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【第一章完結】最弱たる牙の王  作者: 吉 稲荷
第一章 最弱の魔物、異世界を往く
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第六話 ??との再会

「ヂー」


 何者かの影が巣穴へと近づいてくる。

 逆光で見えはしないが、誂えたように巣穴をぎりぎり通れる大きさの生物であり、一歩一歩は遅いものの侵入されるのも時間の問題だった。


 どうする? 逃げるか? 駄目だ、出口は塞がれている。

 なら穴を掘る? そんな猶予はあるのか?


 全神経を使って思考を巡らせながら、巣穴の中をざっと見渡し、何か使えるものはないかと必死に探す。


『そうだ、兄貴達だっ!』


 巣穴の隅っこで固まって眠る五匹の兄弟鼠を見つけ、すぐさまその背後に回る。


 五匹が六匹になろうと誤差の範疇でしかないだろうが、ないよりましだ。最悪、兄弟達の尊い犠牲で敵の攻撃手段の一つや二つ判明するかもしれない。命が掛かっている以上、善だの悪だのと言っている暇はなかった。


 兄弟達も何者かが巣穴に近づく音に気付いたのか、寝ぼけながらも入口から視線を外すことはなかった。


「ヂュー」


 影は巣穴に侵入した途端唸るように鳴いたかと思うと、何を想ったのか兄弟達が影に向かって殺到する。


『なっ!? 勝ち目がねえからって全員で特攻は悪手だろっ! 兄貴達は自分の貧弱さを理解してねぇ!』


 矢三本あつまれば、折り難しとはよく言ったものだが、その法則は俺達には通じない。俺達が例え六匹いや五十匹集まったところで、あの赤茶蛙一匹にすら傷一つつけられず塵殺されるのが精々だ。


 ありったけの声量で止まるよう叫ぶが、時すでに遅し。

 影と兄弟達が衝突しそうになったところで、堪らずもう駄目だと顔を逸らす。


「「「「「チューチュー」」」」」


 聞こえてくるのは凄惨な断末魔かと身構えていると、兄弟達の甘えた鳴き声が巣穴に響く。


『ど、どういうことだ?』


 目を白黒させながら、兄弟達を視界にいれ、同時に映り込んだ影の正体に気が付き、状況を理解する。


「……ヂュー」


 影の正体は襲撃者、ではなく兄弟達より一回り大きな貫禄のある鼠だった。

 反応から察するに母鼠であろうその鼠は甘えた声に応えるように鳴いたかと思うと、兄弟達を何とも言えない顔で見下ろしていた。


 兄弟達は何も特攻を仕掛けたのではなかった、餌を運んで来てくれる母鼠に甘えに行ったのだ。


『よかっ…』


 ほっと胸を撫でおろそうとしたその時、ゾンッ! と一陣の突風が巣穴を駆け抜け、僅かに遅れて、ゴシャッと聞くに堪えない音が鼓膜にこびり付いた。


 脳は理解することを拒んだが、巣穴の悪臭に混じった真紅の液体の濃密な匂いが無理矢理にも今起きた事実を認識しろと急かしていた。


「ヂュー」


 脳がショートしている間に、一匹また一匹と兄弟が壁の染みへと変わっていく。

 残る二匹の兄弟達も訳が分からないのか、怯えたように豹変した母鼠の方を見つめている。


 そうしている間にも一秒の狂いもなく時間は残酷に進み、残りの兄弟達に危機が迫った瞬間、ようやく再起動した脳の命令に従って、声を張り上げる。


『なにしてんだ、てめえぇぇ!!! 自分が何してんのか分かってのか?!!?』


 急に叫び声をあげた俺を不審に思ったのか、母鼠は一度だけ動きを止め、俺の方を一瞥する。しかし直ぐに、近くにいた怯える二匹の鼠に視線を戻したかと思うと、表情一つ変えずもう一度だけ長い尻尾を振るい、二匹の命を刈り取った。


「ミ゛ッ」


 それが、兄弟達の最期に発した音だった。


『な……』


 言葉は出てこなかった。

 母鼠は静かになった俺の元へ、テシッ、テシッと徐に歩き始める。


 逃げないといけないことは分かっているのに動かないこの役立たずな体は、脳みそばかりを動かし、必要のない無駄な知識を大脳皮質からご丁寧に掘り起こした。


 ()()()()()()()()()()()()()()

 この習性は動物好きなら一度くらい聞いたことがあるくらい有名な習性だった。

 過剰なストレス、飢餓、病気、飼育環境の劣悪さが主な原因とされ、ハムスター飼育者の原初のトラウマとして焼き付いていることも多いだろう。


 だが。

 だがしかしである。


 これらの行動はあくまで母鼠が混乱ないし栄養補給のために、赤ちゃんの子鼠を食すためにやる本能的な習性だ。

 一回り小さいとはいえここまで成熟した個体を、あんな冷静にただ殺すことが習性と言えるだろうか。


 野生動物に人間らしい感情を求めても仕方がないことは重々承知している。

 彼らは実直で、素直で、ただ生きて、生きようとした結果、行動に至っている。

 そこに人間のような悪意はないし、あるのは生存への強い渇望と本能だけだ。

 殺されたなら、殺された方が悪い。

 食べられたなら、食べられた方が悪い。

 そんなことは、分かっている。


 それでも、そうだったとしても、思わずにはいられない。


『あんたがお腹を痛めて、産んだ子供じゃねえのかよっ!』


 殺すんなら、いつだってやれたはずだ。

 さっきだって、すり寄ってくる前に殺れたはずだ。

 別れの挨拶みたいに、兄弟達に声をかけてやる必要もなかったはずだ!


 さっさと質問に答えろと母鼠を睨みつけるが、何事もなかったように奴の尻尾が淡く光り、ゾンッ!! と目の前を通り過ぎる。


 『次は当てる』、そう言わんばかりの目で母鼠はこちらを見ていた。


『……それがあんたの返事かよ。ああ、わかったさ。だったらあんたは俺の母親じゃねえ、ただの魔物だっ!』


 再び光り出す母鼠の尻尾を警戒し、覚悟を決める。


 状況は絶望的だった。

 背後に逃げ道はなく、正面には自分など簡単に殺せる一回り大きい鼠。

 しかも、相手には射程の長い尻尾の攻撃があるのに対し、こちらは接近戦で《瘴牙(しょうが)》を当てるしか勝ち目はない。

 勝機など絶無。奇跡的なカウンターを合わせて、精々が相打ちといったところ。


 しかし。

 しかし、どうにも大人しく死んでやる気にはなれない。

 心が怒りでどうにかなってしまいそうだった。


 母鼠の尻尾に共鳴するように、俺の歯に技能の光が灯る。

 笑うかのように母鼠の口角が上がり、『やれるものならやってみろ』と挑発する視線を遠慮もなくぶつけてくる。


『やってやろうじゃねえか! 挑発したこと後悔すんじゃねえぞっ!』


 瞬間、やや余力を残して、母鼠に向かって走り始める。


 奴の攻撃は、尻尾による中距離攻撃と断定する。

 正直、別の攻撃手段だった場合、初見での回避は無理だ。

 だが、尻尾攻撃であれば加速する瞬間を見逃しさえしなければ、望みはある。

 横移動での回避は不可能、狙うとすれば跳躍での回避。

 そこからのカウンターで《瘴牙(しょうが)》さえ当ててしまえば、勝ち目はある。

 図体がでかくなろうと相手も所詮《最弱の魔物》、歯が通らぬこともあるまい。


 絶対に発動の瞬間を見逃すまいと尻尾を睨むが、奴は未だ尻尾を振るわない。

 外してしまえば逆に危うい、そのことに本能的に気付いているのか、既に射程には入っているが確実に当たる位置まで温存するつもりのようだ。


『その油断、利用させてもらうぜっ!!』


 言うが早いか、レベルが上がり上昇した敏捷を最大限利用して、全速力で母鼠との間を駆ける。

 緩急をつけたおかげか母鼠は反応できず、後数歩の距離まで接近し、母鼠の身体に隠れ見えなくなった尻尾を警戒しつつ、喉笛を掻っ切るべく跳躍する。


 生きるか死ぬか、その瀬戸際で過集中した脳が、コマ送りのようにゆっくりと時間を遅れさせる。古ぼけた映画のようにパラパラと時間が流れるのに従って母鼠の首元に肉薄するが、来ると思われた尻尾はいつまで経っても振るわれない。

 尻尾はフェイントだったのかと絶望が頭を過ぎり、この輝く前歯だけは死んでも当ててやると決意を漲らせる。


 しかし、そんな決意とは裏腹に結局母鼠は()()()()()()()()()()()()()、瘴気の牙をその身に受け、時間感覚はいつも通りのものへと回帰していく。


『な、んで』


 跳躍した勢いのまま母鼠とすれ違い、慣性に従いゴロゴロと地面を転がる。

 理解できない状況に混乱しながら、何もしてこなかった母鼠の方を振り返ると、その理由は痛いほどに理解できた。


『瀕死、だったのか』


 母鼠の背中には、動くことさえ致命傷になりかねないと思われる爪傷が深々と刻み込まれていたのだ。

 そんな状態で、俺の《瘴牙(しょうが)》を受けた母鼠は遂に精魂尽き果てたのか、大地に引っ張られるように無造作に、ドサッ、とその身を横に倒し、こちらを向いて掠れるような声で一度だけ鳴いた。


「……ヂュー」


 その優しくも弱々しい鳴き声に込められた意味は、謝罪か、惜別か、激励か。

 生まれたばかりの小さな鼠には知る由もなかった。


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