第二節 魔技のアンジェ
世界には七つの獣人種が存在する。
犬人族は、その一角を担う愛すべき獣人種である。
彼らは純潔を美徳とし、比類なき叡知を有する神獣リル=プロシュヴェリテと共に己が義を全うすることを至上の喜びとする。
大別して四つの氏族に分類することはできるが、一族全体を通し、その性格は誠実にして、純潔。
自らが定めた義に反することを何より嫌い、彼らの叡知は愛する主、番、義ためであれば、遥か未来すら見通す。
本節では、犬人族の中でも万象を再現することを己が義と定めた氏族『アンジェ』の者達と初めて触れ合った際の体験談をもととして、彼らの驚くべき生態や文化を取り上げてゆく。
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俺は犬人さん達の結界修復作業を見守った後、他の結界を見回ってくるというリルとドンドン達とは一旦別れ、アンジェ氏族の者達と共に街への帰路についていた。
時刻は恐らく夕方頃で、薄暗い森を抜け街に戻ると、何度見ても美しい街並みと星空が俺達を出迎えた。
どこか馴染みのあった猫人の里とは違い、この街では雪と寒さに備えてなのか、軒の長い三角屋根の木造家屋が整然と並んでいる。
一つ一つの家には温かな家庭の光が灯り、アンジェの者達もその灯りに吸い込まれるよう散り散りに去っていく。
唯一残ったのはフェネックの様な大きく尖った耳を持った犬人のコルコルだけで、一人と一匹、何も言わずに街を眺めていた。
『(街に戻ったらなんかやんなきゃって思ってたんだけど、なんだっけなぁ)』
街並みに見惚れながらもぼんやりと考え事をしていると、直ぐにその疑問は溶けてなくなった。
それはそれは美しい一匹の白猫、ベルがこちらに向かって歩いてきていたのだ。
『よ、よぉベル、無事結界は直ったぜ。留守番ありがとな』
俺は急いでベルへと駆け寄ると、出来るだけいつもと変わらない調子で鳴き声をあげる。
『デントだけ遊びに行ってずるい』と今にも口に出しそうな顔をしていたが、今回ばかりは悪いのは俺ではなかった。
ベルもそれが分かっているのか俺を責めるに責められず、ただただ不満そうにこちらを見ていた。
怒られ役のリルもいないし、どうしたものだろうか。
『そうだ、これから一緒にコルコルの所に遊び行こうぜっ』
『……』
『ま、魔物とかを研究して色々作ってるんだってさ、ベルもそういうの興味あるだろっ?』
『……ん』
いつも以上に寡黙なベルを何とか誘うと、黙っていても仕方ないと諦めがついたのか、彼女は素っ気ない返事と共にコルコルへと伺いを立て始める。
胸を撫でおろす暇もなくベルは訪問の許可を取り付け、俺達は南門近くにあるというコルコルの工房へと足を向けた。
南門周辺はベルと一緒にお手伝いをした場所でもあり、道行く人は俺達を見る度に丁寧にお辞儀をしてくれる。
嬉しいような気恥ずかしいような思いになりつつ、やはりどこか気恥ずかしかった俺達は少しだけ足早に道を進む。
そうして工房へと着くと、そこに待ち構えていたのは、家が数軒は建てられそうな広大な庭とその庭に対して随分と小ぢんまりした豆腐の様に四角い無骨な家だった。
折角の広大な庭にはこれといって目立つものはなく、何かの試作品の残骸だけが無造作に雪を被っている。
工房らしき家は取って付けたと言わんばかりの木材の板がペタペタと張り付けられており、率直な感想を言うのであれば、この街で見た中で最もみすぼらしい家だった。
『なんかこう、年季の入った工房だな』
『ん、ぼろぼろ』
……ベルちゃん、世の中思っても言っちゃダメなこともあるんですよ? まあコルコルも笑っているし、本人承知の上ということなのだろうか。
『あははは……なんだかすみません。我々も最初はきちんと取り繕っていたのですが、実験中に爆発したり、炎上したりと繰り返す内にこうなってしまいました』
『ば、爆発するのか?』
『ええ、凡そ月に一度くらいは。中は綺麗にしているので、とりあえず入りましょうか』
『お、おう』
爆発と聞いて思う所がないでもなかったが、スタスタと進むコルコルとベルに遅れないよう俺は急いで後を追った。
『灯りを点けるので少々お待ちください』と玄関前で待たされると、数秒して工房全体が一気に明るくなる。
未だにこの街の灯りの原理が理解できてはいなかったが、戻ってきたコルコルに促されるままに中へと入ると、壁や仕切りが一切存在しない独特な室内が眼前に広がる。
しかし、そんなことより目を引いたのは、ベルがすぐさま戦闘の構えに入る程には迫力満点の剥製が居座っていることだった。
『……ん? 息してない、作り物?』
『す、すみませんベル様っ。これは弟が実験の合間に作った魔物の剥製なんです。外側は本物の革ですが、中身はただの形を整えた木です。意外と役に立つので飾ってるんですが、お二人に伝えるのを完全に忘れてました』
『別にいいけど、これが役に立つの?』
『はい、魔物は生存だけに特化した極めて優秀な生き物ですので、見習うべき箇所は無数にあるんです。実際、この集音器や擬態布なんかは、ヴァンピィフライやミミクリートレントの構造から着想を得て……』
そう言ってコルコルは、綺麗とは言い難い室内を更に散らかしては、捲し立てる様に早口で解説を続ける。
解説に熱が入っているのか、一つの製作物を説明するために違う製作物へと話がどんどんと飛び火していき、きらきらと探究心に燃える瞳がリルによく似ていた。
如何せん原理が難しくて、『ほぇ、すげえ』と馬鹿みたいな感想しか出ないが、少なからず魔物というものに関心のあった俺とベルは二匹揃ってその話に楽しく聞き入っていた。
『す、すみません長々と、興味ないですよねっ』
『んん、面白かった。里で役に立ちそうな物も一杯あったから、また聞かせてほしい』
『ベル様……』
『アンジェの皆は普段からそういう魔物の研究? みたいなことやってるの?』
『やらないことはないですが、研究はほとんどサヴァンの役目ですね。私達はあくまで物作りと実験が仕事です。まあ実を言うと雑用に駆り出されることの方が多いですけどね』
コルコルは苦笑混じりに告げると、『今だって死に物狂いで保存食作りの真っ最中です』と冗談めかして肩を竦めた。
物作りが仕事と言うだけあって、確かにコルコル達の技術力には目を見張るものがあった。
いくら力が強くて数が多かったとはいえ、半日とかからず小屋を建てて結界とやらの修復まで終えていたし、彼らなら保存食作りも上手に違いない。
ドンドン達が自炊している姿は全然想像できなかったが、料理全般はアンジェの人達が担当しているのだろうか。
『(旨いは旨いがちょっとだけ残念なんだよなぁ)』
食べ物を恵んでもらっておいて流石に文句は言えないが、ここ最近の食事風景が脳裏を過ぎり少しだけげんなりする。
彼らの食事は魔物肉と野菜と芋。
それ自体は猫人とそこまで変わらないのだが、問題はそのメニュー数の少なさにあった。
付け合わせの野菜こそ多少変わるものの、彼らが提供してくれる料理は基本的に一種、魔物肉のステーキのみなのだ。
もちろん火入れは完璧で、味付けだって文句なしに旨い。
けれど、毎日毎日三食ステーキはいくら何でも極端に過ぎるだろう。
当の本人達は栄養補給さえできれば何でもいいのか気にした様子はないが、賢い奴の考えることは俺なんかには分かりそうもない。
夜も更けてきて、そろそろご飯時となるが、またあの分厚いステーキが出てくるのかと思うと食べてもいないのにどこか胸やけがした。
『なぁコルコル、そういやどうやってこんな暗くて寒い中、野菜とか育ててるんだ?』
たまにはヘルシーに野菜だけの食事でもいいなあ、なんてそんなことを考えながら俺は問いかける。
寒さはともかく、太陽の光なしでもここでは野菜が育つのかと前々から気になってはいた。
『野菜の育て方、ですか? 温室で普通に育てているだけですが、気になるのでしたら裏手にある温室をご案内しましょうか?』
『温室……気になるし、行ってみねぇかベル?』
『ん、行く』
『承知しました、ではこちらへどうぞ』
コルコルはそう言うと、散らかったままの不思議道具達を放って、迷いなく奥に見えている扉へと進む。
移動中、ファンタジー感マシマシの浮遊鉱石なんかがとんでもなく気を引いたが、『触れると危険な物もあるのでお気を付けください』とコルコルに先回りされたのでとりあえずは我慢した。
そうして数々の誘惑を断ち切りながら扉を抜けて外に出ると、工房とは似ても似つかない秀麗な建物が鎮座していた。
かまぼこ型とでもいえばいいのか、格子状の木材にガラスを嵌め込んだその温室は、近代的な植物園と比較しても違和感がないほど美しく、また巨大な建物だった。
室温保持のためなのか扉は二重になっており(雪国にある風除室さながらだ)、俺が呆気にとられる間にもコルコルは重そうな扉を開け、どうぞ、と入室を促した。
『おぉ、あったけぇ……けどこれどうなってんだ?』
温室は外から見ても中々に巨大であったが、室内から見ると柱などが一切存在しないおかげか更に空間が広々としているように思えた。
もちろん温室内には所狭しと野菜達が生え揃っているが、見渡す限り空気を温める様な『何か』が存在していない。
それなのに不思議と地面がポカポカと暖かく、炎漠で過ごした日々を思い出す様だった。
『この温室では、地下をでラヴァスライムを放し飼いにしているんですよ』
『ラヴァスライムって、あのラヴァスライムか?』
『ええ、不死の炎漠にいるあのラヴァスライムです。この環境に適応させるのには難儀したそうですが、地下室は砂漠そっくりで中々面白いですよ』
俺の馬鹿みたいな質問にもコルコルはきちんと答えてくれ、地下と言われて、よくよく観察してみれば外周とそこら中の床に小さな空気穴が開いていて、温かい空気が循環しているのが分かった。
近くに寄ってみると、何とも言えない炎漠の匂いが鼻腔をくすぐり、暑さに飽き飽きしていた筈の砂漠が恋しく思えてくるのだから我ながら単純な頭をしていると少し呆れる。
『そんなに経っちゃいないが、なんだか懐かしいなベル』
『ん、懐かしい』
そう言うとベルは地面の温もりを確かめるようにちょこんと座って、気持ちよさそうに目を閉じた。
俺はベルの邪魔をしないように一旦離れ、目についた野菜に近付いて、しばし観察を続ける。
野菜というか果物に近いそれは、苺とラズベリーを足して二で割ったような見た目で、やや紫がかった色をしている。
甘いのか酸っぱいのかと興味の赴くままに手を伸ばすと、いつの間にか後ろにいたコルコルが何かを問いかけてきた。
ベルに翻訳してもらわずとも、何となくのその内容は察しがつき、俺は首を縦にぶんぶんと振ると、コルコル目の前の野菜を一粒もぎって手渡してくれた。
早速丸齧りしてみると、程よい甘味と柑橘類のような爽やかな酸味が口に広がり、こってりとしたステーキによく合いそうな絶妙な風味だった。
「魔物とは手を取り合っては生きることはできません。しかし、こうやってお互いを利用しあう形で共存することはできる。叶うことなら、争わずに生きていたいものですね」
コルコルは人の良さそうな面持ちで感慨深そうに呟き、温室より遠く、ここではないどこかを眺めるように佇む。
その澄んだ瞳で、明晰な頭脳で、何を思っているのかは俺には分からなかったが、彼が優しい犬人である、そのことだけは分からないはずもなかった。




