第十五話 老魔法師
ヴォルドハルト侯爵領で、定期の宴が開かれた。
年に四回、領内の有力者と、縁のある冒険者たちを集める宴だという。侯爵が領の状況を共有し、冒険者が最近の依頼の傾向を報告する。形式的な宴ではなく、実務的な情報交換の場という性格が強いらしい。
俺は、参加を勧められた。断ろうとしたが、侯爵が「来い」と言ったので来た。
広間には、五十人ほどが集まっていた。貴族が十数人、冒険者が三十人ほど、商人が数人。俺はどのグループにも属せない立場で、端のほうで、ワインを持ったまま立っていた。
「緊張しているか」
レイアが来た。今日は屋敷の式服を着ている。普段と雰囲気が違った。いつもより表情が少し柔らかい。こういう場に慣れているのだろう。
「します。俺、こういう場に来たことないので」
「気にすることはない。今日は来てくれれば、それでいい」
侯爵が広間の中央で挨拶を述べた。定型的な言葉の後に、一つ付け加えた。
「本日は、特別な賓客がいる。アルヴェインに新たに迎えた付与魔法師、アインだ」
全員が俺を見た。俺は目立たない立ち位置を選んでいたが、それでも視線が集まった。
「彼の能力については、追って説明する機会もあるが、今は一人の客人として紹介する。温かく迎えてほしい」
その後、数人が話しかけてきた。全員が「よく来られた」「どこから」「しばらくいるのか」という軽い話だった。俺は短く答えた。圧倒的な社交の場ではなく、それなりに居場所がある感じがした。
宴も中盤になった頃、一人の老人が俺の前に来た。
七十代か八十代か。白髪で、背が少し曲がっている。でも、目が鋭い。宴の場で、最も年齢の高い人間に見えた。
「あなたが、付与魔法師か」
「はい。アインと申します」
「私はベネット・カサル。元王国宮廷魔法師、今は引退している」
宮廷魔法師。最高位に近い立場だ。
「私の孫が、師団にいる。昨日、孫から手紙が来て、面白いことが書いてあった」
「……何が書いてあったんですか」
「測定不能の付与魔法師が来た、とな。私は付与魔法の研究に三十年を使った人間だ。あなたに、少し聞いていいか」
「もちろんです」
老人は、椅子を引いて座った。俺も向かいに座った。
「付与の感覚を、どう表現する」
「温度のないものが流れていく、という感じです。指先から染み出していく」
「常時か」
「意識しなくても、出ているようです」
老人が、深く頷いた。
「理論的には、存在するとされていた能力だ。常時展開型の付与。しかし私は、三十年間、実例を見たことがなかった」
「あったんですか。理論が」
「古い文献に記述がある。数百年前、付与魔法師の中に、存在するだけで周囲に作用する者がいたと。ただし記録が少なく、証明されなかった」
「俺が、その証明になる、ということですか」
「なるかもしれない。あなたに弟子入りをお願いしたいくらいだ」
老人が笑った。
「逆ですよ。俺のほうが、何も知らないんで」
「いや。理論は私のほうがあるが、実践はあなたが師だ。あなたの感覚を教えてもらうほうが、私にはよっぽど貴重だ」
俺は、その夜、初めて、自分のことを研究者に「師」と言われた。
◇
カサル翁は、それから付与魔法の歴史について、少し話してくれた。
「付与魔法師が軽視されてきた歴史を、知っているか」
「なんとなくは」
「王国の成立初期、付与は最高の魔法系統だった。戦争が少なく、農業や建築に魔力を使う時代だった。付与魔法師は収穫を増やし、建物を強化し、人々の生活を底上げした」
「それが、どこかで変わったんですか」
「三百年前の大戦争だ。国は戦闘系魔法師を必要とした。炎を出す、敵を倒す、目に見える成果を出す魔法師が評価された。付与は戦場で目立たない。数値で出ない。そのまま百年が経ち、二百年が経ち、今では補助職の下に見られている」
俺は、その話を聞きながら、自分のことを思った。
効果が見えないから、価値がない。数値で出ないから、証明できない。三年間、俺が受けてきた扱いは、この三百年の歴史の、末端にあるものだったのか。
「あなたに、一つ教えておくことがある」
カサル翁が、目を細めた。
「付与魔法師の本来の格は、戦闘系より上だ」
「本当ですか」
「付与は、与える魔法だ。誰かを強くする、誰かの限界を上げる。これは作り出す魔法ではない。引き出す魔法だ。相手の中にあるものを、最大まで引き出す。これができる者は、他者を知らなければできない。自分だけを鍛えれば済む戦闘系とは、根本的に違う」
「……他者を、知る」
「あなたはガルディアで三年間、周りの人間を見ていた。名前を呼ばれずに、役立たずと言われながら、それでも手をかざし続けた。それが、今のあなたを作っている。付与は、そういう魔法だ」
俺は、その言葉に、胸を打たれた。
三年間、俺は、ただ耐えていただけだと思っていた。何も得られない日々を、ただやり過ごしていただけだと。
でも、そうじゃなかったのかもしれない。
あの三年間、俺はずっと、周りの人間を見ていた。エランの動きを、パーティの連携を、誰が何を得意として、誰が何に苦労しているのかを。荷物番だったからこそ、俺は、彼らをよく見ていた。
それが、俺の付与を、育てていたのかもしれない。
「あなたは本物だ」
カサル翁が、静かに言った。
「私が保証する」
俺は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
◇
宴の帰り際、レイアが聞いた。
「カサル翁と、何を話していた」
「付与の理論の話を。俺が、数百年前の文献の証明になるかもしれないって」
「そうか」
「レイア。俺、ここにいていいんですかね、本当に」
「何度目だ、その問い」
「……最後にします」
レイアが、前を向いた。
「次に同じことを言ったら、一日、口をきかない」
「それは困ります」
「なら、言うな」
俺は「はい」と答えた。
今度こそ、その問いを、手放した気がした。
ここにいていいのか、じゃない。
ここにいる。それでいい。
カサル翁が「本物だ」と言ってくれた。レイアが「一緒ならいける」と言ってくれた。侯爵が「追い返すつもりはない」と言ってくれた。
もう、疑う理由が、なくなっていた。




