第三話 決められない
翌朝、俺はいつもより早く目が覚めた。
昨夜のことが、まだ頭に残っていた。レイアという女の言葉が、寝ているあいだも俺の中でくすぶり続けていたらしい。
行くべきか、行かないべきか。
布団の中で、俺はずっとそれを考えていた。
アルヴェインに行けば、俺の力を測ってもらえるかもしれない。もし効果が証明されれば、俺は三年間の「効果不明」から解放される。ずっと欲しかった証明が、手に入るかもしれない。
でも――もし、何も出なかったら?
測定した結果、やっぱり俺のエンチャントには大した効果がなかったと分かったら? 三年間「効果不明」だったものが、今度こそ「効果なし」と確定してしまったら?
それは、今よりずっと辛い。
効果不明のあいだは、まだ「もしかしたら」の余地がある。でも、はっきり「効果なし」と証明されてしまったら、俺には何も残らない。俺がこの三年間、毎朝続けてきたことの全部が、無意味だったと突きつけられる。
それが、怖かった。
だから俺は、決められなかった。
◇
いつも通りに準備室に入ると、エランたちがやってきた。
俺は無言で、四人の装備に手をかざしていく。指先から流れていく感覚。効いているのかどうか、相変わらず分からない。でも今日は、その感覚を、少しだけ意識して確かめてしまった。
――本当に、何か出ているんだろうか。
「今日は東の森だ。ゴブリンの巣の掃除。楽な仕事だから、夕方には戻る」
エランがそう言って、他のメンバーと出ていった。いつも通りの朝だった。
でも、俺の中では、いつもと違う何かが動き始めていた。
もしレイアの言う通りなら、俺が今かけたエンチャントは、ちゃんとエランたちに効いている。今日の彼らは、俺のおかげで、いつもより楽に戦えるはずだ。
そんなことを考える自分に、俺は戸惑っていた。三年間、一度も持ったことのない考えだった。
◇
昼過ぎ、また外に出る用事があった。
今度は薬草の補充だ。市場の薬草店まで買い出しに行く。荷物番のくせに、外回りばかりやらされている気もするが、まあ、断る立場でもない。
市場に向かう途中、俺は無意識に、あの広場のほうを見ていた。
昨日、レイアと話したベンチがある広場だ。今日はもう、あの人はいないだろう。そう思いながらも、俺はつい、そちらに足を向けていた。
広場に着くと、案の定、レイアの姿はなかった。当たり前だ。あの人は忙しい身分の人間で、俺なんかを待っている理由はない。
俺は、昨日座ったベンチをしばらく眺めてから、市場へ向かった。
薬草を買って、ギルドへ戻る。その道すがら、俺はずっと考えていた。
白鷺亭に行くべきか。
行けば、レイアはたぶん、俺を歓迎してくれる。あの人の言葉には、嘘がなかった。でも、行ったが最後、俺はアルヴェインまで連れていかれて、測定をされて――その結果に、向き合わなければならなくなる。
それが、怖い。
でも、行かなければ、俺は一生このままだ。効果不明の荷物番のまま、三年が四年になり、五年になり、そうやって歳を取っていく。
どっちが怖いんだろう。
俺には、分からなかった。
◇
夕方、パーティが戻ってきた。
エランの機嫌は、今日も良かった。
「いやー、楽勝だったわ。ゴブリンの巣、あっという間に片付いた。なんか最近、ほんと調子いいわ」
最近、調子がいい。また、その言葉だ。
俺は後片付けをしながら、その言葉を聞いていた。昨日までは何とも思わなかった言葉が、今日は違って聞こえた。
「エランさん、いつからそんなに調子いいんですか?」
思わず、俺はそう聞いていた。
自分でも驚いた。俺がエランに、こんなふうに話しかけるなんて、ほとんどないことだった。
エランは、少し意外そうな顔をして、それから考えるように腕を組んだ。
「いつから、って言われるとな……いつからだろ。まあ、ここ二、三年、右肩上がりって感じかな。昔はもっと苦労してた気がするけど」
二、三年。
俺がこのパーティに入ってから、ちょうどそれくらいだった。
「なんで、そんなこと聞くんだ?」
「……いえ、なんとなく」
俺は言葉を濁した。まさか「それ、俺のおかげかもしれません」なんて、言えるわけがなかった。言ったところで、鼻で笑われて終わりだ。
でも、俺の中では、何かがはっきりしてきていた。
エランがこのパーティで力をつけてきた時期と、俺がこのパーティにいた時期が、ぴったり重なっている。それは、偶然かもしれない。でも、レイアの言葉と重ね合わせると、偶然とは思えなくなってくる。
もしかしたら、本当に。
本当に、俺のエンチャントには、効果があるのかもしれない。
◇
その日の夜、俺は宿舎の部屋で、荷物を眺めていた。
俺の持ち物は、そんなに多くない。着替えが二組、村から持ってきた古い本が一冊、それから、母がくれた小さな石の護符。それだけだ。三年間、王都で暮らしてきて、増えたものはほとんどなかった。
この荷物を持って、アルヴェインに行くべきだろうか。
俺は、護符を手に取った。もう色あせて、ひびの入った小さな石だ。村を出るとき、母が「お守りに」と持たせてくれたものだった。母は、俺が魔法師として立派になることを、期待してくれていた。
その期待に、俺はまだ、何一つ応えられていない。
――行こう。
ふと、そう思った。
もし何も出なかったら、それはそれで仕方がない。でも、行かずに後悔するよりは、行って確かめたほうがいい。三年間、俺はずっと「期待するな」と自分に言い聞かせてきたけれど、そうやって何も期待しないでいるうちに、俺の三年間は何も残さずに過ぎていった。
もう、それは嫌だった。
一度くらい、期待してみてもいいんじゃないか。
俺は、護符を握りしめた。手のひらの中で、その小さな石が、少しだけ温かく感じた。
明日、白鷺亭に行こう。レイアに、行きますと伝えよう。
そう決めたら、少しだけ、心が軽くなった。
その夜、俺は久しぶりに、ぐっすり眠れた気がした。
◇
だけど。
運命というのは、時々、こちらの決意なんて、いとも簡単に踏みにじってくる。
翌朝、俺が白鷺亭へ向かおうと宿舎を出た、その矢先。
ギルドから、使いの者が走ってきた。
「アイン! ギルドマスターがお呼びです! すぐに来てください!」
息を切らせた使いの者の顔は、ひどく強張っていた。
「何か、あったんですか」
「貴族の方からの、申し立てがあって……とにかく、急いでください!」
貴族からの申し立て。
俺は、その言葉に、嫌な予感がした。
白鷺亭に行くのは、後にしよう。まずはギルドに行って、話を聞かなければ。
俺は、使いの者について、ギルドへと引き返した。
このとき、俺はまだ知らなかった。
この日、俺の三年間が、最悪の形で終わることになるなんて。




