第三話 Cクラス
タブレットの画面越しに行われていた入学式が、静かに終わりを告げた。
画面が暗転すると同時に、各生徒の手元の端末には、この後の予定が自動で表示される。
クラスでのオリエンテーション、そのあとに構内施設の案内へと続いていく。
文字だけの簡素な通知だったが、教室内には緊張感が漂い始めていた。
誰も声を発しないまま、それぞれが手元の画面を確認し、また顔を上げては隣の様子を窺う。
静かなざわめきが、しばらく教室を満たしていた。
十分ほどが経った頃、教室の扉が静かに開いた。
夜空をそのまま映したような黒髪をまとめた、線の細い女性が姿を現す。
黒のパンツスーツに身を包んだその立ち姿は、教師というよりもどこかの有名企業のエリート役員を思わせた。
整った鼻筋と大きな二重の瞳、淡い色の唇。
足を進める所作の一つ一つに無駄がなく、教壇までのわずかな距離を歩くだけでも、育ちの良さがはっきりと滲み出ていた。
壇上に立つと、教室内の視線が一斉にその一挙一動へと集まった。
「Cクラス担当の霜月です」
感情の窺えない、平坦な声音だった。
それだけを告げると、霜月は表情一つ変えずに教壇の端へ視線を移した。
「それでは、端から順に自己紹介をお願いします」
その一言を合図に、自己紹介は次々と進んでいった。
ハキハキと元気な声の少年、堂々とした調子で自身の抱負を語る青年、人を小馬鹿にしたような口調の少女など。
多種多様な生徒たちの声が、教室内を順繰りに巡っていく。
凛はその一つ一つに、頷くでもなく、ただ静かに耳を傾けているだけだった。
「六月楓です。よろしくお願いします」
六月も簡潔に名乗り、席へ着いた。
周囲の反応を窺う余裕もないまま、あっという間に二十人分の自己紹介は終わりを迎えていた。
誰の名乗りにも同じ温度で応じる凛の様子に、六月はどこか肩透かしを食らったような気分になっていた。
☆
「これより構内の案内を行います。わたしについてきてください」
凛はそう告げると、先頭に立って教室を出た。
生徒たちはその後を追う。
廊下に響く足音が、二十人分重なり合って、思いのほか大きな塊となって進んでいった。
主要な講義棟、実技用の訓練場、食堂、図書館――凛は一切の無駄がない足取りで、次々と施設を巡っていった。
説明も簡潔かつ的確で、余計な感情を挟むことがない。
しばらくして、その歩調についていけない生徒が現れた。
十歳前後と思しき少年が、大人たちの歩幅に遅れを取り、列の後方でだんだんと差が開いていく。
誰もそのことに気付かないまま、集団は前へ前へと進んでいった。
前方の凛は振り返る素振りすら見せない。
「大丈夫か?」
六月は列を離れ、遅れがちな一人の少年に駆け寄った。
あどけない顔立ちの少年は、息を切らしながらも気丈に前を見据えている。
額に浮いた汗を拭う仕草も、どこかいじらしく映った。
「霜月さーん! こいつ、遅れそうです!」
六月が大声で呼び止めると、先頭を歩いていた凛の足がぴたりと止まり振り返る。
表情に変化はなかったが、その視線は少年を見定めているようだった。
「その方は、そんなに柔ではないですよ」
感情の読めない声で、凛はそう告げる。
「そうですよね、師走遊くん」
名指しされた少年――遊は、一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに大人しそうな笑みを取り繕った。
「……あはは」
凛は何も無かったかのように踵を返して歩き出す。
あまりにもあっさりとした対応に、六月は拍子抜けした様子で少年を見下ろした。
何が起きたのか、正確なところはまだ呑み込めていない。
列の陰で、遊の口から小さな舌打ちが漏れる。
それは、周囲には決して聞こえないほどの、微かな音だった。
「ねえ、おじさん。僕と遊んでよ」
人懐っこい笑みを浮かべたまま、遊は六月を見上げてそう誘った。
あどけない表情とは裏腹に、その瞳の奥には値踏みするような色が滲んでいる。
まるで、目の前の大人がどこまで自分に付き合うのか、その反応を観察しているようだった。
六月は軽く腰を落とし、少年と目線の高さを合わせた。
「ごめんな。俺、遊んでる余裕なんてないんだ」
六月は立ち上がり、先を行く集団の背中を追いかけていく。
少年の視線が、しばらくその後ろ姿に張り付いたまま離れなかった。
☆
残された遊の隣に、いつの間にか一人の少女が歩み寄っていた。
気が強そうなツインテールの少女、教室で人を小馬鹿にしたような自己紹介をした――長月詩織だった。
後方でずっと成り行きを見守っていたらしい。
腕を組んだまま、面白がるような目で遊を見下ろしている。
「上手くいかないね、師走」
からかうような口調で、詩織が声をかける。
「うるせえ、長月」
先ほどまでの人懐っこい笑みが嘘のように消え失せ、遊の声色ががらりと変わった。
仮面を脱ぎ捨てたその表情には、年齢に見合わない冷めた光が宿っている。
「剥がれるの早!」
「お前に猫被ってもしょうがねえだろ。あ〜おっさんうぜえ」
吐き捨てるように言うと、遊は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
年齢に似合わない毒気を孕んだその表情には、幼さの奥に潜む冷たさがはっきりと滲んでいる。
詩織は、そんな遊の様子を面白がるように口の端を上げた。
「じゃあさ、あたしに付き合ってよ?」
「何かイイ事、考えているのかよ」
遊は興味深そうに喉を鳴らした。
詩織の表情には、その態度を不快に思う素振りは微塵もない。
二人は顔を見合わせ、悪戯を企む子供のような笑みを交わすと、こつん、と軽く拳を打ち合わせた。
廊下の先では、まだ何も知らない六月が、遠ざかっていく集団を必死に追いかけている。
「明日の初講義でザコザコに仕掛けるわ」




