田舎パンと冷めかけたスープ
朝は、いつもより少し早かった。
まだ薄暗い台所で、リナは火を起こす。
鍋に水を張り、残っていた野菜を刻んで放り込む。
手はもう慣れていた。
迷うこともない。
パンは昨日の残りをそのまま使う。
隣では、弟が眠そうに目をこすっている。
「まだ寝てていいよ」
「……リナ、もう起きてるの?」
「うん」
短く答えながら、塩をひとつまみ落とす。
味見はしない。
これで大体合う。
この家で朝の支度をするのは、いつの間にかリナの役目になっていた。
誰かに頼まれたわけじゃない。
そうしようと決めた記憶もない。
気づけば自然とそうなっていて、今では誰も不思議に思わなかった。
「リナは本当に助かるわ」
後ろから、母の声がする。
「ごめんね、また任せちゃって」
「別にいいよ」
振り返らずに答えながら、リナは皿を並べていく。
「しっかりしてるからねえ」
食卓へ集まってきた弟妹を見ながら、母が笑う。
「いいお嫁さんになるよ」
その言葉に、スープをよそう手がほんの一瞬だけ止まった。
けれど、すぐにまた動かす。
何もなかったように、皿を並べていく。
誰も気にしていない。
いつもの朝だった。
朝食を終えて片付ければ、またいつもの一日が始まる。
それを繰り返して、季節が過ぎていく。
きっと、この先も同じように。
村の外れまで来ると、朝の空気は少し冷たかった。
見慣れた道。
見慣れた景色。
畑も、並ぶ家も、昔からほとんど変わっていない。
「リナ、王都に行くって本当?」
通りかかった近所の人が声をかけてくる。
「うん」
「すごいねえ。でも大変だよ」
リナは軽く肩をすくめた。
「まあ、やってみないと分かんないし」
笑って返すと、相手も曖昧に笑って、それ以上は何も言わなかった。
大変なのは分かっている。
王都での暮らしが簡単じゃないことくらい、リナにも想像はついた。
それでも、ここに残るよりはいいと思った。
この村にいれば、この先の人生はなんとなく見えてしまう。
どこで働いて、誰と結婚して、どんなふうに歳を取っていくのか。
少しずつ形を変えながらも、きっと大きくは変わらない。
その未来を、受け入れる気にはどうしてもなれなかった。
出発の前に、リナはもう一度台所へ戻った。
家の中は静かで、もう誰もいない。
机の上には、パンとスープが残されていた。
さっき、自分で用意した朝食だ。
パンは少し固くなっていて、スープももう温かくない。
リナは椅子に腰を下ろした。
一口、パンをかじる。
噛めば、馴染んだ味がする。
続けてスープを口に運ぶ。
ぬるくなっていたが、味は変わらなかった。
ずっと、こういう朝を過ごしてきた。
特別でもない。
嫌いなわけでもない。
ただ、当たり前の味だった。
同じ朝が来て、
同じ食事が並び、
同じように一日が終わっていく。
悪いとは思わない。
むしろ、この場所は安心できる。
けれど、その先を思い浮かべたとき、それだけでは足りないと、分かってしまった。
パンを飲み込み、残っていたスープを飲み干す。
それで終わりだった。
「……行こ」
小さく呟き、椅子から立ち上がる。
外はもう明るくなり始めていた。
見慣れた景色は、今日も何も変わらない。
それでも。
ここで終わるつもりはなかった。
――だから私は、王都に行く。




