第四話 死闘
もう長いこと思考に耽っていたが、赤茶蛙はまだ俺を捕食することを諦めてはくれないようだ。
地上からは奴の呼吸音がゲコゲコと聞こえてきている。
今や狩られる側になったとも知らず、哀れな蛙である。
『作戦は変わらない。予定通りのゲリラ戦だ』
一時は攻撃が通らないと絶望したが、今は一筋の光が見えている。元より石投げからの様子見は作戦の一部だった。偶然、跳ねてきたから齧りついてやったが、本来の目的は奴の体格、特徴、位置取りを把握しておくことだ。
戦いにおいて、敵の情報は値千金。名のある兵法書にもこう書かれている。
『敵を知り己を知れば百戦殆うからず、ってな』
下準備として、敢えて赤茶蛙から離れすぎないよう右、左、正面、後ろの四方向、そしてそれらの中間に更に四方向の横穴を掘る(丁度、赤茶蛙が右側の穴を向いていれば、左側の穴で背後数センチを取れる形状だ)。
また、その際とあるトラップを拵えておくのを忘れない。
石投げ作戦も継続することで、最後の横穴で顔を出し、赤茶蛙の位置取りと向いている方向を確認するのも忘れない念の入れようだ。
「グェッ」
赤茶蛙もそれなりに知力があるのか今回は驚いて飛び上がることはなく、冷静に舌を走らせて攻撃を仕掛けてきた。
当たれば致命傷になりかねないので、ここは大人しく何もせず穴に戻る。
「グェッグェッ」
これまた勝ち誇ったような鳴き声が響くが、下準備は既に完了していた。
赤茶蛙の真下へと戻り、特製の攪乱トラップ、名付けて『ゴロゴロ君』の起動調整を行う。
『説明しようっ! ゴロゴロ君とは、植物の根っこと石ころだけで作れる最強のトラップだ! 傾斜のある横穴に手頃な石を置き、植物の根っこで起動させてゴロゴロとドミノみたいに連鎖させる素晴らしいトラップだぜ! 蛙の聴覚は基本的に振動に頼っている。だから、些細な振動でも攪乱としては十分なんだぜっ! 知らんけどっ!』
一度はやってみたかった特撮もののような説明口調で、一人虚しく鳴き声をあげる。
準備はできたと早速ゴロゴロ君をそれぞれ少しずつタイミングがずれるように工夫しながら起動し、赤茶蛙の様子を音だけで何となく確認する。
「グェッ?」
いないはずの場所から音が聞こえ、困惑したような彼奴の鳴き声が聞こえる。
効果は覿面、これなら試行回数を重ねれば十分通用しそうだ、と背後奇襲用の横穴へと静かにけれど素早く移動する。
上手くいけば、時間差で赤茶蛙は反対を向いている筈だ。
『(まあ、そんなにうまいこと決まる訳が……あったわ)』
そろりそろりと顔を出すと、すぐそこに赤茶蛙の立派なお尻がででんと居を構えていた。何回かやってみて、成功させる予定だったが、何とも嬉しい誤算である。
運の良さがここに影響したのかと一瞬頭を過ぎったが、上手くいったことをとやかく言うまい。
それじゃあ、ちょいと後ろを失敬して、《齧削》、《弱瘴牙》を発動してっと。
『(秘奥義、《万年殺し》っ!)』
心の中で有りもしない技能を叫びながら、一番星のように光り輝く生物の急所『肛門』に対し、発光する前歯を、ズプッ、と刺し込み、そのまま、ガリッ、と内壁を齧る。
「グギャァゴ!!???!?」
堪らず、蛙とは思えない叫び声を漏らし、赤茶色の蛙は大きく空中に跳ねた。
『分かる、分かってやれるぞその気持ち。辛いよな、誰かに肛門から薬とか入れられるの。嫌だよな、色んな意味で』
まるで被害者のような面をしながら蛙に同情していると、未だ何が起こったのか理解できていなかった赤茶蛙は、鳴き声に反応したのかこちらを見た。
そして、元凶が子鼠であることに遅れて気が付き、親の仇を見るように睨みを利かせ始めた。
いやでもさ、君も最初俺のお尻つついてたし、とんとんって感じにならない?
ほら、おケツをつつき合ったケッ果仲良くなって、親友になるケツ断をしてハッピーなケツ末ってことで、ここは一つ和解の握手をば…
「ゲェエェエェェェ!!!!!」
『ちょ、やばっ!!』
作戦が成功した嬉しさからふざけていると、マジ切れした赤茶蛙が、今までとは比べ物にならないくらいの速度で舌を伸ばしてきた。何とか反応できたもののヒュン、と体毛に舌が掠り、肝が冷える。
舌が薄く光っていたので技能を使用していたのだろう。
舌が戻ってから次のアクションが中々ないなと、警戒しながら顔を出してみると、「グェェ」と呻くように鳴く赤茶蛙の姿が見えた。
『もしかして、《弱瘴牙》が効いたのかっ! 流石、浣腸即効性が違うぜ』
チューチューと喜んでいると、赤茶蛙の顔が怒りに染まり、鬼の形相となる。
とはいえ何とか舌も対応できる距離だし、飛び掛かりも怖くはない。後は穴に籠って、あいつが弱るのを待つだけだ。
あの怒り様だ、まさか子鼠相手に逃げの一手を打つこともあるまいて。
「ゲェ、ゲェ、ゲェ」
症状が回って来たのか、赤茶蛙は仄かに光る胃液のような吐瀉物を吐き出す。
うわぁ、辛そう。嫌だよね、何も食べてないのに吐くの。
咳や鼻水とは違った辛さがあるし、何より掃除も大変だ。良かったね吐くのに丁度いい穴があって。まあ多少は責任があるし自由に使いなよ、俺達親友だろ?
『にしても、この世界のゲロはテレビでもないのに光るんだなあ、不思議と見覚えがある気もするし、どういう仕組み何だろ? ……ゲロが光る? そんな訳ないだろっ! 技能だっ、まず』
本能的な危機察知能力で穴から出ようとしたその刹那、何かを発動させた赤茶蛙によってガスバーナーのような業炎が穴倉から噴き出る。
間一髪全焼こそ避けたものの、後ろ足がほとんど動かない状態になり、尻尾に関しては完全に焼失していた。
『(ス、ステータス)』
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個体名:ローデント
種族名:レッサープレイグラット Lv 2/10
状態 :火傷
生命力:38/60
精神力:43/70
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咄嗟に穴を出たおかげか、生命力こそ三割減といったところで済んだが、位置関係が非常によろしくなかった。
この足では素早い移動は不可能で、咄嗟に潜り込むには穴が遠すぎる。
「グェ……グェッグェッ」
奴にもそれが分かるのか、にんまりと笑いながら苦しそうに鳴く。
どうする? どうすればいい? 何を間違った? 確かに油断はしたが、誰があんなの想定できるんだ。いや、そうじゃない、できなくてもするしかなったんだ。
ここは異世界で、相手は魔物だ。空を飛んでも、爆発する油を吐いても何の不思議もないじゃないか。
赤茶蛙は動かない俺を見て、ずしんずしんと歩いてくる。
前世の時から何度も聞いた死神の足音が聞こえていた。
どうする、どうする、どうする、どうする。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
終わるのか? こんなところで。
まだこの世界の生き物も食べ物も景色も禄に見ていない。
こんな蛙一匹にすら勝てずに諦めろとでもいうのか。
最弱は最弱のまま死んでいくのが運命だとでもいうのか。
「グェッ」
赤茶蛙は最後まで油断はしないとこちらを凝視したまま立ち止まる。ひと思いに丸呑みすればよいものを散々辛酸を舐めさせたせいか、必死に呼吸音を聞いて死んでいるかどうか確認しているらしい。
もうこちらに対抗手段など残っていないのに、敵ながら律儀な蛙だった。
『諦め』の二文字が脳を過ぎり、もう早く楽になりたいとそんな腑抜けたことを考える。
そうだ、死んでしまえばこうやって悩むこともないんだ。
『(ようやく、ようやく楽になれるんだ)』
もう十分頑張ったではないか、そう自分に言い聞かせ《静骸》を発動させると、赤茶蛙はようやく安心したように舌を延ばし、俺の身体を絡めとる。
『(……これで終わりだ。第二の鼠生、短かったが楽しかったぜ)』
直に生命力も零になる、生きたまま蛙に丸呑みされるなんて真っ平ごめんだ。
そうして生命力は尽き、小さな鼠は赤茶色の蛙の腹に収められるのだった。
……。
…………。
………………。
『……ってんな訳ねえだろ、アホ蛙がっ! 引っ掛かったな、てやんでぃ! 《齧削》&《弱瘴牙》っ! 死ぬなら一緒だぜ親友よおぉぉぉ!!!』
「グエェェ!?!??」
淡く輝いた一対の門歯は、完全に油断していた蛙の舌に風穴を開ける。
蛙は痛みで悲鳴を上げながら、俺を取りこぼし、どたどたとその場でたじろぐ。
かっかっか、いい様だぜ、蛙さんよお。
生物の弱点はなにも肛門だけじゃあねえ、その柔らかそうな舌だって場合によっちゃあ致命的な弱点だ。
『親友として舌ピアスデビューしっかり手伝ってやったぜ、感謝しやがれっ』
「グェッエェェ!!!」
赤茶蛙はもう許さないとばかりに地団駄を踏んで、怒りの咆哮を叫ぶ。同時に足先が薄っすらと光り、何らかの技能を発動させようとしていることが見て取れる。
『……《弱瘴牙》は不発か。やれることはやったんだ、こんなもんだろうさ』
もはや後悔はないと瞼を閉じる。
後数秒もしない内に、俺は潰される。
あれほど嫌悪していた死がすぐそこまで来ているのに、不安や恐怖は少しも感じなかった。
長い長い数秒を経て、ドスン、と一度だけ世界が揺れた。
『次、転生するなら、ドラゴンで、ドラゴンでお願いします! 神様っ、ほら最速で死んじゃったし、ブービー賞的な何かでねじ込んじゃってくださいよ! そしたらお望みの俺TUEEEとかハーレム展開とか全然やるんでっ! 今時モンスター転生なんて古いっすもんねっ? スローライフとかも俺、全然やれます、むしろやらしてくだせぇ! 任してくだせぇ、最善は尽くしやすんで……って、あれえ? 俺、死んでなくねえ?』
いつまで経ってもやってこない痛みに待ちきれず目を開けると、不格好な姿でピクピクしながら横たわる蛙が映った。
ニヤァ、そんな幻聴が聞こえるほど、一瞬で口角が上がり、反対に赤茶蛙は助けを求めるよう憐れな表情となった。
『もしかしなくても、動けない感じ? そうだよねっ! 《弱瘴牙》パイセンの何か効いちゃった感じっ? さっきのは毒っぽかったけど、今回は麻痺かなっ?』
「グェ……」
『ん~答えたくても答えられないかあ、動けないもんねえ! いつまで異常が続くかも分かんないし、遠慮なしにガツガツ行かせてもらうぜぇ!』
「ゲ、ゲェ……」
嬉々とした表情で前足を使って這いよって来る子鼠に怯えるよう、赤茶蛙は震えた声を出す。
死闘のケツ末はあまりに惨憺たる状態であったため、親友のことを想って詳細は伏せておく。が、赤茶蛙の最期はあっけないものだったとだけ言っておこう。
最後に一つ言えることがあるとすれば、ケッ闘の勝者は最弱の魔物だった、ただそれだけだ。




