第十話 石の上にも百年
『ねぇ、デンちゃんうごかないよ? ダイチにかえった?』
霊峰の中腹、建物と呼ぶには些か野趣に富み過ぎている広大な空間の中、幼い竜女が興味津々といった様子で、ぐったりと横たわっている大鼠の腹を慎重に撫でている。
標高のせいか、辺りの空気は薄く、気温は氷点下を下回っており、傍に控えるもう一人の竜女の視線も心なしか冷たく感じる。
『リカ、軽々しくそのようなことを口にしてはならぬ。ローデント様は旅の疲れを癒すべく、眠りについておられるだけです』
『えぇ~デンちゃんもキュウミンしちゃったの? いつおきる? ジューネンはおきない?』
『いえ、直にお目覚めになるかと。随分と急いでおられたようなので』
『そうなのっ? やったぁ、おきたらあそんでもらお~はやくおきないかなぁ?』
ゲシッ、ゲシッとリカの気分に伴って、撫でる(?)勢いは増していき、その衝撃のお陰か危うく昇天しかけていた大鼠に命の輝きが戻った。
『……ハッ、死んだかっ? 遂に俺は死んだのかっ?! ん? でも、なんか寒ぃし、妙に頭と腹が痛むな』
ぼやける視界に頭をふらふらさせながら、俺は四つ足で大地を踏みしめる。石の上にでも寝ていたのか、足に伝わる感触は冷たく、固く、しかしスベスベとした心地の良いものが返ってきた。
『ここは……ってうぉぉ??! な、なんだリカか、食われるかと思った』
『デ~ンちゃんっ! あ~そ~ぼ~』
『ちょちょちょ、まてっ、待ってくれ! 俺はまだ起きたばっかりで、うぎゃぁぁぁぁ!!』
リカは俺の横腹を両手でがっちりと掴んでから、軽々と持ち上げ、喜びを体で表現するべくクルクルと回り始めた。
傍から見れば、幼女とハムスターの微笑ましい一幕であるが、その回転速度が尋常ではなく、十秒もすれば俺の脳みそがバターに……あ、むり、はきそう。
『いたっ?!? ふ、フレアがぶったぁ~』
『闊達なのは結構ですが、慎みを持てと何度も伝えた筈です。普段の軽はずみな行動は大目に見るとしても、神獣様への無礼となれば話は別。確と反省なさい』
『うぅ……ごめんなさい、ちゃんとハンセイする』
『よろしい。ではローデント様に謝罪を』
『ごめんねぇデンちゃん、リカうれしくなっちゃって』
涙が出る位には痛いのかリカは涙声になっており、鉄拳制裁の甲斐あって優しい手つきで俺を床に降ろした。
三半規管への被害が甚大で、目の前の地面がぐにゃぐにゃと揺れて見えたが、《清めの波動》を使って俺は何とか平静を装った。竜人さんにヤられかけるのはこれで通算三度目、なんだか嫌な慣れのようなものが俺を動かしていた。
『と、突然のことで驚いただけだから、そんなに落ち込むなって。事前に言ってくれりゃあ、俺としてもやりようがあるからな……た、たぶんだけど』
『ほんとっ? じゃあいまからあそべるっ?』
『リアカルディア』
『な、なんてねっ、デンちゃんはおきたばっかり。リカはハンセイだから、ムリさせない。リカはツツシミのイクサオトメっ、おそとであそんでくるの!』
言うが早いかフレアさんの極寒の視線から逃げるように、リカはシュタタタと走っていった。
俺達はその元気一杯の後ろ姿を見送り、急に静かになった空間で徐に視線を交差させ、揃って肩を竦めた。
『全くあの子は。少しも反省しておりませぬな』
『ふっ、次会う頃には完全に忘れてそうだ』
『甘やかし過ぎ、だと思われますか?』
『いんや、あんだけ笑顔で無邪気に育ってんだから、きっとフレアさんの育て方は間違っちゃいねぇさ』
『……だと良いのですが』
会話の切れ目を感じ、俺はフレアさんから視線を外すと、リカのいなくなった空間全体をざっと見渡す。
竜人さんの住処、なのかも判断できない程度にはその空間に飾り気はなく、生活感らしきものを少しも感じない。
目ぼしい物といえば、明々と燃える篝火と俺が寝ていたスベスベな台座くらいで、なんだったら柱も扉も存在しない。
何から何まで開放的な空間であるため、住処というよりはただの洞穴と表現すべきかもしれないが、そんな広いだけの洞穴に生き物の気配がある訳もなく、長老さん達はおろかベルの姿も見当たらなかった。
『フレアさん、そういやベルが居ねぇようなんだが、どこに居るか知ってるか?』
『ベル様? たしか、ここに来られてすぐ鍛錬に行くと、西方の砂漠に向かわれたようでしたが』
『た、鍛錬? ベルの奴、どんだけ負けず嫌いなんだ? 多少俺が頑張ったって、どうせ追いつけねぇってのに……いや、ベルのことだからリカの世話に飽きたのか? ただ単に寒かっただけって線もあるな……』
ベルならどれをとっても十分に可能性がありそうで、全ての理由が少しずつ重なってというのが一番有力そうだった。
ベルは普段何も考えてなさそう(こんなこと言うと確実に齧られるが)な割に、意外と教養深い面があるので、話を聞いておきたかったが、今回はそうもいかないようだ。
『御用があるようでしたら、今からお探し致しますが』
『ああいや、とりあえずは大丈夫だ。それよか今は長老さんに話を聞きてぇ。長老さん達の家はここからまだ移動するのか? できれば案内して貰えると助かるんだが』
『いえ、移動の必要はありませぬ。此方へどうぞ』
『こちら? ……どちらだ?』
間抜けに聞き返す俺を置いて、フレアさんはリカが出て行ったのとは真逆、洞穴の行き止まりに向かって歩き出した。
そして、岩盤と岩盤の隙間、大き目の縦罅にしか見えない場所に何の躊躇いもなく手を突っ込むと小さく声を出した。
『よいしょ』
瞬間、ズゴゴゴッと地響きが洞穴を揺らし、余りに軽い掛け声を掻き消して、岩盤造の大扉(それ以外にどう表現すればいいというのか)が開け放たれた。
『……んな、アホな』
『? どうかなされましたか?』
『どうか、って……いや、やめとこう。これが異世界の標準。おかしいのは俺で、フレアさんが普通なんだ』
『ローデント様?』
『気にしないでくれフレアさん、今ちょっと常識を急造してる最中なんだ』
『しょ、承知しました、よく分かりませぬが』
既に刷新したはずの常識ですら裸足で逃げ出す異次元の光景だったが、それを生み出した当人は全くの平常運転。
どころか激しく狼狽えている俺を見て、ややお引きになっていらっしゃるご様子で当方としては誠に遺憾である。
『では、灯りを点けて参りますので、暫しお待ちを』
感情が薄いのか、切り替えが早いだけなのか、フレアさんは落ち着いた調子を取り戻してそう言うと、岩盤扉の先、真っ暗な空間に向かって歩き始めた。
どれだけ先があるのかは知らないが、置いて行かれて無事に済む予感がしなかったので、俺はトコトコと後を追う。
『暗いな……何も見えんが、フレアさんには見えるのか?』
『いえ、何も見えませぬよ。外界と隔離するため、敢えてこの様な造りになっておるのです。今少し歩けば到着しますので、壁伝いに歩かれるのがよろしいかと』
『お、おう、やってみる』
四足歩行で壁伝い? と思いはしたものの、肩を壁に擦りつけて何とかフレアさんに付いていく。
竜人族の『今少し』という距離が如何程のものなのか不安が無かったといえば嘘になるが、距離感に関する齟齬はないようで、本当に少し歩いて彼女は立ち止まった。
そして、傍にあったらしい篝火へと炎を吐くと、途端に周囲が明るく照らし出される。
『まぶしっ』
反射的に俺は両手で目を覆い、光に慣らすように指を少しだけ開くと、俺の目にどこか偏執的な光景が映し出された。
『な、なんだ、こりゃあ……竜人さんの石像、か?』
洞穴に続く光無き細道の先、そこには五百羅漢、ならぬ、五百竜人といえばいいのか、胡坐を組んで瞑目した等身大の竜人像が数百と並んでいた。
皆一様にその顔は無表情ではあるものの、極めて精巧な石像であり、一つ一つどれだけ手間暇かけたのか、言葉で言い尽くせない個性のようなものを感じた。
『す、すげぇ。この石像、全部長老さんが作ったのか?』
『石像ではありませぬよ、ローデント様。ここは私達竜人の寝所。石の様に見えますが、みな休眠しておるだけです』
『休眠? ……い、生きてるってのかっ、これ全部??!』
『はい、生きております。数十年、少し長ければ二、三百年は目覚めませぬが、無理矢理起こすこともできます。機嫌を悪くされるので、そういったことは滅多にしませぬが』
『……』
どこから驚けばいいのかも分からず、ひたすらに呆然としていると、フレアさんは右から七列、奥に三つ行った場所に居る顔に罅の入った竜人さんへと近付き、握り拳を作った。
そして、当然かの様にその拳を大きく振り上げると、ガスッ、と凄い音を立てて殴りつけた。
『こうして、罅が、入ると、目覚めの、合図と、なります』
『……』
『少々、固いのが、億劫、ですが』
ガスッ、ガスッ、ガスッと、俺を一撃で消し飛ばしてもおかしくない威力の攻撃が何度も繰り出され、俺は震えてその光景を眺め続ける他、やることがない。
数十発、上半身隈なくボコボコにした所で、石像、じゃなくて竜人さんに動きがあり、ヴァイオレンスな目覚ましの儀が終わりを告げた。
『……ギ……ウゥ……いダダ』
『お、起きたのか? なんか痛がってるみたいだが』
『今回は多少手荒に目覚めていただきましたが、差し障りはございませぬ。ディガルザ老は私よりお強いので』
『ふ、フレアさんより……欠伸で爆散とかしない、俺?』
『……ヌゥ』
この最強生命体達を気遣うより心配すべきは己が命。
俺は近くで眠る竜人さんを盾に、恐る恐る様子を伺った。
『……このゾウふに響く打撃……フレアヂゃんジャな。毎度、てギビシイ起こし方ジャて』
そうして、フレアさんの秘めたる暴力性を露わにしながら、竜人の長老が一人、ディガルザ老は嗄れた声をあげた。




