第八話 奈落の霊峰
篠突く雨、そう表現するに相応しい土砂降りの雨の中、俺達は一日掛かりでようやく霊峰の山際に辿り着いた。
だがしかし、そこから数日、抗いようのない異質な大自然によって、俺達は停滞を余儀なくされ、ベル達と別れたあの日から丁度二週間が経過しようとしていた。
「……デントさん。俺は一度北に戻ろうと思います」
意味もなく過ぎる時間に焦れ、遂にリッキーはそう呟くと、本気で帰るつもりなのか、足回りの防具を整備し始める。
俺は慌てて、彼の元へと駆け寄り、何か動きがあるかもしれない今日だけでも留まってくれるよう伝えてみるが、返ってきたのは、
「俺だって残りたいですっ。でも、妹の身に何かあれば、俺は今度こそ生きていけない。大丈夫です、確認が取れればすぐにでも戻ってきます……頼ってばかりですみませんが、どうか、どうか霊薬の情報を、お願いします」
という返事だった。
彼は雨に濡れながら、俺なんかに目一杯頭を下げ、自分の無力さを恥じる様、その顔を悔しそうに歪めていた。
俺はそんなリッキーを慰めてやることも出来ず、『あぁ、任せてくれ』と無責任な約束を取り付けて彼を見送った。
リッキーとの再会を誓ったのは、凡そ二週間後。
霊峰の北にある森が開けた平地で落ち合う予定だ。
『つっても、どうするかねぇ。コレじゃあ先に進めねぇぞ』
そう呟く俺の前には、時間のない俺達を否が応にも足止めした異常空間が広がっている。
『不死の炎漠』、『月下の凍て地』に並ぶ、第三の魔境『奈落の霊峰』。
雨雲を突き破ってなお上へ上へと聳える霊峰についつい目がいってしまうが、その真価は霊峰の標高を相殺するように形成された底なしの奈落にこそあった。
『ベル達はこの奈落をどうやって……って、多分飛び越えたんだろうなぁ、普通に』
今一度、そろりそろりと崖際に近寄ると、ざっくり目算で幅二百メートルはあろうかという奈落が俺を出迎える。
軽く下を覗くだけで、タマシイがヒュン、と縮こまり、魔物の視力をもってしても底の見えない深淵が広がっていた。
『むりむりむりむりっ。ぜってぇ死ぬ! 俺には無理だぞっ、こんなアホみたいな幅っ』
俺は間違っても滑落しないよう安全な場所まで後退り、無意味に止めていた息をゆっくりと吐く。
変わらず降りしきる雨で頭を冷やし、何とか冷静に方策を練ってみても、もちろん良いアイデアなど浮かぶことはなかった(もう試せる案はこの数日で試し尽くしている)。
たとえ技能をこれ以上なく活用しても、俺が跳べる距離は精々百メートル前後。その倍近い、恐らく倍以上ありそうな距離を攻略するなど並大抵な方法では不可能なのだ。
『あと一つ。試してねぇ方法があるっちゃある、が』
簡単には試せもしない、たった一つの非凡なる策。
それは弱き魔物である俺だけが為せる異形の御業だった。
『進化さえ出来りゃあ、可能性はあるんだが……なぁ』
特大のため息を吐いて、雨に艶めく森や岩々を眺め、ここ数日すっかり鳴りを潜めた魔物達の気配に思いを馳せる。
この世界に存在する六つの人外魔境、それらの最大の特徴は壊滅的な地形と発生する魔物の異常な多さにある。
しかし、ここ『奈落の霊峰』においては、前者はともかく後者は不気味なほどに少ないと言ってよかった。
いや少ないというより、寄り付かない。
そう言った方がこの場合、適切なのかもしれないが。
『そりゃこんだけムンムンに覇気飛ばしてたら、魔物の一匹も寄り付かねぇよな』
霊峰より漏れ出るもう何が何だか分からない強者の覇気、それはあのベルの気配さえ越える濃密なものだった。
感覚が鈍い(と主にベルから小バカにされる)俺には一周回ってなのか、どれだけの強者がいるのかも分かりはしないが、ここいらの魔物にはそれが分かるようである。
『子供のリカがあんだけの強さを持ってんだ。大人は、ましてその神獣は一体どんだけ強いんだか。世界征服どころか、世界を丸っと更地にするくらいできるんじゃねぇのか?』
ぞっとしない妄言ではあったが、強ち妄言とも思い切れないのが笑えず、俺は一匹、思考の袋小路に舞い戻る。
リッキーと出会うまでの約一週間、徹底的に戦闘訓練に腐心したものの、俺のステータスは進化を目指すには些かまだ心許ない。
-------------------------------------------------
個体名:ローデント=オーヴィーズ
種族名:デンジャラスコレクターラット Lv 29/50
状態 :健康
生命力:1700/1700 ⇒ 2260/2260
精神力:1230/1230 ⇒ 1510/1510
攻撃力:117 ⇒ 173
知力 :222 ⇒ 250
敏捷 :133 ⇒ 161
技量 :124 ⇒ 152
運 :241 ⇒ 269
技能:
《齧削》《瘴牙》《蝕液》《静骸》《練気》《瞬脚》《朧翔》《鑑定》《癒しの波動》《清めの波動》《頬界》
特性:
《疫病耐性 Lv2》《飢餓耐性 Lv2》《斬撃耐性 Lv1》《打撃耐性 Lv1》《精撃耐性 Lv1》《石岩耐性 Lv1 ⇒ 2》《水氷耐性 Lv1》《火炎耐性 Lv1》《登攀》《掘削》《石喰》
称号:
《鼠王の因子》《託されし者》《誇り高き魔物》《運命の反逆者》
-------------------------------------------------
石蛇戦で大きくレベルは上がったが、それ以降はほぼほぼ互角や格下の魔物を相手にしており、段々とレベルの上昇は緩やかになっている。
俺個人としては十分に力を増してきている実感はあるし、特に生命力と攻撃力なんかはメキメキと伸びていた。
しかし、多大なるリスクを取りでもしない限り、一週間程度では流石に進化できないようで、石蛇戦のような大立ち回りをあと二、三度繰り返さなければ進化は厳しそうである。
『まあ、そんなポコポコ進化できてたんじゃあ、この世界は今頃バケモンだらけだ。本来なら何年もかけて手堅く成長していくもんなんだろうな』
俺もそう有りたいと切に願う所ではあるのに、なんだかんだとやむにやまれぬ事情に迫られて、切った張ったの綱渡りを繰り返しているのがどこか切ない。
繰り返すようだが、リッキーとの再会は約二週間後。
今日一日、ベル達からの助けがこなかった場合は、それこそ本気で進化を目指すことになるだろう。
『律儀で面倒見がいいベルなら必ず迎えに来てくれる……よな? たぶん……いやきっと。どうにか、たのむ、マジで』
あるいは俺の力を見誤って放置される、そんな状況がいとも容易く頭に浮かんでしまい、相棒への信頼は嫌な方に加速していく。
俺の後ろ向きな思考を助長するように、雨脚も激しさを増し、果てはピカッと小さな閃光が走った。
雷にしては位置がおかしいようなと思ったのも束の間、ドガァァン!!! と俺の真横に落雷が……いや、人型の閃光が落ちてきた。
『デンチャン様、で、相違ないですか?』
圧倒的な物量と衝撃を伴った驚きに心臓がバクバクと鳴る中、紅の竜鱗を持つ竜人さんはそう告げて、こちらを向く。
その顔には、石像のように欠片の感情もなく、俺と路傍の石の区別がつかないのか、無機質な瞳で俺を睨んでいた。




