ほろほろ肉のシチュー
昼を過ぎても、店の中は落ち着かなかった。
「注文いい?」
「それ、まだ来てないんだけど」
声があちこちから飛んでくる。
「今出します」
奥から短く返事が飛び、リナは振り返る余裕もないまま皿を運んだ。
王都の店は、思っていたよりずっと忙しい。
客の数も違う。
流れも速い。
一つ遅れれば、次の注文がすぐに詰まる。
「それ、逆」
横から落ちてきた声に、リナはちらりと視線を向けた。
調理場の奥で手を動かしていた男と目が合う。
けれど相手は、すぐに視線を外した。
「持ち方」
言われて、自分の皿の支え方を見る。
「あ」
慌てて直す。
「これでいい?」
「うん」
短いやり取りだけで、会話は終わった。
「エリオット、それ先に出して」
「はいはい」
別の注文が飛ぶ。
返事をしたのは、さっきの男だった。
エリオットは手を止めることなく、次々と皿を仕上げていく。
リナもまた、皿を運び、下げて、次の注文へ向かった。
間違えないように。
止まらないように。
置いていかれないように。
ようやく、周りを見る余裕ができた。
同じように働く給仕の女の子たちは、みんな手際がいい。
動きは軽く、声もよく通る。
客との距離の取り方も自然だった。
誰かが笑えば、店の空気が少しだけ柔らぐ。
リナも真似してみる。
声の調子を整えて、口元に笑みを作る。
返ってくる反応は悪くない。
けれど、それだけだった。
通り過ぎる客の視線は、すぐに別の誰かへ移っていく。
店の外を行き交う人たちも、どこか似て見えた。
綺麗な服。
整った仕草。
誰もが当たり前のように、この街に馴染んでいる。
リナは少しだけ背筋を伸ばす。
けれど、それだけでは埋まらない違和感が残った。
「注文お願いします」
重なった声に、リナははっと顔を上げる。
考えるのをやめて、また動き出した。
客足が落ち着いたのは、日が傾き始めた頃だった。
最後の皿を下げ、テーブルを拭き終えたところで、ようやく息をつく。
腕は重く、足もだるい。
終わった、と思った瞬間、張っていた力が一気に抜けた。
「……疲れたぁ」
リナは近くの椅子へ腰を下ろしたまま、しばらく動けなかった。
華やかな王都へ来れば、何かが変わると思っていた。
けれど現実は、朝から晩まで働いて終わるだけだ。
それらしい出会いも、何もない。
「……そんな簡単なわけないか」
小さく笑って、息を吐いた。
「食べる?」
不意に声をかけられ、リナは顔を上げた。
調理場の方から、皿が差し出されている。
深さのある皿の中で、湯気がゆっくり立ち上っていた。
「え?」
「シチュー」
エリオットはそれだけ言うと、もう視線を戻している。
リナは戸惑いながら皿を受け取った。
指先に、じんわり熱が伝わる。
スプーンですくい、そっと口へ運ぶ。
熱が、じわりと広がった。
肉は触れただけでほぐれ、舌の上で崩れる。
味は濃すぎない。
けれど、ちゃんと残った。
「……美味しい」
気づけば、声がこぼれていた。
「そう」
返ってきたのは、短い一言だけだった。
リナはもう一口、シチューを口へ運ぶ。
さっきまで鉛みたいに重かった体が、少しだけ軽くなる。
温かさが、ゆっくり体の奥へ落ちていくようだった。
リナは皿を見下ろした。
「これ、売り物じゃないよね?」
「違う」
「じゃあ何?」
「余り」
エリオットはそれだけ答えると、もう次の仕込みへ戻っていく。
リナは、もう一口シチューを口へ運んだ。
今度は、さっきよりゆっくり噛む。
気づけば、肩の力が抜けていた。
「……まあ、悪くないかも」
小さくつぶやく。
皿の上では、まだ湯気が静かに揺れていた。




