四話 初級魔法講座
昨日はオリエンテーションだけで終わったが、今日からいよいよ本格的な講義が始まる。
タブレットの案内によれば、最初の一週間は全員が同じ基礎講義を受け、二週目からは各自で受講する講義を選んでいく仕組みらしい。
今日のカリキュラムは、初期魔法学と実践魔法学の二本立てだ。
前者は座学、後者は実際に魔法を使う実技だという。
スサノオの登校時間は九時。
一コマの長さは九十分で、午前に二コマ、昼休憩を挟んで午後にまた二コマという構成になっている。
今日は午前中の二コマを丸々使って基礎理論を座学で学び、午後は実技場に移動して実際に魔法を扱う授業になるらしい。
大学のようなコマ制だと聞いてはいたものの、実際に時間割を目にすると、専門学校時代の記憶がぼんやりと蘇ってきた。
九時になり、講義が始まった。
Cクラスは、全員が欠けることなく席に着いていた。
教壇に立つのは、クラス担当の霜月さんだ。
今日も相変わらず、黒のパンツスーツに身を包んでいる。
「まず、魔素と魔力の違いについて説明します」
いつも通りの平坦な声で、霜月さんは淡々と講義を進めていく。
魔素は魔力を構成する最小の要素であり、術師の属性によってその結びつき方――魔素結合と呼ばれる過程――が決まる。
魔力回路の中でその魔素が精製され、結合することで、初めて行使可能な魔力になる。
属性が定まっている以上、その属性以外の魔法は原則として扱うことができない。
「効果や現象そのものは、それぞれの属性を司る神格がモチーフになっています。火はカグツチ、水はミツハノメ、風はシナツヒコ、土はハニヤス、そして無はコクウ」
聞き慣れない神々の名前が、次々と挙げられていく。
タブレットの資料には、これと同じ内容がもっと細かく記載されている。
それなのに、こうして人の口から直接説明されると、なぜか記憶への残り方が違う気がする。
霜月さんの声には抑揚こそないものの、言葉選びには一切の無駄がなく、聞いているだけで内容がすっと頭に入ってきた。
板書もほとんど使わず、口頭だけで淀みなく説明を続ける様子には、教師としてのセンスを感じさせるものがあった。
「属性は、生まれた月によっておおよそ決まっています」
霜月さんは続けて、指を折るように説明を加えていく。
「十一月から一月生まれは水属性。二月か四月生まれは風属性。五月から七月生まれは火属性。そして八月から十月生まれは土属性です」
俺は思わず自分の名前と誕生月を頭の中で重ねていた。
六月生まれなら、順当にいけば火属性ということになる。
午後の実技で試すことになるのだろうかと考えながら、俺はタブレットのメモ欄にその一文を書き留めた。
「ただし、あくまで傾向に過ぎません。例外も存在します」
霜月さんはそう付け加えたが、それ以上の詳しい説明はなかった。
例外という言葉だけが、妙に耳に残った。
魔法の発動は、脳内でのイメージによって成立する。
イメージされた瞬間、魔力回路が身体中に散らばった魔素を掻き集め、末端――主に手の平や指先へと集約していく。
心臓に最も近い末端がその集約点になりやすいという説明を聞きながら、俺はふと、あの路地裏で自分の腕に纏わりついた薄い膜のことを思い出していた。
あれも、こうした過程を経て発現していたのだろうか。
あの時は無我夢中で、仕組みのことなど考える余裕もなかった。
「魔力の使用には、危険も伴います」
霜月さんの声のトーンは変わらないままだったが、その一言に、教室の空気がわずかに張り詰めた。
「体内の魔力を九割以上使い切った状態を、魔力枯渇と呼びます。血液中の魔素が失われるため、貧血に近い症状が現れます。もう一つ、覚えておいてほしいのが魔力暴走です」
制御できる限界を超えて魔力を扱おうとすると、術者自身の意思では止められなくなる現象があるのだという。
一度その状態に陥ると、あとは魔力が尽きるのを待つしかない。
霜月さんは、どこか念を押すような調子でその説明を繰り返した。
「実技では、必ず出力を抑えて発動してください。特に、初めて自分の属性を試す際は要注意です」
その一言には、これから起こる何かを予感させるだけの重みがあった気がした。けれども、俺はその時、まださほど深くは考えていなかった。
休憩を挟みながら、たっぷり二コマ分の座学が終わる頃には、ノートアプリの画面が文字でびっしりと埋まっていた。
案外、真面目に授業を受けている自分に、少しだけ驚く。
学生時代でさえ、ここまで熱心にノートを取った記憶はなかった。
☆
昼休憩になり、食堂へ足を向けた。
スサノオ専属のシェフたちが腕を振るうというビュッフェは、噂に違わぬ豪華さだった。
焼きたてのパン、彩り豊かなサラダ、丁寧に仕込まれた煮込み料理。
値段設定を見た瞬間、思わず二度見してしまうほどの安さだった。
周囲の生徒たちは次々と皿を重ねていくが、俺はいまだにその感覚に馴染めずにいた。
適当に料理を取り分け、一人で空いている席に着いた。
黙々と食事を進めていると、向かいの席にコトリと音を立てて皿が置かれた。
「――え?」
顔を上げると、そこには霜月さんが座っていた。
表情に変化はなく、当たり前のように席に着き、当たり前のように箸を手に取っている。
周囲の生徒たちが、こちらへ視線を向けているのが気配で分かった。
(な、なんで俺の前に……)
戸惑いながら様子を窺うが、霜月さんはこちらを一瞥することもなく、静かに食事を口に運んでいる。
無反応、というよりも、そもそも隣に誰かがいるという事実自体を気にも留めていないようだった。
教壇に立っていた時と同じ、あの一切の無駄がない所作のまま、淡々と箸を進めていく。
ふと霜月さんの皿に目を落とすと、その盛り付けに俺は思わず言葉を失った。
刺身の隣に、こってりとしたクリームソースがかかった料理。
その横には、麻婆豆腐らしき赤い一皿。
和食とフレンチと中華が、何の脈絡もなく一つの皿の上に同居していた。
「……その組み合わせ、大丈夫なんですか」
思わず口をついて出た問いに、霜月さんは箸を止めることなく答えた。
「問題ありません」
それだけだった。
俺は少しだけ身を引きながら、それ以上の追及を諦めた。
霜月さんの表情には、やはり何の変化も浮かんでいない。
沈黙が気まずくて、俺はどうにか話題を探した。
「あの、今日の講義、すごく分かりやすかったです」
「そうですか」
抑揚のない、それだけの返事だった。
会話が続く気配は微塵もない。
「魔素と魔力の違いとか、俺、正直よく分かってなかったんですけど、霜月さんの説明でようやく理解できました」
「それは良かったです」
俺は焦りにも似た気持ちで、さらに言葉を継いだ。
頭のどこかで、これ以上続けても無駄だと分かっていながら、それでも会話を途切れさせることが怖かった。
「実技の授業も楽しみで……あ、そういえば、神様の名前とか初めて聞いたんですけど、あれって皆さん暗記してるものなんですか」
「必要に応じて覚えます」
会話というよりも、一問一答の応酬に近かった。
もともと人付き合いが得意ではない自覚はある。
それでも、これほど話が弾まない相手も珍しい。
焦れば焦るほど、口数だけが無駄に増えていく自分に気付きながらも、俺は止まらなかった。
「霜月さんって、普段からそういう食べ方するんですか」
「気分によります」
「なるほど……あの、俺、まだこの街のこと全然分かってなくて、もし良ければ――」
「お先に失礼します」
俺の言葉を遮るように、霜月さんは淡々とそう告げた。
綺麗に食べ終えた皿を持って立ち上がるとその場を後にする。
その後ろ姿を見送りながら、俺はようやく肩の力を抜いた。
緊張していたのか、それとも別の何かだったのか、自分でもよく分からない。
残された俺は、しばらく箸を持ったまま固まっていた。
何とも言えない雰囲気だけが、テーブルの上にぽつんと取り残されている。
それでも、いつまでも呆けているわけにはいかなかった。
タブレットの画面には、午後の時間割がすでに表示されている。
残っていた料理を口に運びながら、俺は気持ちを切り替えるように小さく息を吐いた。
座学だけでも面白かったが、本番はここからだ。
属性は生まれ月でおおよそ決まる、と霜月さんは言っていた。
だとすれば、自分はきっと火属性なのだろう。
そして、出力は必ず抑えて発動すること――その注意も、頭の片隅にしっかりと刻み込んでおく。
ついに、待ちに待った魔法の実技講座が始まる。
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