第一節 狼騎のカヴァル
猫人編と同様に本編で紹介しきれなかった獣人さんに関するあれこれを描いた番外編となります。
今回もごゆるりとお付き合いいただければ幸いです。
偉大なる我が同志の皆々、世界を生きる様々な生命達。
そして何より、情緒溢れるこの『驚異の書』を読み、聞き、理解したいと思う愛すべき方々よ。
ここに記されるは、知恵深きオーヴィーズの神獣、ローデント=オーヴィーズがその目で見た、或いは確かな者から聞いた、世界の真なる記録の一部である。
皆々の慧眼により拙著とは矛盾する驚くべき真実が垣間見えることもあるやも知れぬが、拙著がその助けとなったのであれば幸甚の至りである。
驚きを以て、疑いを以て、この世界の真実を共に探求しようではないか。
なお、本章の執筆にあたり多大なるご協力を賜った犬人族各位、並びに我が弟子リル=プロシュヴェリテに、この場を借りて最大限の感謝を申し上げる。
犬人婚活相談所『ワンコイ』名誉相談役
ローデント=オーヴィーズ
*****
世界には七つの獣人種が存在する。
犬人族は、その一角を担う愛すべき獣人種である。
彼らは純潔を美徳とし、比類なき叡知を有する神獣リル=プロシュヴェリテと共に己が義を全うすることを至上の喜びとする。
大別して四つの氏族に分類することはできるが、一族全体を通し、その性格は誠実にして、純潔。
自らが定めた義に反することを何より嫌い、彼らの叡知は愛する主、番、義ためであれば、遥か未来すら見通す。
本節では、犬人族の中でも他者を守ることを己が義と定めた氏族『カヴァル』の者達と初めて触れ合った際の体験談をもととして、彼らの驚くべき生態や文化を取り上げてゆく。
*****
犬人の街より少し南西に進んだ凍てつく森の中、俺は赤べこの様にかくんかくんと揺れる視界に不調を感じつつも周囲を眺めていた。
『月下の凍て地』という異名通り、相変わらず周りには月明りと凍り付いた雪原しか存在しない。
常人であれば視界は暗闇に包まれていたに違いないが、この身は凡ならざる魔物の身。俺の視界には、狼に跨る犬人さん達の姿がありありと映っていた。
『……すまんリル、やっぱ降りるわ』
俺は後ろめたさを感じながらもそう零し、暗闇と見紛う程の真っ黒な体毛を持ったワンちゃん、リルの背中から飛び降りる。
ボスッ、という音と共に身体は半分以上雪に沈み、街中よりも随分と深く雪が積もっていることを実感する。
体毛のお陰かそこまで寒さは感じないが、南西に進むにつれ、温度もじわじわと下がっているみたいだった。
『どうしたの師匠? もう飽きちゃった?』
リルは小首を傾げて言うと、純真そうな表情を隠そうともせず俺の顔を覗き込んだ。
勝手に背中に飛び乗った挙句、乗り心地が悪いからと十秒もせず降りた不届き物にはその表情は余りに眩しく、罪悪感を押し殺しながらも俺はなんとか言葉を繋ぐ。
『……やっぱり神獣様に乗っかるのは失礼かと思ってな』
『神獣様って、師匠もだよ? 気にしなくてもいいのに』
『ほ、ほらコルコルだって見てるだろ? 親しき仲にも礼儀ありってやつだよ』
聞き慣れない言い回しにリルがさらに首を傾げるが、気にする程でもなかったのか、追及の手は止む。
代わりに、フェネックの様な見た目をした犬人、コルネさんへと何やら話しかけ始め、会話に入れない俺は再び周囲を見渡した。
別に見渡したから何がある訳でもないが、もふってよし、眺めてよし、話しかけてよしの最高の相棒、ベルの姿が今はなく、景色を眺めるくらいしかやることもなかったのだ。
『(ベルが居てくれりゃあなぁ)』
現在、街の最終防衛戦力として強制的にお留守番中なのだから、文句を言いたいのは恐らく彼女の方だろうが、俺はそんなことを思わずにはいられなかった。
改めてリルと過ごして思ったが、ベルが居る時の過ごしやすさはもはや異常なのだ。
俺が暇そうにしてたら(機嫌が良ければ)構ってくれるし、俺が考え無しのズボラな鼠であることを理解した上で、それ相応の扱いをしてくれる。
その点、リルはなぜか俺を過剰に凄い奴だと誤認している節があり、翻訳してくれる情報も断片的でも本気で伝わると思っているようだし(これだから頭のいい奴は……)、構ってアピールをしてみても『何か深い考えがあるに違いない』みたいな顔して平気で無視しやがる。
全くやり辛いったらない困った弟子である。
今だって、何をするためにここに来ているのか正直分からないまま、荷物持ちとしてノリでついて来ているくらいなのだ。あんまり俺を舐めないでほしい。
『師匠、思った通り結界が上手く機能してないみたいだから、もうちょっとだけ移動して原因を確かめに行くよ』
『お、おう、結界ね……結界を修復しに来たんだもんな』
『うん? ……まあとにかくちょっと急いで移動するから、遅れないように気をつけてね』
そう言うとリルは周囲のカヴァル隊へと指示を伝え、俺が置ていかれないギリギリの速度で走り出す。
雪の中を走る、というより跳ねるような勢いで進んだ俺達は、恐らくの目的地である古ぼけた小屋へと一分と掛からず辿り着いた。
そして、先を走っていたカヴァル隊のシャドウウルフがその小屋に向けて唸り声を向けたかと思うと、突如小屋の中から三メートル近くある薄墨色の大熊が現れた。
『おいおい、あれ大丈夫なのかっ? かなり強そうだぞ?』
『大丈夫だよ師匠。あれはファントムベアっていう魔物で、この森ではよく遭遇するんだ。カヴァルの皆なら平気だから安心して見てて』
『お、おう』
戸惑う俺など知ったことではないと安眠を邪魔されたファントムベアとやらは怒り、先頭にいたドンドンに凶悪な爪を振るうべく襲い掛かる。
が、シャドウウルフに跨ったドンドンはその射程を完全に理解しているのか、数歩下がるだけでその攻撃を避け、逆に相手の鼻面に鋭利な金属の鉤爪を突き立てた。
「グゴォォォッ!!!」
堪らず魔熊は逞しい腕を我武者羅に振り回しながら後ずさると小屋へと激突し、バキバキッと喧しい音を立ててあばら家を倒壊させた。
辺りには雪煙が舞い上がり、俺はあの程度で魔物が死ぬはずがないと固唾を飲んで状況を見守った。
すると、物置程度のサイズしかなかった小屋の中にどうやって潜んでいたのか、二匹のファントムベアが姿を見せた。
『リルっ、流石に二匹はまずいんじゃねぇかっ?』
『ファントムベアの《影映》っていう技能だよ。よく見ると鼻の傷も両方にあるでしょ? ちゃんと実体があるのが厄介だけど、その分動きが単調になるし、攻撃も両方に通る。こうなったらもう負けはないよ』
『そ、そうなのか? 十分厄介そうだが……』
一対一であれをやられたら俺では到底敵いそうになく、どうしても心配する気持ちが勝ってしまう。
けれど、リルには一切その様子はなく、むしろ勝ちを確信したのか安堵のため息を吐いていた。
俺の心配を煽る様に二匹の魔熊は容赦なく襲いかかり、ドンドンはある程度余裕を持って避けてはいたが、嵐の様な猛攻を前に攻撃に転じることはできないみたいだった。
だが彼もそのことは承知しているのか、跨っているシャドウウルフに足で合図を送り、その瞬間、彼らの影が動いた。
地を這いながら進んだ影は魔熊達の片割れへと纏わり付き、寸分の狂いもなかった猛攻にバラツキが生まれ始める。
どうやら、影に縫い付けられた魔熊の動きが随分と鈍くなっているようだ。
『こ、今度はなんだ? 影が動いたぞ?』
『シャドウウルフの《影縛》だね。一応僕も使えるけど、出力を上げれば完全に縛り付けることも出来るよ。すっごい精神力を使っちゃうけど』
『……そ、そうか、ただの狼な訳ないもんな。技能の一つや二つ持ってるか。他には何かできたりするのか?』
『他に? うーんとたしか影に潜ったりはできるって言ってたかな。あんまり使わないらしいけど』
『便利そうなのに使わないのか?』
『影の中が暗くて狭いから嫌がるんだって』
そんな身も蓋もない、と思わないでもなかったが、いつか野生のシャドウウルフに出会うことがあったら、役に立つかもしれないと心の内にしまっておく。
俺達が呑気に会話を続けている間にも状況は動き、思うように動かない身体のせいかファントムベアの動きが更に鈍くなっていた。
一つの脳みそで別々の動きをするだけでなく、その動く速度まで違ってくれば混乱するのは必然といえたが、その隙を見逃す程ドンドン達は優しくはない。
今まで静観していた他のカヴァルの面々も攻撃に加わり、まるで未来でも見えているかのような先読みで完璧にファントムベアを封じ込め始めた。
あれだけ強そうだった魔熊もその凄まじい連携の前にはなす術もなく、何とか食い下がってはいたもののそう長くかからず雪原に倒れることとなった。
『ね? 大丈夫だったでしょ?』
パチリ、とウインクをしてリルが呟き、俺は返事をするでもなく呆然とその光景を眺めていた。
猫人さん達とは違った計算され尽くした強さ、その真髄がこれ程の恐ろしいものとは思ってもいなかったのだ。
*****
『師匠、運んでもらった資材ここに置いてもらっていい?』
戦闘を終えてドンドン達がファントムベアの解体をする中、リルは倒壊した小屋に近付いて言った。
『お、おう』
余りの切り替えの早さに一瞬だけ反応が遅れはしたが、俺はリルに指示された通りに《頬界》で収納していた木材や石材、布、その他用途不明の物まで全てを吐き出す。
全部出すとそれなりの量となり、最も嵩張る木材からはヒノキの様な独特な香ばしい匂いが放たれ、少し緊張していた気分が自然と落ち着いてきた。
『何度見てもとんでもない技能だね。師匠が居なきゃ移動もかなり遅れてただろうし、どうにかして再現できないかな。精神力も大して使ってないみたいなのに、どうやって大量に収納してるんだろう? 一度分解して再構築、いや…』
約一匹、好奇心に目を輝かせむしろ昂っているワンちゃんはいたが。
『そんでリル、さっきの戦闘で小屋は壊れちまったが、これからどうするんだ? 小屋を建て直すのか?』
『……うーん、そうするしかないだろうね。戦闘で壊れたのもあるけど、元々壊れてた所にファントムベアが住み着いちゃってたみたいで臭いが凄いや。一から建て直すとは思ってなかったから、今日はアンジェの皆を連れてきてないんだよねぇ……僕達だけで何とかなるかなぁ』
そう言ってリルは悩まし気に目尻を下げると、ここに居る唯一のアンジェ氏族兼そのまとめ役であるコルコルの元へと相談に行った。
一人と一匹、ウンウンと首を捻らせて長いこと悩んでいたみたいだが、結局どうにもならないという結論に至ったようで、俺とリルだけで一度街へと戻り、追加の資材と人員を連れて戻ってきた。
その際、退屈に苦しんでいた真っ白な神獣様から見当違いなお怒りの視線を受けた気もするが、恐らくきっと、ほぼ間違いなく気のせいである。
『よし、それじゃあ皆お願いねっ』
『『『ハッ』』』
リルが音頭を取ると、連れてきたアンジェ氏族の者達がテキパキと作業を開始する。
神獣であってもただの獣に過ぎない俺達は彼らの邪魔をしないよう少し離れた位置にいたドンドン達へと歩み寄った。
ドンドン達は俺達が街に戻っている間に、倒壊した小屋を綺麗に撤去してくれていたようで、異臭の染み付いた廃材を焚火の中へとくべていた。
中には、頑張ったご褒美なのかシャドウウルフへ獲れたての餌をあげている者もいて、微笑ましさと羨ましさが同時に募った。
『懐けば可愛いもんだなぁ。ちょっとばかし、俺のことを食い物を見る様な目で追ってる気もするが』
『あはは、師匠はあんまり近付かない方がいいかもね。どんなに懐いてても魔物ではあるから、油断しちゃだめだよ?』
『お、おう……やっぱこんだけ人に慣れてても、話したりはできないのか?』
『そうだねぇ。こっちの言葉は大体伝わるけど、返事はできないって感じかな。どんなに賢くても、言葉を話す魔物は僕達神獣くらいだよ。探せばもしかしたらいるかもしれないけど、そもそも魔物は単独行動が多いし、よっぽどのことがなければ高度な社会性を構築することもない。自然じゃ生存競争は厳しいだろうし、言葉を操るより別の強みを獲得していく魔物が多いんじゃないかな』
『ほぉん、そういやベルもそんなこと言ってた気がするな』
思い返してみれば前世でも生物は基本的に単独で行動する種の方が圧倒的に多いのだ。
ある種極端なこの世界で普遍的な強さを追い求める形となるのも当然と言えそうだ。
高度な文明を持つ魔物、なんてのもロマンがあるが、そうも言ってられない辛い魔物生が待ち受けているのだろう。
文明を保ちつつこれだけの強さを維持している獣人種が異常なだけで、普通の魔物が文明開化になぞかまけていたら、一瞬で他の魔物に食いつぶされる姿など容易に想像できた。
『(ほんとによく七種も生き残ったもんだよ……まあ、鼠人族はつい最近滅んじまったらしいが)』
自分で勝手に考えておいて、無性に寂しくなった俺は、厳しいこの世を生き残った犬人さん達を眺める。
騎兵のカヴァルに技術屋のアンジェ、ここには居ないが治癒士のカルムと研究者のサヴァン。
一種の獣人として纏められてはいるが、その個性は色とりどりで同じカヴァルにしても、ハスキー風の人やヨークシャテリア風の人だって様々だ。
そういえば今まで気にしていなかったが、猫人の様に大まかな種ごとに氏族を名乗る方式ではないのだろうか。
『なぁリル、犬人さん達ってどうやって苗字、じゃなくて氏族名を決めてるんだ?』
『氏族名? カヴァルとかアンジェとか星職のこと?』
『ああ、ここじゃ星職っていうのか。ほら猫人さん達は……なんつうか見た目っていうか、生まれ持っての特性で決めてるだろ? 犬人の場合はどうなのかと気になってな』
『うーん、一言で言っちゃえばその人の性格次第ってことなんだけど、本人達に聞くのが一番だよね。ねぇねぇ皆、ちょっと話に付き合ってよ』
そう言うとリルは気兼ねなくカヴァルの者達を呼びつけ、割と暇を持て余していた犬人さん達がぞろぞろと集まる。
気安い、とでもいうのか、ベルと猫人さん達とは違った仲の良さに一人和んでいると、場を仕切る様にドンドンが話を切り出した。
『どうかしましたか、リル様?』
『師匠が星職についた時のことを聞きたいんだって、皆色々あると思うけど、参考として教えてあげてくれる?』
『ええ、もちろんっ』
リルにお願いされ、嬉々として話をしてくれた犬人さん達の話をまとめると大体こんな感じの流れになるようだった。
まず、生まれた時点では彼らに氏族名はつかない。
普通の子供として過ごし、その際の経験や出来事を通して、自ずと確固たる信念が形成されるのだとか。
可愛い兄弟姉妹の為、愛しい両親の為、掛け替えのない友の為など経緯は様々あれど、カヴァルの場合は『誰かを守りたい』そんな信念が自然と湧き上がってくるそうだ。
他の氏族もほぼ同様で、唯一カルムだけは技能の適正上、血筋を継承していないと務まらないらしいが、そもそもの話、カヴァルやカルムを目指す犬人は一割を切っているらしく気にする必要もないという。
なぜそうなるか尋ねた所、犬人は本来戦いではなく知的好奇心の強い種族らしくカヴァルの面々ですらやや戦いに対して尻込みしている部分があると語っていた。
『いくら強いとはいえ、カルム合わせて一割以下ってえと何かと困るんじゃねぇのか?』
純粋な疑問からそう口にすると、リル達は一様に困り果てた顔をして固まった。
これだけ賢いのだ、俺が気付く程度の問題など既に頭の痛い問題として認識されているのだろう。
『……ほんとにね、凄くすごーく困るんだよそれが。今回の件でもはっきりしたけど、僕達の街は明らかに戦力不足だ。昔から話し合って防衛手段なんかは日々改善してるんだけど、こればっかりは解決策が見つからないんだよね』
『無理に訓練させる、ってのも犬人さんに合わんだろうしなぁ。人口を増やしても、割合が変わらんとなると確かに……ってどうしたんだ? 今度は苦虫を嚙み潰した様な顔して』
『……実はね、人口も減ってきてるんだよね』
『と、いうと?』
『アンジェとサヴァンの皆は性格上、家庭を持ちにくいから街に子供が生まれないんだ……師匠にはいまいち分かり辛いかもしれないけど、僕達はそれを少子化と呼んでてね、戦力以上に難しい問題なんだよね』
『お、おぅふ、少子化かぁ、少子化ねぇ……』
唐突に現れた既視感まみれの言葉に俺まで遠い目をして、俺達は得も言われぬ連帯感に包まれる。
……分かるぞ、その悩み。
何がとは言わないが、非常に具体的にな。
前世でも異世界でも、難儀な問題を前にした時、生き物はみな同じ顔をするらしい。
笑い飛ばすべきやら真剣に悲しむべきやら絶妙な表情をして、しばらくの間俺達は無言で焚火を眺め続けた。




