温度のない水
空いたコップに、水を注ぐ。
減っている分だけ順に満たし、水差しを戻す。
リナは顔を上げる。
店の中は、相変わらず忙しく動いていた。
皿が運ばれ、注文の声が飛ぶ。
けれど、その流れにももう慣れている。
次に何をするべきか、迷うことはなかった。
皿を受け取り、持ち方を整えたままテーブルへ向かう。
無駄に急がない。
けれど、遅れない。
少しだけ意識している。
声の出し方。
歩く速さ。
皿を置くタイミング。
それくらいでいい。
今は、それでちゃんと回っていた。
そのとき、店の扉が開く音がした。
いつもの客とは、少し違う空気が入ってくる。
リナは自然とそちらへ視線を向けた。
入ってきた男は、特別目立つ動きをしているわけではない。
けれど、身につけた装いと腰に下げた剣が、彼の立場を静かに示していた。
王都の騎士。
それと分かるだけのものが、きちんと揃っている。
店の空気が、ほんの少しだけ変わった。
奥の席で給仕をしていた女の子が、わずかに動きを止める。
すぐに何事もなかったように動き出したが、視線だけはもう一度だけ男の方へ向いていた。
別の席でも似たようなことが起きている。
ほんの小さな変化が、店のあちこちで静かに重なっていた。
リナは一瞬だけ男へ視線を向け、すぐに前へ戻した。
やることは変わらない。
呼ばれた方へ向かい、自然な声で言う。
「こちらへどうぞ」
男は軽く頷き、そのまま席についた。
近くで見ると、整った顔立ちをしている。
視線が合った。
「注文、いい?」
「はい」
穏やかな声だった。
よく通るのに、押しつける感じがない。
料理を伝え、確認する。
やり取りは短く終わった。
「この辺り、よく来るの?」
ふいに向けられた言葉に、リナは少しだけ間を空ける。
「働いてるだけです」
そう答えると、男は軽く笑った。
「そうなんだ」
それ以上は踏み込んでこない。
会話が、きれいに終わる。
無理がない。
気を使いすぎる感じもない。
けれど、どこか引っかからなかった。
皿を運び、男の前へ料理を置く。
「ありがとう」
軽く向けられた礼の言葉は、妙なくどさがなくて自然だった。
リナは小さく会釈を返し、そのまま別のテーブルへ向かう。
「……こういう人だよね」
ふと、小さく言葉がこぼれた。
きれいで、整っていて、無駄がない。
リナが目指していたものに、きっと近い。
なのに。
それ以上、何かが残るわけでもなかった。
リナは視線を前へ戻した。
呼ばれた方へ向かい、また手を動かす。
しばらくして、男は席を立った。
テーブルへ代金を置き、店を出る前に軽く振り返る。
「また来るよ」
穏やかな声だけを残して、男はそのまま店を出ていった。
扉が閉まる。
それと一緒に、店の空気もゆっくり元へ戻っていった。
リナは水差しへ手を伸ばした。
空いているコップに、水を注ぐ。
さっきまでと同じ動きだった。
ただ、今度は自分のために。
コップへ口をつける。
水はするりと喉を通っていった。
リナは静かにコップを置く。
「……これでいい」
小さくつぶやき、そのまま次の仕事へ向かった。




