第九話 紅の戦乙女
雷光と見紛う速度で飛来した竜人さんは一言だけ俺へと言葉を発すると、紺色の行衣が雨に濡れるのも構わず、じっと俺を見ていた。
周囲には変わらず土砂降りの雨が降り、割れ砕けた大地へと惜しみなく雨水が注がれ続けている。
『……デンチャン様? 一言、お答え願えませぬか?』
返事もせず不躾に竜人さんをまじまじと観察していると、彼女はこちらを見据えたまま静かに問いかけた。
一切合切、これっぽっちも表情が変わっていないため分かり辛いが、声には疑義の色が少しだけ加わっており、怒ってはいない……ようだ。
だが、ずっと黙ってその様子を伺っていると、いよいよ竜人さんの眼光は鋭さを増し、怪訝そうな表情を浮かべる。
その表情は途轍もなく凶あ、んんっ、貫禄があり、我がノミの心臓は激しい鳴動を続け、未だ止みそうにない。
こ、これが恋というヤツだろうか?
『もし?』
『お、おうっ。デンチャン様ではねぇが、ローデント=オーヴィーズって名乗ってるぜ。よ、よろしくな竜人さん』
『……? デンチャン様ではない……あの子、また空言を』
竜人さんは俺の名がデンチャンでないことを知ると、小首を傾げて瞑目し、あの子、とやらに思いを馳せる。
この世界で俺をデンちゃんと呼ぶのは一人しかいないし、大方あの太陽少女に頭を抱えているのだろうが、そのお陰かいくらか状況が把握できてきた。
恐らくきっと、リカが俺の弱さを見越して、この厳めしい竜人さんを迎えに寄こしてくれたのだ。
『(それにしても、リカが一番弱いと自称するだけあって、竜人さんはとんでもねぇな。ベルとどっこいどっこいなんじゃねぇか、これ?)』
威圧感や恐怖感は初めて出会った時のベルの方が上。
だが、内に秘めた強さとでもいうのか、何らかの道を極めた武人のような、力を誇示しない静謐な強者の風格が行動の節々から滲み出していた。
目を瞑っている今ですら、隙らしい隙は毛ほども存在せず、俺が突如攻撃を仕掛けても、難なくあしらわれて終わるように思われた(そもそも攻撃と認識されない気もするが)。
そんな彼女は一頻り考えを巡らせた後、その神秘的に輝く銀色の瞳を俺に向けると、流麗な動作でスッと頭を下げた。
『ローデント様、御名を違える非礼、平にご容赦を。リアカルディアは生を受けて間もない未熟者ゆえ、何卒ご寛恕いただければと』
『あ、あぁ、そこは特に気にしちゃいねぇから頭をあげてくれ。リアカルディアってのはリカのことだよな? あと違ってたらすまんが、お姉さんはたしか…』
『フレアヴォルカと申します。一応、あの子、リアカルディアの世話係のようなものを任されております』
『そうそう、フレアさんだ。えーっと、紅の戦乙女で最強の戦士とかいう、ってかフレアさんって呼んでも平気か? フレアヴォルカさんって呼んだ方がいい?』
『フレア、と……然し、そのく、紅のとやらはどうにかご勘弁を。長老たちが悪ふざけで付けた字名なのです』
フレアさんは本気で恥ずかしいのか、額を手で抑えると雑念を払うように一度だけ首を振った。
初めて見る感情を顕わにする姿に未知のトキメキを感じないでもなかったが、妙なあだ名をつけられて悶える人を揶揄うのもあれかとじっと見守るだけに留めておく。
『(しっかしリカには似ても似つかねぇな。フレアさんも子供の頃はああだったのかねぇ)』
片や笑顔の絶えない太陽少女に対し、片や神秘のベールに包まれた月下の麗人である。
似ている所と言えば、その紅色の鱗くらいなものだが、リカがフレアさんみたいに、フレアさんがリカみたいになる姿を想像するだけで、なんだか可笑しかった。
『どうかなされましたか、ローデント様? 笑っておられるようですが』
『いや、フレアさんにもリカみたいな時期があったのかと思うとなんか面白くなっちまってな、気にしないでくれ』
『私がリカみたいに、ですか? 私は幼き折より、今とそう変わらぬ性分でしたので、あの子ほど闊達ではありませぬよ。あの子は竜人の中でも常ならぬ気質ゆえ、此のほどは随分と忙しない日々を送っております』
口ではそう言いつつも、フレアさんは穏やかに目を細め、どこか幸せそうに霊峰を眺める。
その仕草だけでどれだけリカが大切にされているのかが身に沁みて伝わってくるようで、なぜだか俺も嬉しくなった。
『うむうむ、やっぱ子供は元気なのが一番だなっ』
『ええ、全く仰る通りで……ただ、単身で山を抜け出す悪癖だけは正さねばなりませぬ。あの子はまだ弱いというのに』
『や、やっぱり弱いのか? あれでも』
『はい。こちら側、東方の森では通用するやもしれませぬが、西方の砂漠では数体同時に相手取ることすら難儀するでしょう。後数十年、いや百年ほどは鍛錬を積むべきかと』
『ひゃ、百年っ?! 冗談、じゃあなさそうだなその顔は』
相変わらず表情は変わっちゃいないが、フレアさんの顔には逆になぜ俺が驚いているのか分からないと記されており、俺は竜人種の特異性の一端に触れた気がした。
『なぁ、竜人さんってのは普通はどのくらい生きるもんなんだ? その、寿命的な意味で』
『竜人種の寿命、ですか……お答えしたい想いはあるのですが、今ひとつ腑に落ちる答えを持ち合わせておりませぬ』
『持ち合わせてない? どういうこった?』
『寿命という概念自体は知識として解しております。然し、我々竜人には時間経過による身体の衰弱は訪れぬのです』
『なっ、そんなに強い上に不老不死だってのかっ?! いくらなんでもズルだろ、それは』
『いえいえ、そのような過分な化生ではありませぬ。我らとて頭蓋を、臓腑を潰されれば大地へと還るゆえ不死などでは御座いませぬよ』
あくまで自分達は普通の生き物と変わらないと彼女は主張するが、控え目に言っても無理筋だった。
大体からして、この世のどこにこの逞しき種族を真っ向から打ち砕く化け物が居るというのだ(てかそんな化け物は頼むからいないでくれ)。
きっとステータスには《最強の獣人》などと載っているに違いなく、元《最弱の魔物》としては是非ともその爪の垢を煎じて…
『ってそうじゃねぇ! フレアさん、話をぶった切ってすまねぇが、霊薬ってのに心当たりはねぇかっ?』
『レイヤク、ですか?』
『ああ、なんでも病気をたちどころに癒す、凄ぇ薬らしいんだが、ってその様子じゃ、知らねぇか……』
『はい、申し訳ないですが私では力にはなれませぬ。ですが長老達やヨル様であれば、何かご存知やもしれませぬ』
『ほんとかっ! 長老さん達はあの霊峰にいるんだよな?』
こくっ、とフレアさんは首を縦に振り、焦っている俺の様子を察して、次の行動はどうするかと黙して見守っていた。
フレアさんの(あらゆる意味で)衝撃的な登場に思わず失念していたが、俺には果たさねばならぬ約束があるのだ。
『事情は道中で話すからさ、とにかく俺を長老さん達のとこまで連れて行っちゃくれねぇか?』
『ええもちろん。元よりお迎えにあがる為に、ここに参りましたので。出来得る限り急いだ方がよろしいですか?』
『ああ、急ぎで頼む』
フレアさんは行衣らしき装束に収納されていた秀麗な翼を力強くバサッと広げ、俺とは比較にならない光輝を放つ。
俺が見惚れている内にも『失礼致します』と彼女は俺を持ち上げると、両腕で抱きしめるように胸元に固定した。
少しだけ居心地が悪かったので、ぎゅむむと位置を変えようと試みたが、我がもちもちの腹肉が引きつるばかりで、何の効果も及ぼさない。
『……や、やっぱそこそこで頼む。フレアさんの全力に俺が耐えられそうにねぇ』
『承りました。それでは、そこそこ、で参ります』
そう言ってフレアさんは大地を踏みしめると、地面が洋菓子で出来ているのかと錯覚するほど自然に窪んだ。
『ほぇ?』
この時の俺は、竜人種がわざわざ翼を用いるということの意味を微塵も理解していないかった。
彼ら彼女らの脚力をもってすれば、ベルに迫る勢いで走ることなど造作もない。
そんな彼らが強大無比な両翼を広げ、空間を殴りつけるというのがどういうことなのか。
至極当然、齎されるのは暴虐の嵐だった。
余波ですら絶命しかねない圧縮された空気が周囲を襲い、木々が折れる、ではなく爆ぜるように千切れ飛んだ。
『(あぁ、死ぬのかおれは。なんと儚い魔物生だっ…)』
走馬灯すら許されず、俺はその儚い魔物生を手放した。




