「那智の女子高生占い師」 07
「ずーん」という形容詞を纏って、桐生は隅っこで膝を抱えていた。
「こう言う事だったんだ……」
リナが呟く。
「まあ、普通の人間が行ったらこないなるわな」
雲龍が膝を抱えたままの桐生をチラッと見る。
「何せ相手は“悟り”を開いた修験者や。生半可な覚悟やったら太刀打ちできん」
「では、どうすれば……?」
「今まで何回もやってあかんかったんやろ?」
不安げな真理とリナに雲龍が苦笑いと共に答える。
「・・・男にはやらなあかん時があんねん。それが今や」
「でも、あんなんに勝てんの?」
「悟り、なあ。よう分からんけど、精一杯やってみるわ」
「無理せんといてな」
「応援頼むわ」
雲龍は向きなおり、視線は勾玉に注がれる。ゴーグルを着け、一歩を踏み出す。
「うむっ」
雲龍の体に吹き付ける“圧”が一段と強くなる。煩悩が可視化され、入口へと誘う。
「……しょうもない。こんなもんで止まったるかい!」
二歩、三歩。
決して早い歩みではない。一歩ごとに苦悩を刻みながらも着実に前に進む。
「ハハっ、そう来たか!笑わしてくれるやんけ!」
四歩、五歩。
雲龍は立っていることも出来なくなったのか、両手をついてその場に踏ん張る。“圧”は強くなり、ツナギがバタバタとはためく。
「またそれかい……飽きたわ!」
ゆっくりと、だが力強く歩を進める。一歩ごとに礫が舞い、打ち付けられた雲龍の体に傷が刻まれる。体だけでなく、心も苛まされる雲龍のうめき声が響き、その様は煉獄を思わせる。
「もう・・・やめて。もう、ええから・・・」
涙ぐむリナの口から漏れ出る小さな叫び。雲龍は気付く事なく、ジリジリと這い進む。もう少し。手を伸ばせば、“勾玉”に手が届きそうだ。
“圧”は荒れ狂う嵐のようになり、雲龍は必死で大地にしがみつく。不意に嵐が止み、背後から声が聞こえてきた。
「諦めるって、どう言うこと?これに夢かけてたんとちゃうの?」
「どないしても、辿り着かれへんねん・・・」
「もう一踏ん張りちゃうかったん?」
「・・・心が、折れてしもた」
「何それ。今までどんな気持ちで見てたと思うん?しんどいけど、諦めへんあんたやから支えてきたんやで!」
「せやけど、もう金も限界や。何とかせなあかん」
「だからインチキ商品で稼ぎますって?あんた、どこまで私らを馬鹿にしてんの!」
「馬鹿になんかしてへん!他にワシに何が出来る?」
「何でも出来るよ。ここまで頑張ったんや。出来へん事なんかあるかいな。あんたはここまでよう頑張った。これからは、人様に誇れる夢を一緒に目指そ?」
「お父ちゃん、もう勾玉探さへんの?」
「うん。せやけど、これからずっと一緒にいてくれるって」
「ホンマ!やったー!お父ちゃん、約束やで!」
ここで素直になれてたら良かった。でも現実は意地を張り、勾玉を探すこともなくインチキ商品のインチキ店主として雲龍堂に逃げた。そんで、全部失った。家族を、娘の笑顔を。やり直すならここや。やっぱり、ワシには無理やったんや・・・
雲龍の目から光が消え、力なく振り返ろうとした時。その声は確かに雲龍の耳に届いた。
「お父ちゃん、負けんなーーーー!」
泣きながら、精一杯の声を届けてくれるリナ。雲龍の目に光が戻った。
「……世界一の応援やな」
視線を向ける。目の前に、怪しく光る勾玉。強烈な圧に逆らいながら、震える手を伸ばす。
「上人さんよう、あんたの言う“悟り”な、正直今でもよう分からん」
腕が、ゆっくりと前に進む。
「せやけどなあ、あんたが知らへんこと、ワシ知ってんねん」
震える指先。勾玉はもう目の前にある。
「男はなあ……父親ってのはなあ」
指先が触れる。
「娘のために出来へん事なんか、この世にないんじゃーーーーー!」
握られた勾玉。“圧”は急速に消滅した。
静寂の中、雲龍の荒い息遣いだけが響く。
ふらふらと立ち上がった雲龍が、手にした勾玉に語りかけた。
「見さらせ。これが、ワシの悟りじゃ」
◇◇◇
2025.5.12 午後/熊野・常闇の壁
“圧”が消え去った修行窟に座り込んだ雲龍。雫の落ちる音だけがこだまする空間を割いたのはリナの叫び声だった。
「お父ちゃーーーーーん!」
走り寄って飛びつく。真理と桐生も続き、二人の抱擁を眺めていた。
「えっと・・・リナさんと雲龍さんは、親子?」
泣き笑いの顔で恵が答える。
「はい、実の親子です」
「じゃ、本名は久保山さん?」
リナが少し気まずそうに答えた。
「本名は・・・有楽恵と言います。久保山は父方の姓で、有楽は母方の姓なんです。離婚した時に母が旧姓に戻したので、私も」
「色々苦労かけてしもてね。ワシも意固地になってたから、恵もそのうちワシんとこに寄り付かんようになって。せやから、昨日来てくれた時はホンマに嬉しかったんや」
「リナ・・・いや恵ちゃん、昨日あそこに行ったの?」
立ち直った桐生が尋ねる。
「あ・・・バレちゃった。えへ、心配だったんで様子を見に。そしたらお父ちゃんマジ切れしてるし、これは何とかしなきゃって」
「あれ、効いたわあ。めっちゃキツかったで」
「せやけど、ちゃんと今日来れたやろ?」
「よう出来た娘やわ」
「・・・もう、何言うてんの」
恵は涙の跡を残した顔のまま、笑って父を軽く小突く。
「・・・恵さん、雲龍さんと話す時は関西弁になるのね。何回かそういう事があったから、気にはなってたんだけど」
「そうなんですよ。普段はこんな感じなんですけど、お父ちゃんが相手になるとどうしても・・・血のなせる技、ってやつですかね?」
「それだけお父さんを信頼してる、って事よ。“素”を出しても大丈夫な相手だから」
「はい!」
恵がこれまでで一番、綺麗な笑顔で答えた。
「お父ちゃん、これがずっと探してた勾玉?ちょっと触ってもええ?」
「ええよ。満足するまで見たったらええ」
雲龍が優しい眼差しと共に恵に勾玉を手渡す。
「お父ちゃんが“受け継ぐ者”やったんやね!ほしたら、例の“門”も開けるんとちゃう?」
「見つけただけやで。ワシやないと思うわ」
「でも、せっかくやからやってみいへん?桐生さんのバッグにええもん入ってはるんやろ?」
恵が期待に満ちた目で桐生を見る。
「うん。“コトノハノ鏡”と言って、選ばれた人が持つと真ん中の水晶が光って、真実の言葉を告げると門が開く“鳴金”という現象が起きるんだ」
「そうなん?見せて見せて!」
無邪気にはしゃぐ恵に桐生が“コトノハノ鏡”を取り出して見せる。
「へえ、思ったより小さいんですね」
恵は勾玉とコトノハノ鏡を手にしたまま迷いなく出口に向かう。
「・・・恵さん?」
不自然なものを感じた真理が恐る恐る声をかける。
「そのまま動かんといてな。真ん中の水晶が割れたらえらいことになるんやろ?」
「恵ちゃん、どうしてそれを・・・?」
不思議と不安の混じった桐生の声に恵が答える。
「これ以上は秘密。言ったでしょ?余計な好奇心は身を滅ぼしますよ」
「恵、お前・・・」
「詮索はおしまい。運が良かったらまたお会いしましょう!」
ペンライトを手にスタスタと来た道を戻る恵を、誰もが信じられない思いで見つめていた。我に帰った真理が叫ぶ。
「追わないと!」
真理たちが出口に向かう洞窟に差し掛かったところで、先の方から爆発音と岩の崩れる音がした。どうやら出口を塞がれたらしい。
「やられた・・・」
雲龍のヘッドライトに照らされたのは、蟻の這い出る隙間もないほどに積み上がった礫の山。
勾玉と鏡を首尾よく手に入れた恵が、出口を塞いだ黒装束の男に誇らしげな笑顔で話しかける。
「うまく出来たでしょ?」
教主は出来の良い生徒を見る眼差しで優しく答えた。
「完璧だ。やはりあなたは特別な存在です」
夕日が落ち始め、遠くを飛ぶカラスの声だけが山中にこだましていた。




