第五話 初級実践魔法
昼食を終えたCクラスの生徒たちは、午後の講義に向けて実技訓練場へと足を運んでいた。
吹き抜けの天井を持つ広大な空間には、等間隔に白線が引かれている。
見るからに特殊な壁材は、多少の衝撃を受けても跡が残らないよう作られているらしい。
おそらく、万が一に備えた安全装置の類なのだろう。
「その白線に沿って、等間隔に並んで下さい」
教壇に立つ時と変わらぬ抑揚のない声で、凛が指示を出す。
生徒たちはそれぞれ戸惑いながらも、示された位置に並んでいった。
全員が所定の位置のつくのを確認すると、凛は淡々と続けた。
「これから、それぞれの属性に応じた小さな玉を、手のひらに発現させてもらいます」
その一言を合図に、二十人の生徒たちは一斉に手のひらへ意識を集中させ始めた。
真っ先に成功したのは、長月詩織だった。
掌の上に小さな炎が、あっさりと形を成す。
隣に立つ師走遊も、負けじと水色の小さな球体を出現させていた。
二人は慣れた動作で魔法を操っていた。
だが、他の生徒たちは違った。
眉根を寄せて唸る者、拳を握りしめて力む者、あの手この手を試しながらも、掌には何一つ現れない。
それは仕方がない事だといえた。
多くの生徒にとって、これが自分の属性を初めて確かめる機会だったからだ。
理屈を理解していても、実際にイメージだけで魔力を引き出す感覚は、誰にとっても未知の領域だった。
「上手くいかない場合は、一属性ずつ順番に試してください」
凛の指示に、生徒たちはそれぞれ試行錯誤を始める。
午前の座学で習った通り、属性は誕生月によっておおよそ決まる。
十一月から一月生まれは水属性、二月から四月生まれは風属性、五月から七月生まれは火属性、そして八月から十月生まれは土属性。
六月楓は、六月生まれだった。
(じゃあ、火属性の可能性が高いってことだよな)
六月は掌を見つめ、脳裏に炎のイメージを思い描いた。
燃え盛る炎、揺らめく熱、何度もゲームの中で目にしてきた光景を頭の中で想像する。
指先に神経を集中させ、皮膚の下に眠っているはずの何かを、無理やりにでも引きずり出そうとした。
だが、いくら念じても、指先には何の変化も起きなかった。
周囲の生徒たちは、遅ればせながらも少しずつ小さな炎や水、風の揺らめきを掌に浮かべ始めている。
取り残されているのは自分だけなのではないかという焦りが、じわりと六月の胸の奥を締め付けた。
冷たいままの掌に、少しずつ焦りが滲み始める。
☆
「お兄さん、教えてあげよっか?」
不意に、女性の声が耳元をかすめた。
振り返ると、 腰に手を当て、上目遣いの詩織が近距離で立っていた。
「――いや、大丈夫だ」
六月は素っ気なく答え、再び掌に意識を戻す。
だが、詩織はそれで引き下がるような性格ではなかった。
「そんなこと言わないでさぁ、あたしが教えてあげるって言ってるのに」
しなを作るように身を寄せてくる詩織を、六月は視線すら合わせずに受け流した。
掌のことで頭がいっぱいで、それどころではないというのが正直なところだった。
実技の授業に懸けていた期待の大きさと、時間だけが過ぎていく現状に焦る気持ちが膨れ上がっていた。
詩織は角度を変え、時に声色を変え、ありとあらゆる手管で六月の気を引こうと試みる。
腕に軽く触れてみたり、耳元でわざとらしく囁いてみたり。
だが、当の六月はまるで意に介さず、ただひたすら手のひらに意識を集中させ続けていた。
その反応の薄さが、次第に詩織の癇に障り始める。
色仕掛けめいた態度でからかい、相手が本気で狼狽えたところをセクハラだと騒ぎ立てようとしていた。
だというのに、目の前の男は困りもしなければ、色めき立つ気配すら見せない。
まるで最初から眼中にないかのような態度に、詩織の中で何かが弾けた。
「――は? あんた、あたしのこと無視してんの?」
声のトーンが、一段低くなった。
掌の上で揺れていた小さな炎が、詩織の苛立ちを映すように、みるみる大きさを増していった。
「あのバカ!」
遊は脱兎の如く走り出した。
周囲の生徒たちも、蜘蛛の子を散らすように一斉に後退していく。
悲鳴に近い声が、あちこちで上がった。
膨れ上がる炎は、瞬く間に直径五十センチほどの巨大な塊へと成長していた。
轟々と唸るような熱風が、離れた場所にいる生徒たちにまで届いた。
詩織自身、掌の中で暴れる熱量に驚愕し、顔から血の気が引いていく。
(何、これ……止まらない……!)
制御を失った魔法が、術者の意思とは無関係に肥大を続けている。
詩織にもようやく、自分が引き起こしている異常事態の深刻さが呑み込めていた。
指先から伝わる感覚は、もはや自分の魔法を操っているというよりも、何か得体の知れないものに魔力を吸い取られているに近かった。
このまま制御が戻らなければ、待っているのは魔力暴発しかない。
魔力を使い切るまで暴れ続けるその現象は、至近距離にいる詩織自身に、大怪我か、最悪の場合は死をもたらすことになる。
「危険です。全員、後方へ」
凛は表情一つ変えることなく、そう指示を出しながら前に進み出た。
両手の中に、澄んだ水の球を素早く作り出す。
その動きに一切の迷いはなかった。
「相殺します」
放たれた水球が、燃え盛る炎の塊へと吸い込まれていく。
炎は何事もなかったかのように、さらに勢いを増して肥大を続けていった。
凛の目がわずかに細められる。
それは彼女にしては珍しい、動揺に近い表情の変化だった。
「た、たすけ……」
制御を失った魔法は、術者の魔力を一方的に食い荒らし続けている。
魔力を奪われ続けた詩織の顔色は、徐々に青白く変わっていった。
声にならない悲鳴は炎によってかき消された。
膝が震え、立っていることすら困難になり始めている。
☆
(このままじゃ、あの子が――)
六月は、目の前で膨れ上がる炎を見つめながら、頭の中で必死に何かを探っていた。
凛の水球すら弾き返すほどの魔法を、自分に止められるとは到底思えない。
それでも、目の前で人が倒れようとしているのを、ただ黙って見ていることだけはできなかった。
ふと、脳裏に蘇ったのは、熱中していたオンラインRPGの光景だった。
敵の猛攻を防ぐために、幾度となく発動してきた防御魔法。
障壁を張り、結界を展開し、味方を守る。
画面越しに何百回、何千回と繰り返し見てきた光景が、今この瞬間、現実の想像と重なっていく。
イメージすることは、驚くほど簡単だった。
六月は掌を突き出し、腹の底から声を絞り出す。
「うおおおぉぉっ!!! 全てを守ってくれぇぇ!!」
叫びと共に、突き出した指先から一筋の漆黒が伸びていく。だが六月が想像していた魔法よりも範囲が狭い。
「いや違う! まだだ!! まだ狭い!!」
墨を流したような黒い帷は、音もなく薄く薄く広がっていくき――詩織の生み出した灼熱のフレアを包み込んだ。
ブラックホールに包まれた小さな太陽は、その輪郭を縮小していき跡形もなく消滅した。
周囲の生徒たちが、息を呑んでその光景を見守っている。
六月は息を切らしたまま、その場から一歩も動けなかった。
実技訓練場に、静寂が戻る。
燃え盛っていた炎が消えた瞬間、糸が切れたように詩織はその場に崩れ落ちた。
魔力を根こそぎ使い果たした身体は、そのまま意識を手放し、床に力なく倒れ込んでいった。
(漆黒の……魔法……?)
凛の呟きは誰にも届かずに消えていった。




