第八話 最弱の生き方
『ぐわぁっはっは! よもや卑怯とは言うまいなぁ!』
「ゲ、ゲェ」
まだ中天に太陽が昇り切らない時分、灰色鼠の高笑いと赤茶蛙の悲壮感漂う鳴き声が豊かな森に響いていた。
仁王立ちのように腕を組む鼠とは対照的に、赤茶蛙は酷く間の抜けた格好で、地面に空いた穴に逆さになってスッポリ嵌っている。何とか抜け出そうと立派な後ろ足を必死に暴れさせるがよほど綺麗に嵌っているのか効果はなさそうだ。
『《掘削》二の型、崩落落とし穴! まさかここまで華麗に決まるとは。所詮は蛙、元人間様に知恵比べで挑もうなど千年早いわっ。くらえ、必殺前歯!』
《齧削》、《瘴牙》、《練気》の三技能で強化した前歯で、赤茶蛙の隙だらけの白いお腹に歯を立てる。
悲しいかな一度で貫通することはなかったが、ガジガジと二度齧ることで《瘴牙》の効果が発動する。
『この状態でも三発って相変わらず攻撃力が低いな……とはいえ、進化前より全然ましだ。今回《瘴牙》で発動させた状態異常は毒。前も見えぬ暗闇の中で、俺をただの鼠だと舐めて襲いかかったことを反省するんだな、蛙さん』
襲ってこなければ見逃してやったものを運のない蛙だ。
来世はクモかスライム、ドラゴンにでも転生させてもらえるよう祈るんだな。
「ギィエェェェェエエ!!!!」
勝負はついたと蛙さんに合掌していると、落とし穴の中で赤茶蛙が絶叫する。
神様にでも祈っているのだろうか。
『まあ、鼠も存外悪くはないぞ、少々ハードモードだがな……ん? 俺の身体が震えてる? っ!? ちげぇ、何かがこっちに来てるっ! こいつ、技能で仲間を呼べるのかっ』
ズンッ、ズンッと一定の間隔で地面が揺れ、周囲を見渡すと、木々の隙間からほんの一瞬、一匹の赤茶蛙がこちらへと跳ねて来ているのが見えた。
『なんだ、もう一匹来ただけか、揃って返り討ちに、って、おいおいおいおい! なんか異様にデカくねえかあの蛙!』
猛烈なスピードでこちらに迫る赤茶色、いや焦げ茶色の巨大蛙は昨日戦った蛙や落とし穴に嵌っている蛙の二倍、六十センチはくだらない図体をしていた。
あれは無理だ、勝てっこない、咄嗟にそう判断し、俺は地中深くへ逃走した。そのまま地中を数十メートル掘り進んだ後、こっそりと様子を見るために地表に出た。
木々に阻まれ先程いた場所は見えなくなっていたが、耳を澄ましてみても幸い追いかけて来ているような様子はない。
『あ、あぶねえ。今でさえ赤茶蛙に正面からなら余裕で負けれるってのに、なんだよあのデカさは、反則だろ……』
念には念を入れて蛙達が居た方向とは反対の方向へ全力で疾走しながら、安堵のため息を吐く。
あっちに行くのはしばらくは止めておこう、と心のメモをとり、ぼんやり走っていると、唐突に視界に変化が訪れた。
数十メートルくらい先の所で、明らかに森の木々が見えなくなっているのだ。
好奇心のまま少し歩き、木々の間をするすると通り抜けるとずっと密集して生えていた森の木が何者かによって意図的に伐採されていることに気付く。そして、さらにその視線の先、伐採所の中央にはでっかい湖が沢山の水をため込んでいた。
『み、水だあぁぁ!!!』
水源を見つけた喜びそのままに湖の近くにあった鼠が入っても溺れなさそうな水溜まりに飛び込み、こびり付いた悪臭という悪臭を落とすべく、体を擦り続ける。
もうこの際何でもいいやと、土や泥を体に塗りたくり、何とかこの個体の持っていた生来の匂いが薄れさせた所で満足して、ぶるぶると体をふって水気を切る。大して乾いてもいないため、不快感もそれなりにあったが、匂いが薄れた高揚感の方が何倍も強かった。
なぜこんなに水一つで喜んでいるか、それには二つの理由があった。
まず一つ目、これは単純で獣臭が落とせると思ったから。
察してくれ。ほんとに臭かったんだ、ほんとに。
続いて二つ目、この湖が初めて見つけた水源だったから。
かれこれ数時間、そこそこの広さを走り回ったが、見つかるのは木、木、木。
確かに歩幅の関係で移動距離こそ短かったかもしれないが、こちらには《練気》で強化した自慢の大きなお耳と些細な振動を感じ取る繊細な体があるのだ。
一時間もすれば小川の一つ、ないしは、水溜まりの一つくらい見つかるだろうと甘く見ていたがこの森にはそれらが一つもなかったのだ。
『よかった、割とマジで喉乾いてたんだよな。真剣に蛙の血啜るか、その辺に成ってるヤバそうな見た目した果実食べようか迷ってたんだよな』
ぺろぺろと池の水を舐めて安全そうなことを確認してから、こきゅこきゅ、と喉がなるほどの勢いで水を飲む。
木の実と一緒で、どう考えてもこの身体以上の体積の量を飲み込んでから、ケプッと野性味あふれるげっぷを零す。
『ふぃー、飲んだ飲んだ。疫病耐性が二もあるし、後でお腹壊したりしないよな? ……っていうか、この森やっぱりなんか不自然なんだよなあ』
落ち着いたところで、周囲をつぶさに観察しつつ、この森の異常な生態系について思考を巡らせる。
第一に植生。
これはまあ見た感じだけは普通だが、やや奇妙だ。
周囲に生えている木は数種類に分かれ、全てが幅広の葉を持つ広葉樹だ。
心の中でそれらをクスモドキ、クルミモドキ、ブナモドキなどと呼んでいるが、クスモドキは赤、青、紫が縞々になったような毒トク、もとい独特な柄の実を時折つけているのが印象深い木。クルミモドキは現在の主食であるクルミっぽい木の実を落としてくれる大切な木。最後のブナモドキはころころとしたドングリサイズの木の実を落とすこれまたラッキーな木だった。
少し話は逸れるが、それぞれの木の実の味は割かし美味しく、クルミモドキの実はカシューナッツのようなやや油を含んだオイリーな味で、ブナモドキの実は野性味の強いアーモンドのような癖になる味わいだ(ぜひとも塩が欲しいところだ)。クスモドキの実にも挑戦してもいいが、如何せん恐怖が勝ってしまい、ステータスに余裕ができたら試してみようと考えている。
話を戻して、俺が奇妙に感じるのは、辺りに広がる木々に自然っぽさがないことだことだ。いやまあ大自然ではあるのだけれども、どうにも荒れていないというか、人工的というか、里山のような雰囲気なのだ。
実際、頭上を見上げれば太陽が見える程度には、意識的に木々の間隔は離れているし、樹齢も数年から数十年位の比較的若々しい木々ばかりで統一されている。
明らかに、何らかの知識や法則性を感じる配置であり、この伐採所で確定したが絶対に人類かそれに類する知的生命体がこの世界には存在している。
第二に生態系。
これははっきり言って異常も異常である。
周囲を念入りに、念入りに観察しても、獣一匹、虫一匹、魚一匹いないのだ。
兄弟含め今まで出会った動物は現状、鼠と蛙のみ。
広葉樹林は生態系の宝庫、この豊かな自然で生き物がいない訳がない。水源がここしかないことが影響しているのかもしれないが、それにしたって、こんなに立派な池があるのなら、他の生物がいない訳がない。
蚊や蚤などの小型の虫が居ないというのは、一見人類にすれば嬉しく聞こえがちだが、行きつく先は大絶滅である。彼らは時に人類に牙を剥くが、その膨大な個体数でもって植物の受粉や食物連鎖を下から支えているのだ。
もしかすると、この森の生態系が壊滅してしまっているのは、そういった小さい虫達がいないからなのかもしれない。
第三に上空。
初めて巣穴を出た時にも、気になってはいたが、この森の上空を薄い半透明の膜のようなものが覆っているのだ。
この膜により、もしかすると小型の生命の侵入を阻んでいるのかもしれないが、そうなってくると、今度は逆に鼠や蛙が存在することへの違和感が湧いてくる。
仮に植物園や植林所的な施設だったとしても、引火する油を吐く蛙がいるのは大問題だろう。
駆除しろよ、森林火災まったなしだぜ?
『何か他に生き物がいれば、何か分かるかもしれないんだが……つっても、多分俺より強いよな、どうしたもんだか』
一先ずの安息の地を得て、今後の方針にひとしきり悩む。
そもそもこの世界に来て、まだ二日も経っていなかった。
異世界で何をし、何を求め、どう生きるのか、決まっている訳がなかった。
『とりあえず、最低条件として死にたくはないよな』
これは当たり前、と頷きながら一人で脳内会議を始める。
折角転生したのだ、死にたい訳がなかった。
『そのためには生き抜く強さがいると』
これもまた、うんうん、と一人納得する。
偶然生き延びてはいるが、百回やって九十九回あの蛙戦の時点で死んでいてもおかしくはない。言い過ぎかもだが、それだけこのボディは貧弱にすぎる。
そう考えると今後生きて行くためには、レベルアップと進化は必須である。
人間であれば、パーティを組んだり、農業をしたり、職人を極めたり、別の生き方があるだろうが、こっちはただの駆除対象の鼠だ。
そんな甘いことも言ってられない。
『しかし、修行ばっかりってのもなんだか疲れそうだよなあ。美味しい食べ物、目を疑うような絶景、独自の生態系、知らない文化、世界の謎、隠された財宝、エトセトラエトセトラ……挙げだしたらそれこそキリがないが、異世界に来たんだから魔法なんかも定番だよなあ』
駄々もれになる欲望に、歯止めが効かなくなり、無限に妄想が膨らみ始める。
後何日生きれるかなんてしったこっちゃないが、俺にはこの世界が、どんな宝石より光り輝いて見えていた。
『よーし、決めたぞっ、全部やろう! こちとら最弱の鼠、元より世界を救う主人公になんてなれやしねえ。細くながーく生き延びて、弱い奴だけと卑怯に卑劣に戦って、強い奴からは尻尾を巻いて逃げおおせる。好きなだけ食べて、好きなだけ旅して、いろんな生き物に会いに行こう!』
世界に宣誓するように言葉を紡ぎ、一度だけゆっくり空気を吸い込み、続ける。
『それが、最弱の生き方ってもんよっ!』
暖かな森の風が俺の背中を押した、そんな気がした。




