第四話 誰も庇わなかった
ギルドマスター室の扉は、重かった。
ノックをすると、「入れ」という低い声がした。中に入ると、ギルドマスターのガレオがいた。五十代の大柄な男で、白髪交じりの髪をしている。悪い人間ではないが、面倒事を嫌う性格だということは、三年見てきて分かっていた。
そして、部屋にはもう一人、見知らぬ男がいた。仕立てのいい服を着て、胸に貴族の紋章をつけている。年は四十くらいだろうか。俺を見る目には、あからさまな侮蔑の色があった。
「アイン。座れ」
ガレオに促されて、俺は椅子に腰を下ろした。
「昨日、こちらの男爵家から、正式な申し立てがあった」
ガレオが、重い口調で切り出した。
「ガルディア王国の貴族に対する、無礼の申し立てだ」
「無礼、ですか」
俺には、まったく心当たりがなかった。
「二日前の昼、この男爵家の方が貴族街を馬車で通行していた際、無礼な態度を取った者がいたそうだ。その者が、お前だという申し立てだ」
二日前の昼。
俺は、必死に記憶をたどった。二日前の昼といえば、俺はずっと準備室にいたはずだ。倉庫に行った日ではない。外には一歩も出ていない。
「待ってください。二日前の昼、俺はずっと準備室にいました。外には出ていません」
「そう言うか」
ガレオはため息をついた。
「だが、証人がいる」
「証人?」
「エラン・クロウだ。彼は、お前が二日前の昼、一度外に出るのを見たと証言している」
俺は、頭を殴られたような気がした。
エランが。エランが、そんな証言を。
嘘だ。俺は二日前の昼、外に出ていない。エランは、俺が準備室にいたことを知っているはずだ。なのに、どうして。
「エランが、嘘をついています」
俺は、必死に訴えた。
「俺は本当に、外に出ていません。準備室にいました。エランに聞いてください。あいつは、俺がずっと準備室にいたのを――」
「そのエランが、お前が外に出たと言っているんだ」
ガレオの言葉は、冷たかった。
「男爵家からの申し立て。そして、同じパーティのメンバーからの証言。この二つが揃っている。お前の言い分を裏付ける証人は、いるのか?」
いない。
俺が二日前の昼、準備室に一人でいたことを、証明してくれる人間は、誰もいない。
「……いません」
俺が絞り出すように答えると、ガレオは目を伏せた。
その表情を見て、俺は悟った。この人は、俺の言葉を信じていないわけじゃない。ただ、面倒を避けたいだけなんだ。貴族を敵に回すより、荷物番一人を切り捨てたほうが、楽だから。
「ガルディア王国貴族への無礼罪。冒険者ギルド規定第十二条に基づき、お前を都市追放処分とする。ギルド籍は同時に抹消。猶予は、本日から二十四時間だ」
追放。
その言葉が、俺の頭の中で、うまく像を結ばなかった。
「不服があれば、申し立てはできる。ただし、審査には三ヶ月かかる。その間、お前は都市内での活動を一切停止することになる。住む場所も、仕事もない状態で、三ヶ月だ」
三ヶ月。
俺には、そんな余裕はなかった。貯金なんてほとんどないし、三ヶ月間、宿にも泊まれず、仕事もできないなんて、生きていけるわけがない。
「……分かりました」
俺は、そう答えるしかなかった。
貴族の男が、満足そうに鼻を鳴らした。その顔を見て、俺の中に、初めて怒りらしきものが湧いた。でも、その怒りをぶつける先は、どこにもなかった。
◇
俺は、ギルドマスター室を出た。
廊下を歩いていると、少し離れたところに、エランが立っていた。壁に背をもたせかけて、腕を組んで。まるで、俺を待っていたかのように。
「よお」
エランが、軽い調子で声をかけてきた。
「聞いたよ。追放だってな。災難だったな」
災難。
その一言に、俺は足を止めた。
「……なんで、嘘の証言をしたんですか」
俺の問いに、エランは、悪びれもせずに答えた。
「嘘じゃないぞ。俺は見たんだよ。お前が外に出るのを」
「見ていないはずです。俺は二日前、ずっと準備室にいた。あなたも、それを知っているはずだ」
「知らないなあ」
エランは、へらへらと笑った。その笑顔に、俺は寒気がした。
「まあ、正直に言うとさ」
エランは、声を少しだけ落とした。
「昨日、お前が外国の女と話してるの、見ちゃったんだよね。あの、銀髪の。すごい上等な女だっただろ。あんなのが、なんでお前みたいなのに構ってんのかなって、ちょっとイラッときてさ」
俺は、言葉を失った。
そんな理由で。そんな、くだらない理由で、エランは俺に嘘の証言をして、俺を追放に追い込んだのか。
「お前さ、最近ちょっと調子乗ってたんだよ。荷物番のくせに。だから、いい薬だと思ってさ」
「調子に、乗ってなんか……」
「乗ってたよ。あの女と話してたときのお前の顔、見せてやりたかったわ」
エランは、楽しそうに笑った。
俺は、こいつを殴りたいと思った。生まれて初めて、人を殴りたいと思った。でも、俺にはその力もなければ、勇気もなかった。ここで暴れたら、それこそ本当に無礼罪が上乗せされるだけだ。
「恨むなよ」
エランは、最後にそう言った。
「お前がいなくたって、俺たちは困らないんだから。むしろせいせいするわ。じゃあな、荷物番」
そう言い残して、エランは去っていった。
俺は、廊下に一人、取り残された。
拳を握りしめていた。爪が手のひらに食い込んで、痛かった。でも、その痛みよりも、胸の奥のほうが、ずっと痛かった。
◇
準備室に戻って、俺は自分の私物をまとめた。
着替えが二組、古い本が一冊、母の護符。まとめるのに、五分もかからなかった。三年間いて、これだけだ。改めて、そう思った。
荷物を背負って、俺は準備室を出た。
最後に、あの軋む扉の音を聞いた。もう二度と、この音を聞くことはないんだろう。そう思ったら、なぜか少しだけ、寂しかった。あんなに嫌だった音なのに。
ギルドの中を通り抜ける。何人かの冒険者とすれ違ったが、誰も俺を見なかった。俺が追放されることは、もう広まっているはずだ。でも、誰一人、声をかけてこなかった。
三年間、同じ場所で働いてきた人間たちが、誰一人。
俺は、そのことに、もう傷つく気力も残っていなかった。ただ、静かに、ギルドを後にした。
◇
城門まで、歩いた。
城門の兵士に、ギルド証を見せる。兵士はそれを一瞥して、「抹消済みですね」と事務的に言った。俺のギルド証は、もう、ただの紙切れになっていた。
城門をくぐる。
石畳が、砂利道に変わった。振り返ると、王都の外壁が、背後にそびえている。三年間、俺が暮らした街だった。楽しい思い出なんて、ほとんどなかったけれど、それでも三年間、俺はここで生きてきた。
その街から、俺は今、追い出された。
どこへ行けばいいのか、俺には分からなかった。
村には帰れない。帰ったところで、何もない。他の街に行こうにも、ギルド証は抹消されている。宿に泊まるにも、金がほとんどない。
俺は、道の端で立ち止まった。
空を見上げた。
馬鹿みたいに、晴れていた。
こんな日に、こんなことになるのか。俺は、乾いた笑いがこみ上げてきた。人生で一番みじめな日なのに、空はどこまでも青くて、雲一つない。
どうすればいいんだろう。
俺は、その場から動けなかった。動いたところで、行く先がなかった。
――そのときだった。
「待て」
背後から、声がした。
聞き覚えのある声だった。
俺は、振り返った。




