第十二話 俺は何もしていない
測定と実証から、三日が経った。
屋敷での生活は穏やかだった。朝と夜に食事が出る。昼は厨房に声をかければ何か用意してくれる。部屋は広い。服も一式、侯爵家が用意してくれた。俺には過分だと思ったが、断り方が分からず受け取った。
ただ、内側が追いついていなかった。
外側の環境は整っている。でも、自分が何者なのか、ここに何をしに来たのかという問いへの答えが、まだ出ていなかった。
バルグナー団長から、正式な協力要請が来た。侯爵が承認した。週に一度、師団の訓練に同席する。それが当面の役割として決まった。
それ自体は構わない。でも――。
「俺は、何もしていない」
その日の午後、俺は中庭のベンチに座って、ぼんやりしていた。セバンが通りかかって「何かご用ですか」と声をかけてくれたが、首を振った。
昨日、師団に行った。団員たちに挨拶した。俺がいる状態で訓練をした。全員のパフォーマンスが上がった。終わった後、全員が俺に礼を言った。
でも、俺は何もしていない。立っていただけだ。
これを、自分の成果と言っていいのか。
「また外にいるのか」
レイアが中庭に来た。視察でも出かけていたのか、外出着を着ている。
「特に用事がなくて」
「師団の様子はどうだった」
「良かったです。みなさん喜んでくれて。でも」
「でも」
「俺は何もしていないので」
レイアはベンチの隣に座った。
「それは、これで何度目だ。その台詞」
「……そうですね。何度も言ってますね」
「うん」
「でも、本当にそう思っているので」
「分かっている。だから聞くが、あなたが何もしていないなら、なぜ師団員全員の成績が上がったんだ」
「俺の能力が、勝手に乗っているので」
「それはあなたの能力だ」
「でも、意識していない」
「心臓も意識せずに動いている。それはあなたの命ではないのか」
俺は、少し詰まった。
「……それは、比喩ですか」
「比喩だが、正しい比喩だ。意識的に制御できるかどうかと、自分の力かどうかは、別の話だ」
「……」
「あなたはずっと、見える形でしか自分を評価してこなかった。炎が出る、剣が光る、数値が上がる。そういう分かりやすい結果がないと、やったことにならないと思っている」
図星だった。
「でも付与というのは、本来そういうものではないのかもしれない。存在することで、周囲を支える。それが付与の本質なのかもしれない」
「……それは、どこかに書いてありましたか」
「いや、今考えた」
俺は、少し笑いそうになった。笑っていいのか分からなかったが、口の端が動いた。
「……俺、信じていいですか。自分の力を」
「いい」
「でも、戦えない」
「それでいい」
「また駄目だったら」
「駄目ということには、ならない。あなたがいるだけで、周りが最善を出せる。それは絶対に無意味にならない」
俺の目が、少しだけ熱を持った。
三年間、ずっとそれが欲しかった言葉だったのかもしれない。
「……でも」と、喉の奥で何かが言いかけた。
「でも、も要らない」
レイアが静かに言った。
「あなたは今日から、自分の力を認めていい。それだけだ」
俺は、下を向いた。
泣いた。声は出なかった。ただ、目から水が落ちた。
レイアは何も言わなかった。ただ、隣にいた。それだけだった。
◇
しばらくして、俺は顔を上げた。
「すみません。また泣いてしまって」
「気にするな」
「レイアの前で泣いてばかりですね、俺」
「それだけ、溜め込んでいたんだろう」
その言葉に、俺は少し黙った。
溜め込んでいた。確かにそうだった。三年間、俺は何も期待しないように、何も感じないように、自分の心に蓋をして生きてきた。効果不明と言われても、荷物番と呼ばれても、何も感じないふりをしてきた。
でも、感じないふりをしていただけで、本当は、ちゃんと傷ついていた。
それが今、少しずつ、溶け出している気がした。
「レイア」
「なんだ」
「一つ、聞いていいですか」
「なんだ」
「もし俺の力が、こんなに大きなものだったなら――ガルディアの連中は、今頃どうなっているんでしょうか」
俺がそう聞くと、レイアは少し考えてから答えた。
「あなたがいなくなって、成績が落ちているだろう。ただし、原因が何かは、まだ分からないはずだ」
「気づかないですかね」
「気づくには時間がかかる。効果が見えない付与の欠落を、彼らが理解するには、相当な時間がかかる」
俺は、少しだけ、ガルディアのことを思い浮かべた。
エラン。ギルドマスター。三年間、俺を荷物番として扱った連中。
彼らは今、俺がいなくなったことに、まだ気づいてもいないだろう。「最近調子が悪い」くらいには思っているかもしれないが、それが俺のせいだとは、夢にも思っていないはずだ。
「恨んでいるか」
レイアが聞いた。
「……分からないです」
正直に答えた。
「怒るより、驚いているほうが大きいのかもしれません。俺がいなくなったら、彼らが困るという事実に。三年間、俺は本当に、彼らの役に立っていたんだって」
「役に立っていた。それも、誰よりも」
レイアがそう言った。
俺は、その言葉を、静かに受け止めた。
役に立っていた。誰よりも。
三年間、一度も言われなかった言葉だった。




