第六話 信じられない
旅の二日目が始まった。
朝、宿場町を出発して、俺たちは西へと馬を進めていた。アルヴェインまでは、あと三日ほどかかるらしい。
馬に揺られながら、俺はずっと、落ち着かない気持ちを抱えていた。
昨日、レイアは俺のために怒ってくれた。俺の価値を認めてくれた。それは、素直に嬉しかった。でも、心のどこかで、俺はまだ疑っていた。
この人は、いつか俺に失望するんじゃないか。
三年間の経験が、そう囁いてくる。最初は良くしてくれた人間が、後になって手のひらを返すのを、俺は何度も見てきた。「鉄の牙」に入ったときだって、最初の一週間は歓迎された。でも、俺の力が「効果不明」だと分かった途端、扱いは荷物番に変わった。
だから、今回も同じかもしれない。
アルヴェインで測定して、もし何も出なかったら。レイアは、俺に失望するだろう。「勘が外れた」と、俺を持て余すだろう。そうなったら、俺はまた、行き場を失う。
そんなことばかり、考えていた。
「暗い顔をしているな」
隣で馬を進めていたレイアが、ふと言った。
「え……すみません」
「謝ることじゃない。何を考えていた」
「……いえ、大したことじゃないです」
俺は、言葉を濁した。まさか「あなたに失望されるのが怖い」なんて、言えるわけがなかった。
レイアは、それ以上追及してこなかった。ただ、前を向いて馬を進めている。
この人は、余計なことを聞かない。俺が話したくないことは、無理に聞き出そうとしない。それが、俺にはありがたかった。「鉄の牙」にいたときは、いつも何かを言われ続けていた。役に立っているのか、次はどうするのか、エンチャントは本当に効いているのか。
この静けさが、俺には、心地よかった。
◇
昼近くになって、俺たちは森の中の街道に差しかかった。
両側を木々に囲まれた、薄暗い道だった。日の光が、枝葉の隙間から、まだらに差し込んでいる。
「この辺りは、野盗が出ると聞いている」
レイアが、前を見据えたまま言った。
「気を抜くな。何かあれば、あなたは後ろに下がれ」
「……はい」
俺は、緊張して馬を進めた。野盗。もし襲われたら、俺には何もできない。戦闘の心得なんて、まったくないのだから。
その不安が、的中した。
道が少し開けたところで、突然、茂みが揺れた。
「止まれ」
レイアが、鋭く言った。
次の瞬間、道の左右の茂みから、男たちが飛び出してきた。
数えると、七人。それぞれが、剣や斧を手にしている。装備はまちまちだが、全員が凶暴な目をしていた。街道を荒らす、野盗の集団だ。
「へっへっへ、いい馬に乗ってるじゃねえか」
先頭の男が、下卑た笑いを浮かべた。
「有り金と、その荷物、全部置いていきな。そうすりゃ、命だけは助けてやる」
俺は、体が硬直した。七人。多すぎる。俺たちは三人で、しかも戦えるのはレイアと随行者だけだ。随行者の二人も武装しているが、七人相手にどこまで戦えるか。
俺は、レイアの言葉を思い出して、慌てて馬を後ろに下げようとした。でも、馬の扱いに慣れていなくて、うまくいかない。もたついているうちに、状況が動いた。
レイアが、馬から降りた。
そして、背中の槍を、静かに構えた。
「七人か」
レイアが、つぶやいた。まるで、数を確認するだけのような、落ち着いた声だった。
「置いていく気はない。かかってくるなら、相手をしよう」
その一言で、野盗たちの顔色が変わった。女一人が、七人相手に、まったく怯んでいない。それが、彼らを苛立たせたようだった。
「舐めやがって!」
先頭の男が、怒鳴りながら突っ込んできた。他の野盗たちも、それに続く。
俺は、息を呑んだ。七人が、一斉にレイアに襲いかかる。いくらレイアが強くても、これは――。
そう思った、次の瞬間。
レイアの姿が、ぶれた。
いや、ぶれて見えたんじゃない。速すぎて、目で追えなかったんだ。
気づいたときには、先頭の男が、地面に転がっていた。槍の石突きが、腹にめり込んだらしい。男は、白目を剥いて、動かなくなった。
二人目が斬りかかる。でも、その剣が届く前に、レイアはもう、その男の懐に入り込んでいた。槍の柄が、男の顎を打ち上げる。男は、声もなく崩れ落ちた。
三人目と四人目が、同時に左右から挟み込もうとした。レイアは、槍を大きく振るった。弧を描いた穂先が、二人を同時に薙ぎ払う。
あまりにも、鮮やかだった。
俺は、馬の上で、ただ呆然とそれを見ていた。
三分も、かからなかった。七人の野盗が、全員、地面に伏していた。誰も死んではいない。ただ、全員が、動けなくなっているだけだった。
レイアは、槍を収めて、馬に戻ってきた。まるで、何事もなかったかのように。
「行こう。無駄な時間を使った」
「……すごい、ですね」
俺は、思わず、そう漏らしていた。
レイアは、少しだけ意外そうな顔をして、それからこう言った。
「今日は、調子がいい」
「調子が、いい?」
「ああ。七人相手だと、本来はもう少し手こずる。でも今日は、体の動きが妙に軽い。いつもより、力が出ている感じがする」
その言葉に、俺は、どきりとした。
――今日は、調子がいい。
どこかで、聞いた言葉だった。
◇
馬を進めながら、俺は、さっきのレイアの言葉を反芻していた。
今日は、調子がいい。体の動きが、軽い。いつもより、力が出ている。
それは、エランがいつも言っていた言葉と、そっくりだった。
まさか。
俺は、自分の手のひらを見た。
今朝、出発前に、俺はいつもの習慣で、レイアと随行者の装備に、こっそり手をかざしていた。三年間の癖で、無意識にやっていたことだった。誰にも頼まれていないのに、荷物番だったときの習慣で。
もし、あのエンチャントが、効いているとしたら。
レイアが「今日は調子がいい」と感じているのは――俺のせい、なのか?
「あの……レイア」
「なんだ」
「今朝、俺、あなたの装備に、エンチャントをかけたんです。勝手に。三年間の癖で」
俺が言うと、レイアは、こちらを見た。
「かけたのか」
「はい。すみません、勝手に」
「謝ることじゃない」
レイアは、少し考えるようにして、それから言った。
「なるほど。それで、腑に落ちた」
「え?」
「今日、朝からずっと、体の調子が良かった。理由が分からなかったが、あなたのエンチャントのおかげだったのか」
レイアは、そう言って、自分の腕を軽く握ったり開いたりした。まるで、その感覚を確かめるように。
「効いて、いるんですか。本当に」
俺の声は、震えていた。
三年間、一度も「効いている」と言われたことのなかった俺のエンチャントが。この人には、はっきりと「効いている」と。
「効いている」
レイアは、はっきりと言った。
「間違いない。あなたのエンチャントは、確かに私を強くしている。さっき七人を相手にしたとき、私はいつもより速く動けた。それは、あなたの力だ」
俺は、言葉が出なかった。
効いていた。
三年間、誰も認めてくれなかった俺の力が。ずっと「気のせい」で片付けられてきた俺の力が。この人には、ちゃんと届いていた。
視界が、また滲んだ。
俺は、慌てて顔を伏せた。こんなことで泣くなんて、みっともない。でも、抑えられなかった。
「泣くな」
レイアが、静かに言った。
「まだ、測定もしていない。本番はこれからだ。今泣いていたら、身が持たないぞ」
その言葉に、俺は、少しだけ笑った。涙を拭って、顔を上げた。
「……そうですね」
「そうだ」
レイアは、少しだけ口の端を上げて、また前を向いた。
俺は、その横顔を見ながら、思った。
この人の勘は、本当に、外れないのかもしれない。
そして、もしそうなら。
俺のこの三年間は、無駄じゃなかったのかもしれない。
そんな希望が、初めて、俺の胸に灯った。




