第七話 国境の向こう
旅は、順調に進んだ。
野盗の一件の後、俺はレイアと、少しずつ言葉を交わすようになっていた。といっても、俺から話しかけることはほとんどなくて、たいていはレイアが何かを尋ねて、俺が答えるという形だった。
三日目の夜、野営の焚き火を囲みながら、レイアが俺に聞いた。
「あなたは、どうやってエンチャントを覚えたんだ」
「村の長老が、最初に基礎を教えてくれました。あとは、独学です」
「独学?」
「王都の図書館に、古い付与魔法の教本があって。それを、何度も読み返しました。でも、実際に教えてくれる人はいなかったので、ほとんど手探りで」
「師匠は、いなかったのか」
「いませんでした。付与魔法師自体が少ないので。ギルドに登録している付与系は、俺一人でした」
レイアは、焚き火を見つめながら、少し考えるような顔をした。
「アルヴェインには、付与魔法の研究者が何人かいる。あなたが望めば、ちゃんとした指導を受けられるかもしれない」
「研究者、ですか」
「ああ。ただ、まずはあなたの力を測ってからだ。測定の結果によっては、話が大きく変わってくる」
「大きく、というのは」
「あなたが思っているより、ずっと大きな話になるかもしれない。あるいは、私の勘が外れているかもしれない。どちらになるかは、測ってみないと分からない」
正直な人だと、俺は思った。期待させすぎない。でも、切り捨てもしない。ただ、事実だけを、そのまま話してくれる。
そういう人と話すのは、俺にとって、初めての経験だった。
「レイアは」
俺は、思い切って聞いてみた。
「こういうこと、よくあるんですか。他の国で、俺みたいなのを拾ってくる、みたいな」
「ない」
レイアは、即答した。
「初めてですか」
「初めてだ」
「なんで、俺だったんですか」
その問いに、レイアは、少しだけ間を置いた。それから、焚き火の炎を見つめたまま、言った。
「勘だ、と言ったが……それだけじゃないな」
「え?」
「あなたのことが、なぜか、放っておけなかった。あの準備室から溢れていた力もそうだが、それ以上に、あなた自身が気になった。理由は、うまく言えないが」
俺は、その言葉に、どう返せばいいのか分からなかった。
放っておけなかった。俺のことが、気になった。
そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。
「変なことを言った。忘れてくれ」
レイアは、少し照れたように、そう言って話を切り上げた。
俺は、忘れられそうになかったけれど、黙って頷いた。
その夜、俺は焚き火のそばで、いつもよりぐっすり眠れた。
◇
四日目の午前、俺たちは国境の検問所に着いた。
ガルディアとアルヴェインの国境は、小さな川に架かった一本の橋で隔てられていた。橋の両端に、それぞれの国の検問所がある。行商人や旅人が、定期的に行き来する、正規の往来路だった。
ガルディア側の検問で、レイアの一行は、身分の確認に少し時間がかかった。外交使節の帰国だから、手続きが多いらしい。俺は、その間、馬の上で待っていた。
やがて、随行者二人の確認が終わり、俺の番になった。
検問の兵士が、俺に手を差し出した。身分証の提示を求めているのだ。
俺は、習慣で、ギルド証を差し出した。
兵士が、それを見た瞬間、表情が変わった。
「これは……抹消済みですね」
事務的な声だった。悪意も同情もない、ただの確認だった。
「……はい」
「追放処分ですか」
「都市追放です。国外追放では、ないです」
「この証明書は、無効です。他に、身分を証明するものは?」
ない。
俺には、ギルド証以外の身分証明書なんて、持ったことがなかった。生まれた村の記録はあるが、それも手元にはない。
俺が言葉に詰まっていると、兵士が上司を呼び始めた。面倒なことになりそうだった。国境で足止めされて、最悪、通してもらえないかもしれない。
そのとき、レイアが馬を戻してきた。
「何か問題か」
「この方の身分証が無効で、他に証明するものがないとのことで」
「随行者として、私が保証する。ヴォルドハルト侯爵家の名において」
レイアは、有無を言わせない口調で言った。でも、怒鳴っているわけじゃない。ただ、静かに、指示していた。
「しかし、規定では、外交使節の随行者は事前申請が必要で……」
「私の随行者リストに追加する。ここに追記してくれ」
レイアは、自分の書類を出して、兵士に突きつけた。兵士は、少し困った顔をしながらも、上司と相談して、最終的に追記を認めた。
俺たちは、橋を渡った。
アルヴェイン側の検問では、兵士がレイアの顔を見て、すぐに敬礼した。名前が知られているらしい。俺のことも、レイアの随行者として、あっさり通してくれた。
橋を渡りきると、景色が、少し変わった。
木々の種類が違う。土の色が違う。空気の匂いさえ、少し違う気がした。小さな違いだったけれど、確かに、別の国に来たのだと実感した。
俺は、ガルディア側を、振り返った。
橋の向こうに、ガルディアの旗が見えた。三年間、毎日見ていた旗だった。
何か、感慨があるかと思った。でも、なかった。
ただ、この橋を渡ったことが、正しかったのかどうか。それは、まだ分からなかった。
「アイン」
レイアが、俺を呼んだ。
「はい」
「アルヴェインでは、あなたに身分証がない。それは、侯爵家が発行できる。父に話しておく」
「……迷惑を、かけますね」
「かけていない。こちらが誘ったんだ。当然のことだ」
「でも、無断で連れてきたわけで」
「父は理解する。問題ない」
レイアが、父の話をするとき、その声が、少しだけ柔らかくなった。その人を、心から信頼しているという声だった。
「……ヴォルドハルト侯爵は、どういう人ですか」
俺は、少し不安になって、聞いた。これから、その侯爵に会うのだ。俺みたいな追放者を連れてきたことを、怒られるんじゃないかと、内心びくびくしていた。
「厳しいが、正しい人だ」
レイアは、そう答えた。
「本物を見分ける目を持っている。だから、あなたを見れば、きっと分かる。あなたの力が、本物だということが」
「もし、本物じゃなかったら」
「そのときは、正直にそう言う。でも、私は、そうは思っていない」
「勘、ですか」
「そうだ」
レイアは、少しだけ笑って、前を向いた。
俺も、前を向いた。
アルヴェインの街道は、ガルディアよりも整備されていて、走りやすかった。俺は、その日初めて、自分から少しだけ、馬の速度を上げてみた。
少しずつだけど。
俺は、前に進んでいる気がした。




