第三話 目を覚まさない勇者
魔王城を後にエドは必死に走っていた。
腕の中には勇者アカネ。
息は荒い。
足はもう限界だった。
森の中をどれだけ走っただろう。
ようやく朽ちかけた小屋を見つけた。
屋根は半分崩れ、壁も穴だらけ。
それでも雨風はしのげそうだった。
エドは小屋へ駆け込む。
床の埃を払い、アカネを静かに寝かせた。
胸は上下しない。
体は冷たい。
「勇者様……」
返事はない。
(なんで俺はこんなに必死なんだろう)
エドは壁にもたれかかる。
そして昔のことを思い出していた。
◇
俺には前世の記憶がある。
日本という国で生きていた。
どんな人生だったのか。
細かなことはもう思い出せない。
だが、気がつけばこの世界のスラムで生きていた。
両親の顔は知らない。
名前も知らない。
それでも生き残れたのは前世の知識があったからだ。
転生の恩恵なのか、幸いにも力には恵まれていた。
怪力。
それが俺の唯一の才能だった。
力と要領だけで冒険者になった。
必死に働いた。
コツコツ依頼をこなし、気がつけば三十六歳。
ソロの冒険者としてBランクまで上り詰めていた。
そろそろ引退しよう。
どこか田舎で静かに暮らそう。
そんなことを考えていた。
だが。
王城から呼び出しが来た。
断れる雰囲気ではなかった。
通されたのは宰相の執務室。
豪華な部屋だった。
平民の冒険者が入るような場所ではない。
白髪の老人が机の向こうからエドを見下ろしていた。
「お前が冒険者エドか」
「はい」
「Bランクのソロ冒険者だそうだな」
「運が良かっただけです」
宰相は鼻で笑った。
「謙遜するな」
「いや、冒険者など元より運任せの稼業か」
その言葉には明らかな侮蔑が混じっていた。
「これから話す内容は国家機密だ」
「口外した場合、王国への反逆とみなす」
「その意味は理解できるな?」
エドは静かに頷く。
「魔王が復活した」
「近く勇者を召喚し、討伐隊を派遣する」
「お前にはその勇者の補助要員になってもらう」
「荷物を持て」
「雑事をこなせ」
「命令があれば従え」
「以上だ」
あまりに簡潔だった。
「……私に戦えということでしょうか」
宰相は冷たい目を向ける。
「勘違いするな」
「お前のような平民冒険者に勇者の護衛など期待しておらん」
「王国騎士と宮廷魔術師がいる」
「お前は荷物持ちだ」
「それ以上でもそれ以下でもない」
エドは言葉を飲み込んだ。
「断ることは……」
「できると思うか?」
宰相の目が細くなる。
「王命だ」
「従えば褒賞を与える」
「拒めば王命への反逆として扱う」
「冒険者ギルドもお前を守らん」
「お前一人が消えたところで困る者もいない」
静かな声だった。
だが脅しとしては十分だった。
「……承知しました」
「賢明だ」
宰相は興味を失ったように書類へ視線を落とした。
「では下がれ」
「勇者の荷物持ちとして、せいぜい役目を果たせ」
エドは深く頭を下げる。
そして部屋を後にした。
断れば、たぶん俺は消される。
だから従った。
そして数日後。
再び王城へ呼ばれた。
今度は謁見の間だった。
勇者パーティとの顔合わせ。
そこにいた。
黒髪。
黒い瞳。
どこか懐かしい顔立ち。
異世界から召喚された勇者。
西谷アカネ。
年齢は高校生くらいだろうか。
周囲の貴族たちは微妙な顔をしていた。
噂は聞いていた。
異世界人は醜い。
この世界ではそう言われている。
この世界の人間は総じて顔立ちが整っている。
そのせいか、日本人のような顔立ちは、この世界では受け入れられないらしい。
アカネはエドの前に歩いてくる。
柔らかな笑顔だった。
「あなたが同行していただける冒険者のエドさんですね」
「私は勇者として召喚された西谷アカネです」
「こちらだとアカネ・ニシタニかな?」
「これからよろしくお願いします!」
エドは少し驚いた。
貴族でもない。
平民の荷物持ちだ。
普通なら話しかけもしない。
「冒険者のエドだ」
「雑事を任されている。遠慮なく言ってくれ」
無難に答えた。
他のメンバーは違った。
男騎士。
女宮廷魔術師。
女僧侶。
女斥候。
女戦士。
誰も平民のエドなど見ていなかった。
国王が現れる。
「皆、よく集まってくれた」
「ここにいる者たちを魔王討伐隊として派遣する」
「明日の朝、選抜された二千の兵と共に出発してもらう」
「今宵は出発式だ。英気を養い、明日に備えよ」
そうして解散となった。
◇
そして現在。
エドはアカネの冷たい手を握る。
「勇者様、死なないでくれ……」
静かな小屋に、その声だけが響いていた。




