなかった。
ともかく今は、彼女の容態が心配だった。
俺は霜月さんをソファから抱え上げると、寝室のベッドまで運ぶ。廊下を歩くわずかな距離が、やけに長く感じられた。
布団の上に横たえると、彼女は薄く目を開け、それでもすぐに閉じてしまった。
額に浮かんだ汗を見て、俺は傘も持たずに部屋を飛び出した。
コンビニに着くと、熱冷ましのシートと氷を数個購入した。
それを抱えて部屋に戻る。
タオルで全身を拭き上げると、氷枕を用意して寝室に向かった。
☆
霜月さんの発熱対策が終わった頃、雨はさらに強さを増していた。窓ガラスを叩く音が、まるで急かすように鳴り続けている。
彼女は目を閉じたまま、浅い呼吸を繰り返していた。
ベッドの上で眠る霜月さんは、いつもの氷のような表情とは違って、どこか年相応の少女に見えた
(どうすればいい? 俺には何ができる?)
このまま様子を見るべきか、それとも今すぐ誰かを呼ぶべきか。
判断がつかないまま、俺は結局タブレットの通信回線を開いた。
こんな時に頼れるのは一人しかいない。
呼び出し音が二度鳴っただけで、相手はすぐに出た。
「はあい宮司さんよお。どうしたの? こんな時間に電話だなんて」
その声を聞いて、俺は肩の力が抜けるのを感じた。




