「先端AI研究所の御堂真理」 08
2025.4.28 17:15 長野県・諏訪神社本宮社務所
「まずは、こちらをご覧下さい」
八重垣が差し出したのはかなり年季の入った古文書だった。
「これは?」
「鎌倉時代に書かれたものです。さらに古い時代に記された古文書を書き写したものだと言われております」
「拝見します」
真理が丁寧に古文書をめくる。古代史の資料に接する機会は多いので、扱いにも古文にもそれなりに慣れている。
書かれているのは不思議な鏡とそれにまつわる物語だった。
◇◇◇
昔々のこと。諏訪神社の近くに諍いの絶えない村があった。訴えを聞いて向かった宮司が聞いたところによると、元々仕事終わりに集まって笑いながら酒を酌み交わすような間柄だった住民同士がある日を境にいがみ合いを始め、暴力に訴えるものも出てきてしまったという。
話を聞いている最中にも「お前が悪い」「いや、そもそも前から気に食わなかったんだ!」と一触即発の空気が蔓延している。
困った宮司は「最近何か変わったことはありませんでしたか?」と村長に尋ねると、「東の浜に住んでる与一が浅瀬で立派な鏡が沈んでるのを見つけた。こりゃありがたいもんだ、っていうので祠を作って祀ったがそれぐらいのもんでさあ」
と返ってきた。気になった宮司はそれを見せて欲しいと尋ねると、村長は皆を連れ立って湖畔の粗末な祠に宮司を案内した。
祠には漆黒の鏡が御神体のように据え置かれ、村人が献上したであろう供物がその前に置かれている。
宮司が何気なく鏡を覗き込むと、これまでに感じたことのない怒りの感情が湧き上がってきた。そして村人を振り返り、厳しい言葉を投げつける。
「諏訪明神という御神体がありながら、得体の知れないものを崇めるとは何事だ!こんなものがあるから神のお怒りに触れてしまったのだ!今すぐ祠を壊し、この不吉な鏡を湖に打ち捨てよ!」
人が変わったように激怒する宮司の剣幕に押され、村人はその言葉に従い鏡は湖の沖合に沈められた。
「これで妙な諍いもなくなるだろう。一層信心せよ!」
立ち去る宮司に手を合わせ、村人はめいめい散っていった。
◇◇◇
その夜、宮司は悪夢にうなされていた。滝のような汗とともに何かの気配を感じ飛び起きると、そこには沈められたはずの黒い鏡がこちらを見返していた。
「やめろ・・・やめろ!それはもう、終わった事だ!」
恐怖に慄きながら、視線は鏡から外すことが出来ない。
「そんな・・・それを私にせよと仰るのか?」
絶望的な表情を浮かべる宮司だが、次の瞬間目に狂気を讃えた満面の笑顔に変わった。
「そうか・・・そういう事だったのか・・・」
宮司は立ち上がり正装し、宝物殿に向かい扉を開けた。無数の宝物から一振りの刀を無造作に掴む。
「私が、やらねばならぬ」
視点の定まらない目は昼間に訪れた村に向けられていた。
◇◇◇
夜半。月の光に照らされ、装束を身に纏った宮司が力強く村への道を進む姿が湖畔に映し出された。足取りに迷いはなく、真っ直ぐ村長の家へ向かうとトントン、と木戸を叩く。
寝ぼけ眼の村長が戸を開けると、びっくりしたように宮司の姿を認めた。
「これは宮司様、こんな時間に一体・・・」
村長が言い終えぬうちに宮司の刀から閃光が走った。村長の首は驚いた表情を残したままゴロっと床に転がる。返り血が宮司の装束を紅に染め上げる。何事かと起き出した村長の家族が最後に見たのは月光を背に光る刀を振りかぶる影だった。
村長の家から出てきた宮司は恍惚とした表情を浮かべながらも刀身を拭い、満月に向かって呟く。
「まだ、足りない・・・」
宮司は次の獲物を仕留めるべく、寝静まる村の中をゆっくりと進み始めた。
◇◇◇
与一は寝付けずにいた。いつもなら熟睡しているはずの時間だが、今日に限って目が冴えて眠れない。自分が拾ってきた鏡のせいだと言われたのがショックだったのだ。
「慣れねえことをするもんじゃねえな・・・」
寝返りを打った与一の耳に叫び声のようなものが届いた。何かが起こっている?
与一は鍬を持ち、外に飛び出した。声は五兵衛の家の方から聞こえてくる。
「五兵衛!」
叫びながら鍬を手に走り始めた。与一の大声に寝静まっていた村人も何事かと目覚め、外の様子を伺う。
五兵衛の家の庭先で与一が見たのは凄惨な光景だった。家族は血を流しながら倒れ、五兵衛も今まさにトドメを刺されようとしている。
「うおおおおお!」
頭に血が上った与一は何も考えず、紅い装束を纏った男に打ち掛かった。男は虚を突かれたのか、一瞬反応が遅れた。与一が振り下ろした鍬を受け止めきれず、刀が宙を舞う。さらに振りかぶった与一の目に飛び込んできたのは、気味の悪い笑顔が張り付いた宮司の姿だった。
「宮司さん・・・何であんたが・・・?」
怯んだ与一の隙を見逃さず、宮司は獣のように与一の足に噛みついた。
「放せ、この野郎!」
もつれあう二人だったが、騒ぎを聞いて駆けつけた村人の手によって引き離され、宮司はグルグルに縛られた。
「与一、大丈夫か?」
自らも深手を負った五兵衛が与一の体を気遣う。
「ああ、大した事はない。それよりこれはどういう事だ?」
与一は五兵衛の庭先に広がる惨状を指さした。
「分かんねえ。急に宮司さんが訪ねてきて、戸を開けたおっかあを切りつけやがった。こりゃいかんと逃げようとしたんだけど、逃げ遅れたのから順番に切り殺されて。ワシにも何が何だか」
そこに別の村人が血相を変えて走ってきた。
「他にもやられとる・・・村長のとこから順番に、どこも死体だらけじゃ!」
与一は宮司の前にかがみ込み、殺意のこもった目で宮司に問いかけた。
「宮司さん、こりゃどういう事だい?きっちり説明してもらおうか」
宮司は血まみれの顔に笑顔を讃えたまま満足そうに答えた。
「裁きじゃ。天に代わり、愚かなお前たちに裁きを下したのじゃ。お前たちは自らの命によってのみ、罪から解き放たれる」
「何言ってんだお前?人が人を殺していい理由なんてないだろ」
「神のご意志じゃ。私はそれに従ったに過ぎん」
「諏訪明神ともあろうお方がそんな事を?」
「諏訪明神ではない。もっと高貴な、偉大なるお方じゃ!」
与一は嫌な予感がした。
「まさか、あの鏡じゃねえだろうな?」
宮司は答えの代わりにゾッとするような顔でニヤリと与一を見た。
「そいつは今どこにある?」
「神が鎮座するのは、神殿を置いて他にあるまいて」
「・・・諏訪大社だ。みんな、ぶっ壊しに行くぞ!ついでにそいつも連れてきてくれ。朝になったら領主様に突き出して沙汰を受ける」
「ワシらは、殺された子らを弔ってやってもいいかい?」
老婆を筆頭に女性たちが悲痛な表情で与一を見ていた。
「・・・そうだな。丁重に弔ってやってくれ。野郎どもは、俺に続け!」
手に手に獲物を持った村の男たちは、一路諏訪大社を目指した。
◇◇◇
それはすぐに見つかった。宮司の寝所で禍々しい瘴気を撒き散らしている。
「いいか、絶対鏡を見るな!」
与一が鏡の背後に回り込み、ばたんと床に伏せる。裏側には中心に丸い窪みと、細やかな意匠が施されていた。
「おらよ!」
与一が持ってきた鍬で鏡を打ち据えるが鏡はびくともせず、鍬の先が曲がってしまった。
「これならどうだ!
思い思いに持参した獲物で鏡を打ちつけるが、びくともしない。
「壊せねえなら・・・こいつでどうだ!」
与一は壁に架けられていた値打ちの高そうな掛け軸を外し、鏡をグルグル巻きにした上紐で固く縛り付けた。鏡はその力を封じられたのか、殺気立っていた与一たちの怒りも収まり、気味の悪い笑顔を絶やさなかった宮司の顔色が真っ青に変わった。
「これは・・・私は何という事を・・・」
「遅えよ。このクソ野郎が」
吐き捨てる与一たちの元に領主一行が駆けつけてきた。いつの間にか夜は明け、窓からは朝日が差し込んでいた。
◇◇◇
その後の顛末は領主の聞き取りにより書物に記された。それが今真理たちの目の前にある古文書の原本だ。結びには宮司が最後に語った意味深な一文が残されていた。
「あれは普通の人間には扱えない。飲み込まれ、最後には考える力すら奪われてしまう。しかし、懊悩の奥で諏訪明神の声が聞こえた。これが本来の姿を取り戻し、然るべき時に然るべきものが真実の言の葉を放つことで門が開かれる、と。そして全ての門が開かれる時、人は真に神の声を聴く」
宮司はその後処刑されたため、それ以上の真実は分からない。が、この事から鏡は「コトノハノ鏡」と名付けられ、宝物殿の奥深くに封印された。




